第8話:神戒
山を抜け、乾いた風が吹き荒れる荒野を一行が進んでいた。
白銀の髪を靡かせながらシオンが先頭を行き、その後ろを旅装の荷物を背負ったカグラが追う。
そして、カグラの腰にぶら下げられた麻袋の中から不満げな声が響いていた。
「もう少し丁寧に運んでくれない? お肌が擦れちゃうんだけど」
カグラが渋々袋の口を開けると、そこには赤髪の生首――『傲慢』のプラタが顔を覗かせていた。
「文句を言うな、魔女。運んでもらっている分際で」
「あら、私の情報だけが頼りなのに随分と偉そうね」
軽口を叩く生首に、カグラは眉を顰める。
首を切り落とされたも死なないその生命力。
眼の前の現実は、彼女の常識を遥かに超えていた。
「……そもそも、貴様は何者なのだ?」
「さっきも説明したでしょう? 私は『神戒』の一人。神獣の失敗を踏まえた神の戒めとして、第四の布告によって生み出された存在だって」
「また神、か……胡乱な話だ……」
カグラは釈然としない顔で呟く。
彼女の宗教観において、神とは社会を営む上で人によって作り出された存在で、神話は所詮お伽噺に過ぎない。
だが、首だけになっても生きているプラタの存在そのものが、既に彼女の常識を壊している以上は強くも否定できなかった。
「何にせよ、こいつが神への唯一の手がかりなのは間違いない」
前を手ぶらで歩くシオンが振り返って問いかけた。
「差し当たっては、貴様の同類がいるのはこの辺りで間違いないんだろうな?」
「ええ、間違いないわ」
プラタは不敵に嗤って、続けていく。
「『怠惰』のプラン……私の知る限り、個としては最強の神戒。他の子たちはともかく、彼は名前の通りに怠惰で、ずっと此処……ストーンルート渓谷の周辺から一切動かないから」
「ほう……」
「でも、頭の方はかなり残念だから、帝国軍に籠絡されてしばらくは良いように使われてたみたいだけど」
「なんであろうと、強者であるならば問題ない。行くぞ」
強い意志を持ち、目的地へと向かってひた進むシオン。
カグラはその背中を追いながら、袋の中へと問いかける。
「貴様は何故、彼女にこうも協力的なんだ? 何か企んでいるのか?」
「企む? まさか。こんなになっちゃったら、大人しく言うことを聞くしかなくない?」
袋の中からケラケラと笑う声が聞こえる。
そこに真意を読めない不気味さを感じつつも、カグラはその感情に一旦蓋をした。
***
一行はストーンルート渓谷の手前にある、寂れた宿場町へと辿り着いた。
風化した看板が揺れる酒場に入り、席につく。
席についても、出てきた料理は決して豪華とは言えないものだった。
木の椀に盛られたのは、不格好に切られた根菜と干し肉を煮込んだだけの、茶色いスープ。
それに、焼きたての黒パンが二つ。
「……ふむ」
だが、そこから立ち上る湯気は、荒野に吹く風で冷えた身体には何よりの御馳走だった。
一口すすると、よく煮込まれてトロトロになった野菜の甘みと、干し肉から染み出した塩気が、じんわりと五臓六腑に染み渡っていく。
派手な味付けはない。
だが、素材の持つ滋味深さを丁寧に引き出した、飾らない旨味がそこにはあった。
「悪くない」
シオンは短く呟くと、硬めの黒パンをちぎり、スープにたっぷりと浸して口に運ぶ。
吸い込んだスープで柔らかくなったパンと、麦の香ばしさが絶妙に調和している。
カグラもまた、一口食べてほっと息をついた。
そんな二人を、客も少なく暇そうにしていた店主が興味深そうに眺めていた。
「お嬢ちゃん、綺麗な銀髪をしてるね」
「……それがどうかしたか?」
食事の邪魔をされたと思ったのか、シオンが少し面倒くさそうに答える。
「いや、少し前に来たお客さんがね。ちょうど君くらいの年で銀髪の女の子を探してるって言ってたから、もしかしたらそうじゃないかと思ってね」
「己は知らぬ。人違いだろう」
「まあそうか。銀髪って言っても、そこまで珍しいもんでもないしな。ところで、あんたらはこれから何処に行くつもりなんだい?」
今度はカグラの方を向き、気さくな声でそう尋ねる。
「所用で、ストーンルート渓谷の方に行くつもりです」
「あ~……ストーンルート渓谷、ねぇ……」
「何かあるのですか?」
「いや、眉唾な話だとは思うんだけどさ。最近、通りがかった連中が口を揃えて言うんだよ。あそこは『出る』……ってさ」
店主が声を潜め、辺りを警戒するように言った。
「出る?」
「幽霊だよ」
「ゆ、幽霊……!?」
練習の低く悍ましい声色に、カグラは思わず声を裏返した。
「あの辺りは数年前まで国境線付近の要所として、王国と帝国の軍が何度も衝突したろ? 何千、何万って人間が死んで怨念が溜まってるって噂だからな。幽霊の一人や二人、出てもおかしくはないわな」
「せ、戦場の跡地なら、どこも似たようなものでは……?」
「いやいや、それがこのところ、通りがかった旅の人間がことごとく言うんだよ。『幽霊』を見たって。そいつは道行く人間に声をかけては、『身体を貸してくれ』って言うんだとさ……」
おどろおどろしい口調に、カグラの背筋にゾクリと冷たいものが走る。
だが、武人として、そんな迷信を信じるわけにはいかなかった。
「ば、馬鹿馬鹿しい……そ、そんなもの……疲れた旅人の幻覚だろう……」
「亡霊か……」
一方で、シオンは肉を咀嚼しながら、面白そうに口元を歪めた。
「その類の者は、まだ殴ったことがなかったな」
***
宿場町を出た一行は、ストーンルート渓谷へと足を踏み入れた。
そこはかつて激戦地だったとは思えぬほど、静かな荒野が広がっていた。
地面は不自然にひび割れ、巨大な暴力によって地形そのものが歪められたような痕跡が残っている。
「し、シオン……その幽霊が出る場所とやらにわざわざ立ち寄らなくても……」
「なんだ、怖いのか?」
「ま、まさか……! そ、そもそも私はそのようなものを信じては……」
シオンのからかいに、カグラは声を裏がして反論する。
腰の麻袋からは、プラタの呆れたような声が漏れた。
「麻袋の中から生首を腰から下げてるのに、幽霊は怖がるなんてかわいい」
「う、五月蝿い!」
一行は更に歩き続け、店主が言っていた『幽霊が出る』と噂の場所へと到着した。
しかし、そこは風が吹き抜ける荒野が広がっているだけで、何者かの気配はない。
「何もいないではないか」
シオンが落胆気味に肩を竦める。
「あ、当たり前じゃないですか……幽霊など……馬鹿馬鹿しい……」
そう言って、カグラが安堵の息を吐き出した直後だった。
「身体……」
彼女の背後から、耳元で囁くような冷たい声が響いた。
「貸して、くれ……」
「ひゃあああああああああッ!?」
悲鳴を上げながら、カグラは反射的に大太刀を抜き、真後ろに全力で振り抜いた。
岩をも斬り裂く剛剣が奔るが、手応えはない。
「え……?」
恐る恐る振り返ると、そこには軍服を着た半透明の男がゆらりと宙に浮かんでいた。
「ゆ、幽霊……!?」
「ほう、本当にいたのか」
カグラが腰を抜かしそうになっている一方で、シオンは興味深げに目を細めた。
麻袋の紐が緩み、プラタが『私にも見せて』と顔を出す。
幽霊の男は、自分を見つけられた三者三様の視線に、驚いたように瞬きした。
「あんたら……俺が、見えてるのか……?」
男の声は掠れていたが、そこには明確な人間としての意思が宿っていた。
彼は宙に浮いたまま、懇願するように言う。
「俺の名前はリアム・オルコット。俺のことが見えるんなら、あんたらに頼みたいことがある」




