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第6話:不純

「ハ……ハハ……ッ! 効カナイ……効カナイよォ……ッ!!」


 月光の下、怪物が嗤う。

 カグラは荒い息を吐きながら、間合いを取った。

 左肩の傷が熱を持って疼き、失った血液の分だけ視界が明滅する。


(心の臓を潰せばッ……!)


 カグラは痛みを怒号でねじ伏せ、強く踏み込んだ。


 狙うは心臓。

 五尺の大太刀による鋭い刺突を、怪物の胸へと突き立てる。

 ズブッと肉を穿つ、確実に心臓を貫いた手応え。


「アハッ、くスぐったイなぁ……」


 だが、怪物はまたも嗤った。

 突き刺さった刀身に心筋が絡みつき、内部からそれを絡め取ろうとする。


(武器が取られては……!)


 カグラは敵の身体に両足を付き、深く蹴り込むようにして強引に刃を引き抜いた。

 鮮血が噴き出すが、それすらも空中で意思を持ったように傷口へと戻っていく。


「これならっ……!」


 敵に決して主導権を渡さぬようにと、間髪入れずに神速の斬撃を繰り出す。


 次に狙うは異形の大元たる肥大化した左腕。

 根本から斬り飛ばしてみせるが、やはり伸びた無数の肉の根が瞬時にそれを接合する。


「無駄ダ……無駄ダァ……!!」


 もはや生物としての理屈が通じない。

 刺しても、斬っても、瞬きする間に元通りになる。


 それから更に、数十回は斬った。

 腕を飛ばし、足を断ち、あまつさえ首さえも刎ねた。


 だが、その全てが無駄だった。

 切断面から伸びる肉の根が、まるで磁石のように互いを引き合い、瞬時に癒着する。

 刃が通り抜けた瞬間には、入口の結合は既に始まっている。


(まさに、不滅の怪物か……)


 斬撃による物理的な破壊を、再生速度が凌駕している。

 これでは、いくら斬っても徒労に終わる。

 それどころか、こちらの体力が尽きれば、あの飢えた顎の餌食になるだけだ。


「村長殿! 正気に戻られよ!」


 カグラは大きく距離を取り、切っ先を向けながら叫んだ。


「貴方は村の長として、皆から慕われていたはずだ。過去の栄光など無くとも、今の貴方には十分な価値があったはず……! それを捨ててまで、何故そのような姿に成り果てた!」

「カチ……? 価値……ダと……?」


 カグラの言葉を聞いた怪物は、ピタリと動きを止め、不快そうに顔を歪めた。

 

「ソンな……モノは、イらナイ……! 欲シイのハ……あの『熱』ダ……! 剣ヲ振ルい……血ガ舞ッテ……喝采ガ……あノ……魂ガ震エルようナ……喝采ガァ……!」


 彼は天を仰ぎ、見えない観衆に向かって手を伸ばすように痙攣する。

 現在の平穏な幸福など、彼にとっては色のない世界でしかなかった。

 鮮血と悲鳴、そして勝利の咆哮だけが、彼にとっての『生』だった。


「俺ハ……英雄ナんだ……。老いボれジャ……ナイ……。動ケ……動ケよ左ィ……! マだ……戦エル……マだ……殺レルんだァアッ!!」


 会話になど、なっていなかった。

 彼の心はとうの昔に、過去という名の亡霊に取り殺されていた。

 目の前にいるのは、栄光の残滓へと縋る求道者の成れの果て。


「だから、ヨこセ……ソの、強靭ナ……左腕ヲォオッ!」


 怪物が跳躍し、丸太のように肥大化した左腕が風を切り裂いて振り下ろされる。

 カグラは大太刀の腹でそれを受け止めるが、凄まじい重量に膝が沈む。

 ギチギチと鍔迫り合いの音が響く中、怪物の口から涎が垂れ、カグラの頬を汚した。


「力……力が溢レてクル……ッ! コれだ……ワタシは、コノ強サを求メていたんダ……!」


 至近距離で見る村長の顔は、喜悦に歪んでいた。


 村の長としての地位。豊かな財産。人望。

 彼はその全てを持っていたはずだった。

 だが、それらは全て彼にとってはかつて失った栄光を誤魔化すためのものでしかなかった。


(……強さ、か)


 カグラは軋む大太刀で怪物を押し返しながら、自らの内側に問いかけた。

 強さを追い求めても、己が求める栄光に届かなかった者が目の前にいる。


(……似ているな)


 ふと、そんな想いが脳裏をよぎる。

 遥か高みにいるシオン・ラングモアの背中を追い、焦がれ、足掻き続ける自分。

 かつての栄光という幻影を追い、渇き、他者を貪る目の前の怪物。

 求めているものの形は違えど、己の在り方を『強さ』に委ねてしまった点において、両者は鏡合わせのような存在ではないか。


 もし、自分がシオンに届かず、刀を振るえなくなる日が来たら。

 その時、自分もまた、何か別のものを犠牲にして力にしがみつくのだろうか。


(嗚呼……なんと、哀れな……)


 湧き上がったのは、そうなってしまった哀れな者への同情心だった。

 しかし、そのような感情は戦闘において不純物以外の何でもない。


「ヨコせ……ヨコせよォ……ッ! オ前ノ肉ヲォ……ッ!」

「ぐっ……!」


 怪物の爪撃が、油断したカグラの身体を切り裂いた。

 致命傷ではないが、浅くもない傷からポタポタと血液が滴り落ちる。

 深手を追った彼女は体勢を立て直すため、一旦怪物から逃げるように距離を取る。


 強い。

 自分では勝てないかもしれないとの想いが、カグラの胸中に浮かび上がる。

 

 もし、自分が敗れれば、シオンは仇を取ってくれるだろうか……。

 いや、それはないな……とすぐに否定して、内心で苦笑する。


 シオン・ラングモアの武は純粋そのものだ。

 彼女の武は、ただどちらが優れているかを競うものであり、そこには善悪も好悪もない。

 もし私が破れたとしても、彼女はそこに何の意味も見出さないだろう。

 結果的に彼女がこの怪物を討つことになったとしても、そこに仇討ちの要素など一切ない。


「はぁ……はぁ……なんとか、距離は離せたか……?」


 大樹を背にして立ちながらカグラは、ある一つの事実を悟った。


 私は、シオンのようには成れない……。


 いや、私だけじゃない。

 眼の前のかつて人間だった怪物もそうだ。

 力を欲して、力に取り憑かれ、それでもシオン・ラングモアに至れなかった成れの果て。

 きっと、どれだけ焦がれても、私たちは彼女には成れないだろう。


 私の武は、彼女のそれほど純粋にはなれない。

 困っている人間がいるなら助けたいと思うし、今でさえ眼の前の敵と自分を重ねて同情してしまう。


「はぁ……はぁ……」


 カグラは呼吸を整えようと、背後の大樹に体重を預けた。

 その時、背中で支えた樹皮の感触に僅かな違和感を覚える。

 周囲の樹木に視線を向けると、月明かりに照らされた木々には、無数の傷が刻まれていた。


 それは怪物の爪痕ではない。

 もっと無骨で、泥臭く、何度も何度も叩きつけられたような斧傷だった。

 そして、太い幹の根本には、一本の錆びついた手斧が落ちていた。

 柄は折れ、刃はボロボロに欠けている。


 不意に、カグラの脳裏にコルトの言葉が蘇る。


『父ちゃんは逃げなかったんだ』

『森がダメになったら村のみんなが困るからって』


 カグラは悟った。

 ここが、コルトの父親の死に場所なのだと。


 彼は、この不死身の怪物と此処で遭遇した。


 当然、一介の木こりが勝てるはずもない。

 だが、彼は逃げずに戦ったのだ。

 怪物を村に……息子のもとへと行かせてはいけないと、この場所で、たった一本の斧で。


「オ……オォ……? ソコは……」


 追いついてきた怪物が、周囲を見渡してニタニタと笑う。


「懐カシいなぁ……。ソコで食った木こりハ……弱イくせニ、随分と往生際ガ悪カッた……」


 怪物の言葉に、カグラの胸中で燻っていた迷いが、静かに、だが激しく燃え上がった。


(……ああ、そうだ)


 私は彼女には成れない。

 純粋な強さを求めて、他の全てを切り捨てることなどできない。


 カグラはゆっくりと手斧を拾い上げ、そっと木の根元に立てかけた。


「不味イ肉だったケド……左腕だケは……ソこソコだったナぁ……」

「黙れ」


 カグラの声が、氷のように冷たく響いた。


 私の剣には、迷いがある。他者への情がある。

 だが、唯我と成らぬ強さに、価値はないのか?

 私がこれまで鍛え上げてきた強さに、意味はないのか?


 否、断じて否である。

 シオン・ラングモアに成れぬなら成れぬとして、不純なら不純なりに成せる武があるはず。

 押し付けられた偽りの『英雄』として、懐にある銅貨三枚分のことくらいはできるはずだ。


 カグラが、『コォォォ……』と肺の奥底まで届くような深い呼吸をし、大太刀を構える。


「ヒだリぃぃィィッッ!!」


 絶叫と共に、怪物がカグラへと向かって跳躍する。


「オン・マリシエイ・ソワカ!!」


 真言を紡いだ彼女の瞳に、もはや迷いはなかった。

 最初と同じように、横薙ぎの一閃が怪物の胴を両断する。


「無駄ダァ! 何度斬ロウと、ワタシはふめっ――」


 再生しようとした怪物の視界が、斜めにズレた。

 袈裟懸けに斬られたと認識するよりも早く、二撃目、三撃目が奔る。


「ガ、ア……ッ!?」


 怪物は即座に再生を試みる。

 切断面から肉の芽を伸ばし、強引に繋ぎ止めようとする。

 だが、それよりも早く、次の斬撃がその身体を断つ。


 無限に再生するのなら、それ以上の速さで無限に刻んでやればいい。


 双重の加護――可能性の自分を現実に重ね合わせる異能。


 カグラの大太刀が銀色の暴風となって吹き荒れる。

 切断された肉が再生とする刹那、その断面がさらに細かく断ち切られる。


 一秒に十閃。いや、百閃。

 物理法則も、生物学的な理屈も、全てをねじ伏せる純粋な速度の暴力。


 当然、術師への負担も尋常ではない。

 呼吸をする間もなく、筋繊維は断裂を続け、全身の魔力回路は焼き付く。

 それでも彼女は怒りと哀れみを原動力に、彼女は舞った。


 私はシオン・ラングモアには成れない。

 己の剣は不純で、感情的で、泥臭い。

 だが、その泥臭い執念こそが、今の彼女の刃を加速させていた。


「――――――ッッ!」


 発声器官をも細切れにされた怪物の、言葉にならない絶叫が響く。

 だがそれも、瞬く間に切り裂かれ、細切れの肉片となって空中に散っていく。

 再生速度を、破壊速度が完全に凌駕していた。


 無限の命など関係ない。

 斬って、斬って、斬って、斬り尽くす。


 やがて、肉の結びつきすら許されなくなったそれは、夜風に溶ける赤い霧へと変わる。


「はああああああッッ!!」


 限界を超えた最後の一撃が放たれる。

 渾身の気迫と共に振り下ろされた太刀は、実体の無い赤い靄を……しかし、確かな核心を斬り裂いた。


 残心。

 カグラが静かに息を吐き出すと同時に、全てが塵となって夜風に消え去った。

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