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第8話:邂逅

 教会を出て、家路についていたシオンの背中に声がかかった。


「あ、あのっ……! 待って……!」


 振り返ると、先程いじめられていた少女が息を切らせて走ってきていた。


 ボロボロの衣服に、痩せこけた体躯。

 唯一整えられているといえるのは、頭を覆う亜麻色の髪の毛だけ。


 シオンと目が合うと、彼女はビクリと身体を震わせ、すぐに視線を足元へと落とした。


 小動物だ。

 それも捕食者に睨まれたリスのような、生存本能に刻まれた怯え方だった。


「なんだ?」

「そ、その……さっきは、助けてくれて……あり、ありがとう……」


 消え入りそうな声だった。

 両手でボロボロのスカートの裾を握りしめ、必死に言葉を絞り出している。


「助けた覚えはない。(おれ)が通るのにあれが邪魔だっただけだ」


 シオンは足を止めず、素っ気なく返す。

 それでも少女はそのままトボトボと、しかし離されないようにシオンの後をついていく。


「わ、私……カノンっていうの……村に来たのは三年くらい前で、今は村長さんの家でお世話になってて……」


 カノンと名乗った少女の言葉に反応せず、シオンはスタスタと家路を歩き続ける。


「し、シオンちゃんって言うんだよね……? ドランくんに、あんな風に言い返せる人がいるなんて……私、初めて見た……」


 言葉にするのも恐れ多いといった様子で、カノンはシオンの背中を追い続ける。

 その瞳には強い者への恐怖にも勝る、強い憧憬の光が灯っていた。


「強くて、堂々としてて……かっこいいというか……私も、シオンちゃんみたいになりたいなって……」


 そこで不意に、シオンが足を止めた。

 振り返り、蒼色の瞳でカノンを冷ややかに見据える。


「ならば、何故やり返さなかった?」

「え……?」

「罵られたなら言い返せばいい。足蹴にされたならば蹴り返してやればいい。(おれ)みたいに、と言うなら何故そうしなかった?」

「だ、だって……私はシオンちゃんみたいに強くないし……それに、向こうは村の偉い人の子供で……加護も持ってて……」


 想像してなかった言葉に、シオンはオドオドと視線を泳がせる。


「だからどうしたというのだ」


 そんな彼女を見据えるシオンの双眸に、明確な侮蔑の色が浮かぶ。


「相手が強いから? 自分の立場が低いから? なればこそ挑むのが武の道であろう」


 刃のような鋭い言葉に、カノンは息を呑む。


(おれ)に憧れた? そのような軟弱な者が我が武を語るなど笑止。先刻述べたのを聞いていただろう。自らの力で道を歩むことも出来ぬ腑抜けは好かんと」

「ご、ごめんなさい……」


 あまりにも辛辣な拒絶に、カノンは涙を滲ませてその場に立ち止まる。

 そんな彼女を省みることはせず、シオンが再び歩き出そうとした時だった。


「おい! 待て! 逃げんじゃねえ!」


 教会の方から怨念の籠もった怒声が響いた。

 シオンが振り返ると、そこには先程彼女に屈辱を味わわされたドランの姿があった。


 顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、目は充血し、ズボンは無惨に濡れている。

 だが、その表情に浮かんでいるのは反省や恐怖ではない。

 あるのは、己が自尊心を粉々に砕かれたことへの耐え難い屈辱と狂気じみた殺意だけだった。


「ふざけるな……ふざけるなよぉッ!!」

「ほう……まだ向かってくるか。その執念はまさに貴様自身が得たものだ。誇れ」


 あれだけの実力差を目の当たりにして尚も向かってくる彼に、シオンは素直に歓心した。

 恐怖で失禁し、恥を晒してなお、牙を剥く。

 その一点においてのみ、この豚のような少年には「闘争心」という武人の萌芽が見て取れた。


 しかし、その言葉も今の彼には届かない。

 衆人環視の中でかかされた恥辱が、彼の理性を完全に焼き切ってしまっていた。


「よくも俺に……この選ばれた俺に……! 許さない……絶対に許さない……!」


 ドランが怒りを気力に変え、両手から炎を放出させる。


 炎はその怒りに呼応し、未熟な彼が制御出来ぬ大きさにまで膨れ上がっていく。

 周囲の大気が陽炎に揺らめき、焦げ臭い匂いが立ち込める。


 このままであれば術師本人にさえ、危害が及ぶのは誰の目にも明らかだった。


「ふむ……仕方がない。その執念深さに免じて、己も武を持って迎え撃ってやろう。(やつ)の力の一片。この身で試してみるのも悪くはない」


 全く動じていない口調で言いながらシオンがドランを向かい合う。


「死ねッ! 燃えカスになりやがれぇぇッ!」


 ドランが空中に浮かべた豪火をシオンに向かって放つ。

 しかし、それも彼女にとっては子供の火遊びの域は出ない。

 加護なるものの力を我が身で感じ、後は適当にいなしてやろうと考えた時だった。


「だ、だめっ……!」


 シオンの視界に小さな影が割り込んだ。


 カノンだった。

 彼女はシオンは先に発した言葉を自ら体現するように、二人の間に割って入った。

 だが、シオンの目にそれは勇気とは映らなかった。


 馬鹿な。自殺行為だ。

 あの脆弱な肉体では、炎に触れただけで致命傷となる。


 シオンがその蛮勇に驚愕した直後――


 目に見えない何かが音もなく、弾けた。

 それは目の前の少年が発した現象とは根本的に違っていた。

 

 熱でも、光でもない。

 空間そのものが物理的にねじ切れたかのような、圧倒的な力の奔流。

 

 カノンの前方を中心に発生したその衝撃波は迫りくる巨大な炎を一瞬にして霧散させ、術師の身体をも大きく吹き飛ばした。

 一瞬遅れて、まるで巨大な砲弾が着弾したかのような衝撃音が、鼓膜を叩く。


「ぐえッ! がはぁッ!」


 ドランの身体が、まるで木の葉のように宙を舞う。

 彼は数メートル後方の地面に叩きつけられ、数回跳ねてようやく留まった。

 白目を剥き、口から泡を吹いて完全に気絶している。

 

 打って変わって訪れた静寂の中で、土煙が徐々に晴れていく。


「あ……あぁ……」


 カノンは震える自分の手を見つめ、次いで刀に転がっているドランの姿を見た。

 彼女の顔から一気に血の気が引き、青ざめていく。

 やってしまったという戦慄と後悔に、その身体をワナワナと打ち震えさせる。


「ご、ごめんなさいっ……!」


 カノンは悲鳴のような謝罪の言葉を叫ぶと、脱兎のごとく走り去っていく。

 そして、気絶したドランと小さくなるその背中を見つめるシオンだけが残された。

 

 これがシオン・ラングモアとカノン・ベリス。

 後に世界を震撼させることになる二人の少女の出会いであった。

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