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第10話:死

「死んで……って、プランが……? そんな、まさか……」


 ありえないはずの出来事が起こっている。

 個としては最強の武力を持つ、『怠惰』の神戒の死。

 プラタはその事実を受け入れられずに、更に声を荒らげた。


「ちょっと、プラン……! 死んだフリとか面白くないから起きなさいよ……!」


 しかし、その声に大男の身体はやはり微動だにしない。

 既に魂の抜けた肉体は、ただ大樹に寄り添うように力なく倒れ込んでいる。


「ありえない……。『神戒』は不死の存在……。もしかして、自殺……? 怠惰が極まり過ぎて、生きるのが面倒になったとか?」

「いや、この刺し傷の入り方……自刃ではこうならぬ……それに、肝心の刃がどこにもない」


 未だ動揺するプラタに、間近で傷を観察しながらカグラが言う。


 自刃であれば、それを為した獲物が近くに存在するはず。

 しかし、そのようなものはどこにもなく、あるのは一人の男の死骸だけ。

 それは即ち、不死の魔女をして最強と言わしめた存在を、殺した者がいるという事実を端的に告げていた。


「面白い」


 ずっと黙り込んでいたシオンがポツリと呟いた。


「強者を殺した、より強い者がいる! 面白い! 面白いではないか!」


 喜悦の笑みを浮かべながら、どこまでも満たされぬ求道心を発露させているシオン。

 カグラはその横顔を見つめながら、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

 他に誰もがまだ状況を飲み込めていない中、この人だけはただ『武』の頂きしか見ていない。


 そのあまりに純粋で、一点の曇りもない求道心。

 武人として畏敬の念を抱く一方で、名状しがたき畏怖を感じざるを得なかった。

 この御方はいずれ、何らかの形で世界を大きく歪めてしまうのではないか……。

 いや、あるいは既に……。


「『神戒』の死……母なる神よ、これも貴方の『大いなる計画』の一部? それとも何か不測の事態が起こっているのかしら?」


 得も知れぬ感情に畏れを抱くカグラが携えた麻袋の中で、プラタは誰にでもなく呟く。

 そんな中で一人、未だにプランの遺骸をジッと見据え続けている者がいた。


 亡霊、リアム・オルコットだ。

 彼は半透明の身体で、プランの死体の前へと歩み寄る。

 そして、呆然と、ただ呆然と見下ろしていた。


「は、はは……」


 彼の口から漏れたのは、乾いた笑い声だった。


「なんだよ……これ……。あっけねぇな、おい……」


 リアムは震える拳を、強く握り込んだ。


「俺はこの十三年間……ずっと、てめぇをぶっ倒すために来る日も来る日も見えもしない人間に声をかけ続けてきたんだぞ……こんな身体になっちまっても……ずっと、ずっと……」


 彼の声に、激情はなかった。

 あるのは、深く暗い空虚な穴のような喪失感。


「それが、なんだよ……。俺の知らねぇところで、勝手にくたばっちまいやがって……おい、どうすんだよ? 俺の復讐は? 死んでいった仲間の無念は? せめて、殺された瞬間くらいは見せてくれりゃ、まだ気も晴れたってのに……こんなとこで、眠るみてぇに……。あんなに強かったのに、なんでだよ……てめぇ、殺すぞ……」


 そして、それ以上に言葉では言い表しようのない感情が渦巻いていた。


 敵味方という枷を外して見れば、この大男はまさに古今無双の強さだった。

 誰も勝てないと思った。だからこそ、自分が殺すしかないと思った。


 にも拘らず、それは自分の知らないところで、呆気なく殺されてしまった。

 そこにはある意味では戦友を失った以上の、深い悲しみがある。


 リアムはその場に膝をつき、地面を叩いた。


 砂煙も立たず、音もしない。

 亡霊の悲嘆は、世界に何の影響も与えられない。


 ***


 そうして、一行は物言わぬ屍となった『怠惰』を後にして、来た道を戻ることにした。


「それで、シオン。これからどうしますか? さっきの大男を殺した者を探すにも、流石に手がかりは何もありませんが」

「そうだな……おい、魔女。他に、貴様の同類がいる場所は知らぬのか?」

「え~……どうかしら……。みんな、好き勝手にウロチョロしてるし……そもそも、私が知ってる子たちは搦め手タイプが多いからシオンちゃんはお気に召さないかも」


 麻袋の中から響いたプラタの声に、シオンは手を顎に当てて考え込む。

 そうして、十数秒ほどの思案の後でようやく口を開いた。


「仕方ない。王都へと向かうとするか」

「ようやくですか……」


 彼女の提案にカグラは、安堵の息を吐き出す。


 そもそも、この旅は王都へと向かうというところから始まったはずだった。

 それが、やれ怪物だの魔女だの神戒だのと寄り道している間に、随分と遠くへと来てしまっていた。

 今頃、王都では『竜殺し』は随分と遅いなと、第三王子も怒り心頭になってしまっているかもしれない。


「うむ、そうしよう。行くぞ」


 長い寄り道を経て、ようやく王都へと向かい出した一行。

 しかし、二人の後ろにフワフワとついてくる影が一つあった。


「……何故、貴様もついてくる?」


 カグラが怪訝そうに振り返った先には、素知らぬ顔で一向に加わっているリアムがいた。


「そう邪険にしないでくれよ。十三年も追ってきた仇が死んで、落ち込んでんだからよ」

「ならば、さっさと成仏すれば良いだろう。もう未練もあるまい」


 カグラが冷たく言うと、リアムは肩をすくめて、開き直ったようにニカッと笑った。


「そんな冷たいこと言うなよ。俺だってそうしてぇが、生憎やり方が分からないんだよ。それに、俺の姿が見える人間なんてあんたらくらいだ。成仏のできるまで、暇潰しについていくことにするぜ」


 シオンは、『勝手にしろ』と言わんばかりに無言で先へと進む。


「はぁ……生首の次は、幽霊か……」


 カグラは深いため息をつき、更に重くなった足取りで王都への道を歩み始めた。


 ***


 数日後、一行は道中にある大きな交易都市へと辿り着いた。

 大通りには所狭しと露店が並び、鉄板で焼かれる肉の脂が弾ける音、香辛料の刺激的な香り、そして商人たちの威勢の良い掛け声が渾然一体となって活気を生み出している。

 行き交う人々も身なりが良く、この街の豊かさを象徴していた。


「ほう、賑やかだな……」

「はい、王都を除けば国内でも有数の都市とのことです。まだ日も高いので、今回は通り抜けるだけになりそうですが……って、シオン?」


 返事がないのを不審に思ったカグラが隣を見ると、そこには誰もいなかった。

 彼女は『まさか人混みで迷子に……?』と慌てて視線を巡らせると、数メートル離れた屋台の前に見慣れた銀髪があった。


 シオンは既に、右手にはタレの滴る熱々の肉串を、左手には冷えた果実水を持っていた。

 それを満足気に、モグモグと食べ尽くすと、すぐに次の屋台へと向かう。


「求道心だけでなく、食い意地も果てしない……」


 その神速の足運びを、こんなところで使わないで欲しい。

 カグラは深い溜め息を吐き出すと、呆れたように首を振った。


「シオン、露天の物を食べすぎては身体に悪いですよ……」

「構わん。薬も毒も両方喰らうのが我が武には肝要だ。それよりカグラ、支払いは任せた」

「はっはっは! 師匠と弟子というよりは、母娘だな!」


 ふらふらと浮いているリアムが、ニヤニヤしながら茶々を入れる。


「全く……仕方ありませんね……」


 食べてしまったものは仕方がない。

 カグラは屋台の店主に支払いを済ませようと、懐に入れていた革袋へと手を伸ばした。


 ――スカッ……。


 しかし、指先に伝わったのは、期待していた硬貨の重みと冷たさではなく、薄い革の感触と虚無感だけだった。


「……え?」


 カグラの思考が一瞬停止する。


 六年前に家を出てから、旅では粗食を心がけていた。

 傭兵稼業や食客としての収入もあり、それなりの蓄えはあったはずだった。


 まさか、そんなはずない。

 彼女は革袋を裏返し、振ってみた。


 ――はらりっ……。


 乾いた音を立てて落ちてきたのは、硬貨ではなく、ただの埃だけ。


 カグラの顔から、サーッと血の気が引いていく。

 脳裏に走馬灯のように蘇る、これまでの出費の数々。

 度重なる武器や旅具の損耗。

 そして何よりも、シオンの底なしの健啖ぶり。


 街の中央、行き交う人波と活気の中で、カグラだけが石像のように凍りついた。

 屋台の店主が、『お代は?』と無言の圧力をかけて手を差し出している。


「……む?」


 背後の異様な気配に気づいたのか、シオンが串焼きを口に運ぶ手を止めて振り返る。

 その口元には、美味しそうなタレがついていた。


「……シオン」

「どうした? 今にも死にそうな顔をしているぞ」


 カグラが、油の切れたブリキ人形のようなぎこちない動きで顔を上げる。

 その瞳は、巨大な竜と対峙した時よりも深く、暗い絶望の淵に沈んでいた。

 震える唇が、決定的な事実を紡ぐ。


「路銀が、尽きました……」

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