第9話:魂縛
「断る」
亡霊の懇願から、一秒と経たぬ拒絶であった。
シオンの声音には、慈悲も、躊躇いも、交渉の余地すらも含まれていなかった。
「え? ちょ、ちょっと待て。まだ頼みの内容も……」
「何であろうと、己は他者の頼み事など聞かん。己が往く道は己が決める」
絶対的な自我。
まるで幼児のような強情さでありながら、それを理不尽なまでに貫き通すだけの覇気が、彼女の言葉には宿っていた。
「それより貴様、己と比武しろ」
「は? 比武? お嬢ちゃん、まさか俺とやり合おうってのか?」
構えたシオンを見て、リアム・オルコットと名乗った亡霊の男は鼻白んだように笑う。
少女としては背は高いが、身体は細く、見た目も綺麗に整いすぎている。
多くの戦場で、様々な女丈夫を見てきた彼の目には、とても彼女が強そうには見えなかった。
「そうだ。亡霊の類とはまだ拳を交えたことがなかった故に。貴様も、頼みがあるというのなら武で己をねじ伏せ、無理やり言って聞かせればいい」
「ほう……随分とデカい口を叩くじゃねえか。どうやら俺の生前の武名を知らねぇらしい」
男がシオンに呼応し、ゆらりと構えを取る。
その姿から、歴戦の兵が纏う鋭い闘気が立ち昇った。
「王国軍に泣く子も黙るオルコット小隊あり! その隊長とは、このリアム・オルコットのこ――」
威勢の良い口上と共に、リアムが実体のない身体を疾走させるが――
「弱い」
刹那の後、地面に縫い付けられるように倒れ伏したリアムと、隣に佇むシオンの姿があった。
「幽霊って普通に殴れちゃうのね」
「彼女は……多分、例外だと……」
麻袋から顔を出したプラタが驚愕に目を見開き、カグラはもはや驚くことすら忘れて淡々と事実を受け入れる。
シオンは手に付いた土埃を払うと、興味を失った瞳で踵を返した。
「興醒めだ。所詮は敗残の亡霊か。本来の目的であった『怠惰』なる者のもとへと向かうぞ」
「ま、待って……くれ……!」
立ち去ろうとするシオンの足元に、リアムがすがりつくように手を伸ばした。
「なんだ? まだやる気か?」
「ち、違う……! 怠惰って、あんたら……『あいつ』に会いに行く気か……?」
「なんだ? 貴様、そいつのことを知っているのか?」
「ああ、当然だ……なんせ俺は、十三年前……あいつに殺されて……こんな身体になっちまったんだからな……」
リアムはギリッと唇を噛み締め、怨嗟のこもった声で語り始めた。
「俺は、かつては傭兵団を率いていた。その実力を買われて国軍に一個小隊として編入され、各地で連戦連勝を重ねていたんだ。俺の剣技と指揮は、将軍たちですら一目置くほどで――」
「長い」
シオンが非情なまでに短く切り捨てた。
「へ?」
「貴様の過去になど興味はない」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! ここからがいいところなんだぞ! 俺がいかにして『英雄』と呼ばれるようになったか、その武勇伝を聞いてくれよ!」
「行くぞカグラ。時間の無駄だ」
「は、はい……!」
取りつく島もないシオンの態度に、リアムは追い詰められた。
十数年もこの場所で待って、唯一自分の姿をはっきりと視認できた三人組。
このままでは、千載一遇の好機が去ってしまう。
「そ、そうだ……! 案内! あいつのところに案内してやるから話を聞いてくれよ! あんたら、あいつが具体的にどこにいるのかまでは知らないんだろ?」
その言葉に、シオンの足が止まる。
彼女は数秒ほど思案し、近くの手頃な岩に腰を下ろした。
「……手短に済ませ」
首の皮一枚で繋がったことに安堵し、リアムは早口で言葉を継いだ。
「……連戦連勝を重ねた俺たちは、遂に激戦地であるここ、ストーンルート渓谷に配属された。そこでも当然、俺たちは勝つものだと思っていた。だが、そんな俺たちの前に……あの大男が現れたんだ」
リアムの瞳に、十数年経っても色褪せぬ恐怖の色が浮かぶ。
「たった一人だ。自分を含めて千人はいた王国軍が、たった一人の男によって壊滅させられた。魔法も、矢も、剣も、奴には届かない。全てが地面に叩きつけられ、誰もが虫けらのように潰れて死んでいった」
彼は悔しげに拳を握りしめる。
「俺は……仲間をなんとか逃がすために殿を務め、そして殺された」
「それで、未だに成仏できずにここにいるというわけか……」
男の独白に、カグラがやや同情したような口ぶりで言う。
「ああ。皮肉なことに、こいつのおかげで俺の魂は現世に留まることができた」
そう言って、男は手の甲に浮かび上がった聖痕――加護の力を授けられた者に刻まれる証を掲げてみせた。
「加護の力で幽霊になったと?」
「ああ、『魂縛の加護』だ。生きてる間は何の効力もない外れだと思ってたが、まさか死んでから効果を発揮する加護とはな」
リアムは自嘲気味に笑った。
死してなお、未練と共に現世に縛り付けられる力。
それは祝福というよりは、呪いに近かった。
「あれから十年……俺はずっとここで、奴についての情報を集め続けた。奴の能力、癖、寝ている場所……全て頭に入ってる。今度こそは遅れを取らない。だから、姉さん方……俺に身体を貸してくれ!」
リアムは地面に額を擦り付けるように土下座した。
「頼む、この通りだ!」
悲痛な叫び。妄執にも似た願い。
地面に額を擦り付ける彼に対して、シオンたち三人の返答は――
「断る」
「同上だ」
「そもそも貸してあげられる身体がないのよね~」
間髪入れずの拒絶だった。
「いや、即答!? 少しは考えてくれよ! てか、今更気付いたけどなんで生首持ってんだよあんたら! 幽霊より不気味だな!」
「あら、不気味なんて失礼しちゃうわね」
「それより、話は聞いてやった。早く案内しろ。よもや、己を謀ったわけではないだろうな?」
シオンが低い声で凄むと、リアムは「ひっ……」と小さな悲鳴を上げ――
「こ、こっちです……」
……と、恭しく三人を先導し始めた。
***
リアムを先頭に、一行は渓谷の奥、澱んだ空気が支配するかつての死地へと足を踏み入れる。
その道中、カグラは前を浮遊する背中へと声をかけた。
「おい、幽霊」
「なんだい? ポニテ美人の女剣士ちゃん」
「……私の名前はカグラだ。カグラ・アマギリ」
「そうかい。だったら、俺の名前はリアムだ。リアム・オルコット」
「…………おい、リアム」
「なんだい? カグラちゃん」
ちゃんを付けるなと言いたかったが、これ以上の不毛な問答を避けたい。
カグラは溜息と共に言葉を飲み込み、本題を切り出した。
「その、お前を殺したプランとやらは……強いのか?」
「強いに決まってるじゃない」
答えたのは、リアムではなく腰の麻袋だった。
「人類に試練を与えるべく生まれた『神戒』。その中でも『怠惰』の彼は個の強さに特化してるんだから」
「お前には聞いていない」
カグラは無表情で、半分ほど出ていたプラタの頭部を麻袋の中にグイッと押し込んだ。
「……で、どうなんだ?」
「……強い」
リアムは苦虫を噛み潰したような顔で、重々しく答えた。
「あれに勝てる人間なんか、存在しないんじゃないかと思うくらいにな」
カグラがゴクリと生唾を呑む。
「我が師……シオンでもか?」
「どうだろうな。あの嬢ちゃんも只者じゃないのは分かるが……あいつは人の理の外にいる存在だ。正直、分が悪いと俺は思う」
その言葉に、カグラの眉が跳ね上がった。
他意はないのであろうが、自分の師を侮られたと思ったからだ。
「……当然だが、我が師も貴様にはまだその実力の片鱗も見せておらぬがな。なにせ、彼女は人の身でありながら竜を倒している。それも十間を超えるような巨竜だ」
「竜を!? そりゃすげぇな!」
リアムが目を丸くする。
「ふふん、そうだろう。そいつがいくら強かろうが、我が師の相手ではない」
カグラは得意げに鼻を鳴らした。
それは絶対的な信頼であり、揺るぎない信仰にも似ていた。
「いや、そりゃカグラちゃんもあいつを見るまでは分から……おっと、そろそろ見えてくるぞ」
リアムが話を切り上げ、指を差した。
渓谷の最奥。
切り立った崖に囲まれた、風すらも止まる静寂の地。
その中心に、谷の上からでも確認できるほどの巨木が、墓標のように聳え立っていた。
「奴は大抵、あの大樹の下で寝てる」
「ほう……」
シオンの瞳が、獲物を見つけた猛禽類のように鋭く細められる。
更に進むと、大樹の根本が見えてきた。
そこには、遠目にも分かるほどの大男が、幹に背を預けて座り込んでいる姿があった。
ボロボロのローブに、岩のように動かぬ巨体。
そこから放たれる異様な存在感――否、静寂感に、シオンの口元が吊り上がる。
「いるな」
シオンは逸る気持ちを抑えきれず、歩調を早めた。
カグラとリアムも慌ててその後を追う。
「プラン~! お久~!」
麻袋から顔を出したプラタが、呑気な声をかける。
だが、返事はなく、プランらしき男は微動だにしない。
「無視? どんだけ熟睡してるのよ……全く……」
「……いや、何かおかしい」
呆れるプラタとは対照的に、リアムが顔をしかめた。
近づくにつれ、違和感は確信へと変わる。
本来あるべき重圧がない。あの近くにいるだけで押しつぶされそうになる重圧が。
男の側に佇むシオンに、遅れてカグラたちが追いつく。
「ちょっと、プラン……これでもまだ起きないって貴方、どれだけ怠惰──」
「無駄だ」
呆れるプラタの言葉に、シオンが冷たく被せた。
「既に、死んでいる」
「……え?」
シオンが淡々と事実を告げる。
巨木に身体を預ける大男は、まるで眠るように、その命を終えていた。
生命の灯火は消え、冷たい骸と化している。
そして、その胸にはただ一点の鋭く、心の臓を目掛けた正確無比な刺し傷が残されていた。




