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第4話:暴力

 その日、ラングモア家に大きな産声が鳴り響いた。


「ほら、元気な男の子ですよ」


 シエラが産婆から受け取った赤子は、力強い泣き声を上げていた。

 その生命力に満ちた姿にジョナサンは破顔し、シエラは安堵の涙を流す。


「良かった……無事に生まれてきてくれて……ほら、貴方。男の子ですって」

「あ、ああ……男の子……! 男の子だ……! 僕たちの二人目の子供だ……!」


 泣き続ける我が子を見つめながら興奮気味にジョナサンが言う。


「名前はもう決めてあるんですか? 男の子なら貴方が決めるんでしたよね?」

「あ、ああ……! 名前は……ええっと……ポントラヌーニョだ!」

「ぽ、ぽんと……?」

「そう! ポントラヌーニョ・ラングモアだ! いい名前だろう!」


 後にこの名前は二人合意の上で、『アレン』と改められた。


「な、名前については今度話し合うことにして……シオン、こっちに来て」

「うむ」


 部屋の片隅で事態を見守っていたシオンが母親に呼びかけられて側に寄る。


「貴方の弟よ」

「弟」

「そうよ。貴方はお姉ちゃんになったのよ。分かる?」

「うむ」

「それじゃあ、ほら……手を握ってあげて? 優しくね」


 言われた通りに、シオンは自らの手で弟の手に触れる。


「かわいいでしょ?」


 シエラは二人に増えた最愛の存在に優しく微笑む。

 しかし、シオンの所感は彼女が思っているそれとは、少し違っていた。


 ……なんと、か弱き存在だろうか。


 己が目指す武とは真逆の極地にあるような存在で、脆弱も脆弱。

 自分であれば、小指一本で刹那の間に絶命させられる程の儚さ。

 差し出した己が手を、ほとんど触れるような弱い力で握り返してきたそれに想う。


「お姉ちゃんになったんだからしっかりと守ってあげるのよ?」

「守……る……?」


 ほとんど初めて聞くような響きの言葉が、彼女の鼓膜を揺らした。


 守る。

 守護する。

 対象への敵意や害意を阻み、その生存を保証する行為。


 言葉としての意味こそ理解していたが、自らの行動として考慮するのは初めてだった。


 これが一度目の人生であれば、シオンは一笑に付したであろう。

 己が武に他者の存在など不要であり、弱者を守護するなど尚更。


 しかし、今の彼女は自身の思い上がりを打ち砕かれたばかりでもあった。

 己は、女の身体で武を収めるというもう一方の道にすら気づいていなかった未熟者。


 であれば、『何かを守る』という行為にもまた、武に通じる新たな理が潜んでいるのかもしれない。


「そうよ。この子が大きくなるまで守ってあげるの」

「うむ。承知した」


 熟考の末に、シオンはいつものように答えた。


 ***


 ――アレン・ラングモアが産声を上げた日の夜。


 サットン村から少し離れた森の中で、焚火を取り囲んで野営をする一党があった。


 男ばかりが、十余名。

 彼らは各々が沈黙と共に、その面貌に悲壮な決意の表情を浮かべていた。


 やらねばなるまい。

 生きるためには、どのような非道でもやらねばなるまい。


 彼らは元々、国軍の傘下に属する兵士だった。

 ある男を長とした小隊に属し、数々の前線で武名を馳せた精鋭たちだった。

 しかし今、彼らは戦場から逃走し、その身を野盗に落とそうとしていた。


 やらねばなるまい。

 戦場から逃げ出した元兵士に、まともな働き口などあるわけがない。

 仮にありつけたとしてもいずれは素性が露見し、軍に引き渡され、裁判にかけられる。


 であれば、もはや無法者として生きるしかない。

 まともな戦力のない小さな村を襲い、殺し、奪うしかない。


 俺たちはきっと地獄に落ちるだろう。

 それでも、あの本物の地獄へと戻るくらいなら、そこはまだ天国に違いない。

 全員が焚火を見つめながら、兵士だった時の悪夢を思い出す。


 彼らは嘗て、行く先々の戦場で連戦連勝を収めていた。

 それだけの勝利を重ねられたのは個々の武もあるが、隊長の資質が何よりも大きかった。


 編み出す戦術はどれも敵の上を行き、戦場に立てば一騎当千の活躍をする。

 彼を知る者であれば、誰もが慕うような益荒男(ますらお)であった。


 乱世を終わらせる英雄の器とは、彼のような人物のことを指すのだろう。

 彼を知る誰もがそう思った。

 

 しかし、それは薄紙に描いたような幻想でしかなかったと、後に思い知らされる。


 東部戦線――ストーンルート渓谷での戦い。

 彼らが派遣されたのは、両国が幾度となく衝突した激戦地であった。


 地形は複雑に入り組み、地の利はどちらにもない。

 故に、勝敗は兵の質と指揮官の才覚に委ねられた。


 ならば我らの勝利だと彼らの小隊は湧いた。

 我が軍には隊長がいる。

 戦場を駆ければ一騎当千の(つわもの)であり、采配を振るえば才気煥発(さいきかんぱつ)の将である男が。


 彼らには不安も躊躇もなかった。

 この地を取れば、両国の力関係の天秤はこちらへと大きく傾く。

 乾坤一擲(けんこんいってき)の戦いを制し、我らで歴史に王国の名を刻もう。


 彼らの思惑通り、戦いは序盤から王国軍の優勢で進んだ。

 英雄の器たる隊長は期待された以上の働きをし、軍を勝利へと導きつつあった。


 しかし、敵の本陣を目前に捉えたところでそれは現れた。


 大きな男だった。

 身の丈2メートルを優に超える巨体に、同じ程はあろうかという大槌。

 誰もが一目で、まともにやりあってはならない相手だと悟った。


 それを誰よりも早く理解し、行動に移したのは彼らの隊長だった。

 奴には近づくなと激を飛ばし、弓兵及び魔法兵への飽和攻撃を指示した。


 敵がどれだけの武力を持とうと、既に大勢は決している。

 数の有利を活かして飽和攻撃を仕掛ければ、如何なる者でも耐えられぬと。

 その判断は殆どの状況においては正しかった……敵が、人理の内側にいる者であれば。


 矢弾の雨が降り注ぐ中、男は気だるげに大槌を握り、地面を軽く小突いた。

 たったそれだけで一帯の大地を砕き、地割れが千を超える王国軍を飲み込んだ。

 混迷が渦巻く中、隊長だけが必死に隊員たちへと撤退の指揮を繰り出した。


 生きろ。生きて拠点へと戻れ。

 それが彼の最期の命令となった。


 巨体が嘘のような俊敏さで、敵軍の真っ只中へと飛び入った大男。

 続けて、それは隊長を含んだ一団へと向かって大槌を一振りした。


 それだけで、全てが終わった。


 たった一撃で、英雄は千々の肉片と化した。

 その光景を間近で目撃した部隊の面々はどのような感情を抱いたか。


 恐怖。戦慄。絶望。


 地獄の所業を目の当たりにしたような悪寒が全員を襲った。

 敵を討とうなどとは、誰一人として欠片も思わなかった。


 彼らは隊長だったかもしれない肉片を踏み潰しながら、死に物狂いで逃走した。

 蜘蛛の子を散らすように、戦場からも軍からも逃げ出した。


 彼らは心の底から思い知らされた。


 世界には、英雄すらも遠く及ばぬ、逸脱の修羅がいる。


 それらの圧倒的な武力の前に、全ては等しく弱者である。

 ならば、弱者が生き延びるには同じ弱者を喰らう他ないのだと。


 全員が同じ日、同じ時のことを思い出しながら焚火を囲んで押し黙る。

 その沈黙はさながら、これから行う残虐に対する懺悔のようでもあった。

 神の象徴でもある月が雲に覆われたのと同時に、一人が『行くぞ』と呟く。


 全員が無言で立ち上がり、焚火を踏み消す。

 彼らは敗残の兵ではあるが、腐っても元は精鋭。

 その統率の取れた動きで、村は為す術もなく蹂躙されるだろう。


 最初は金品食料だけが目的だとしても、一線を超えれば人のタガは外れる。

 かつて英雄と共に戦場を駆けた高潔な精神は既に失われた。


 男を殺し、女を犯し、財は根こそぎ奪い取る。

 悪辣な決意と共に、彼らが森を出ようとした時だった。


「……どうした?」


 先頭を行く一人が立ち止まり、後ろの仲間たちが訝しむ。

 どうかしたのかと肩越しに様子を確かめると、前方に何かが佇んでいた。


 月明かりがないにも拘らず、薄ぼんやりと光る白い何か。

 暗闇の中、男たちが目を凝らすとそれはまだ幼児とも言える年頃の少女だった。


「な、なんだ……子供……?」


 一人が狼狽した声を上げる。


 こんな深夜に一体、何故子供が?

 まさか本物の幽鬼の類ではないか……と、男たちが疑いかけた瞬間――


「ふむ……」


 少女が声を発した。

 見た目通りの幼い声色にも拘らず、身体の芯に響くような威圧感があった。


「先に言っておくが、(おれ)は貴様らに恨みがあるわけではない」


 少女は続けてそう言うと、身体を男たちの方へと向き直らせた。

 足元で土を踏む音が鳴り、それが実体を持つ見た目通りの子供なのだと分かった。


「う、恨み……何を言ってるんだ、このガキは……」

「そう。本来、貴様らの所業など、己には何ら関係のないことだ。弱肉強食は世の理なれば」


 男たちには彼女の発する言葉の意味も、現状も全く理解できなかった。


「だが、今は大恩ある母上の命を受けた。弟と守れと、命を受けた」


 分かるのは、今自分たちがとても奇異な状況に置かれているということだけ。


「故に、己は今から初めて暴力を振るう。武ではなく、暴力だ」


 男の一人が卑しい笑みを浮かべた。

 一体、何を言ってるんだこの餓鬼は。

 だが、こんな奇妙な子供が相手なら良心の呵責も多少は薄れる。


 それによくよく見てみれば、美しい白銀の髪に、整った目鼻立ちをしている。

 奴隷商にでも売れば、良い値が付くだろう。


 彼らがそんな悪党としての思考を、自然と巡らせた直後――


「――――ッ!」


 少女の姿がフッ……と消えたのと同時に、最前列にいた一人の姿も消えた。

 比喩ではなく、文字通り神隠しにでもあったように消えた。

 それから数秒遅れて、遥か彼方から木々が薙ぎ倒されたような凄まじい音が鳴り響いた。


 何が起こったのか、誰も瞬時には理解ができなかった。

 それでも、戦場で培った経験が彼らの冷静さをかろうじて繋ぎ止めていた。


 とにかく、何か対処しなければならないことが起こっている。

 そう思って、全員が武器に手をかけた瞬間に、また一人が消えた。

 数秒遅れて、今度は逆側から木々を薙ぎ倒す音が鳴り響いてくる。


「ロバート! いるか! ロバート!」

「チャールズ! 何だこれは! 何が起こっている!」

「分からん! とにかく武器を取れ! 円陣を組め!」


 暗闇の中で、互いの名前を呼び合いながら安否を確認する一行。

 しかし、そうしている間にもまた一人の仲間の姿が消えた。


 数秒遅れて、今度は仲間の絶叫が上空から響いてきた。

 最初は遥か上空から聞こえてきたそれは、次第に高度を下げ――


「あぐしっッ!」


 地面に激突すると同時に、潰されたカエルのように奇妙な断末魔の声を上げた。


 吹き飛ばされていた。


 今、落ちてきた奴だけじゃない。

 最初の奴も、その次の奴も、叫び声を上げる間もなく吹き飛ばされたのだ。

 得体の知れない何か、姿を捉えぬこともできぬ圧倒的な力によって。


 そうして、彼らは漸く気がついた。

 これは、あの時と同じことが起こっているのだと。

 ストーンルート渓谷で、あの圧倒的な暴威に曝された時と同じことが。


 気がつくと、全員の足が尋常でなく震えていた。

 隊長がいた前回とは違い、今回は自分たちが完全に捕捉されている。

 もはや逃げ出すことも叶わないと、本能的に理解してしまっていた。


「ロバート!」

「チャールズ!」


 出来ることはただ、今際の際まで互いの名前を呼ぶ合うことだけ。


「ロバート!」

「チャ……――――」

「ロバート! どうしたロバート! ロバート! トーマス! マイク!」


 しかし、それももはや叶わなくなった。

 どれだけ名前を呼ぼうと、盟友たちの返事は遂になくなった。

 それはすなわち、次は自分の番だということだった。


「ふっ……ふっ……」


 チャールズの呼吸が、恐怖で荒ぶる。

 暴威から逃げ出した先には、また別の暴威が待っていた。


 逃げ場など、最初からこの世界の何処にも無かったのだ。


 ならば最初から戦えばよかった。

 あの時、隊長と道を共にすればよかった。


 逃れ得ぬ死を目前にして蘇ったのは、途方もなく大きな後悔だった。


 ……いや、まだだ。

 後悔にはまだ早い。

 このままおめおめと冥府へ赴けば、隊長に面目が立たない。


 だが、相手は人理を逸脱した修羅。

 勝てる道理など、人の身にはあろうはずもない。

 それでも男は武器を抜いて、暗闇へと向かって声を張り上げた。


「ちくしょう! どこからでもかかって来やがれ! オルコット隊の一番槍チャールズ・ウォーカーが相手だ!」


 男が叫ぶ声が、森全域に木霊する。

 すると、先刻まで一体を取り囲んでいた暴威の重圧が霧散した。


 更に数拍の間をおいて、暗闇の中から足音もなく先の少女が姿を表す。


「見事」


 先刻のような害意を発することなく、少女は短く言葉を発する。


 男は返事をせずに、彼女を見下ろしながらゴクリと息を呑む。

 その愛らしい姿形に意味がないことは、既に理解していた。


「貴様が武を示すというのであれば、ここからは比武だ。来い」


 少女が腰を落として、チャールズへと向かって拳を構える。

 彼もそれに呼応して、剣を構える。

 

 どこにも逃げ場がないのであれば、相手が何であれ戦わなければならない。

 勝機は絶無であろうが、戦わなければならない。


「……っ!」


 チャールズが柄を握る力を込めたと同時に、少女の姿が音もなく消えた。

 瞬間、彼の顔面に衝撃と閃光が奔った。


 痛みを置き去りにし、視界が白一色に染まる。

 白い光の中で、彼の脳裏に蘇ったのは嘗ての栄光だった。


 隊長や仲間たちと共に、戦場を駆けた日々。

 それは死の間際に思い出す程に、大切な日々でもあった。


 薄れゆく意識の中、チャールズは想う。


 俺は一度死に、今二度死んだ。

 もし三度目の機会があれば、今度は死を恐れずに一矢報いて見せると。

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