第5話:魔獣
「恨みますよ……本当に……」
また身の丈に合わない名声が、難事を運んできた。
ようやく人がいなくなった広場で、カグラはその元凶たる師に恨み言を漏らす。
「恨む? 何故だ? これで貴様も気兼ね無くあの少年に報いられるではないか」
本心を見透かされ、カグラは返す言葉を失う。
これで懐に仕舞い込んである数枚の銅貨に、後ろ髪を引かれることもなくなったのも確かだったからだ。
「貴方は、それでよろしいのですか? しばらく、この村に滞在することになりそうですけど」
「構わん。己も、少し気になることがあるからな」
そう言うと、シオンは迷いのない足取りでスタスタと村のどこかへと歩いていく。
一人残されたカグラは、はぁ……と大きな溜息を吐き出し、自分も歩き出した。
カグラにとって、魔物狩りの仕事は初めてではない。
シオンと出会う前、傭兵団に所属していた時にも何度か経験はあった。
魔物とは即ち、魔力を含有する獣の総称であり、個体によって様々な特性を持つ。
中には自分のような剣士では、なかなか相対するのが難しい特性を持ったモノもいる。
故に、まずは闇雲に森へ入るのではなく、情報収集を行うのが定石だ。
カグラは村を回り、住人たちに話を聞いて回った。
奇しくも、彼女が忌み嫌う『竜殺し』の称号のおかげで村人たちは協力的だった。
誰もが英雄の助けになろうと、競うように情報を差し出してくる。
「魔物が出るのは、決まって日が落ちてからだ」
「遠吠えのような声を聞いたことがあるが、獣のそれじゃない。もっとこう、苦しんでいるような……」
「数日前に森に入った狩人が、巨大な影を見たと言っていた」
集まった情報は『夜行性』であることと、『既存の獣とは異なる』ということ。
ある程度の情報を集め終えたカグラは、最後に再びコルトのもとへと足を運んだ。
「父ちゃんは、凄く強かったんだ!」
宿の裏手で薪割りの手伝いをしていたコルトは、斧を振り下ろしながら言った。
「熊だって一人で追い払うし、森の木を守るために、これまでだって何匹も魔物を倒してきたんだ。だから、ただの魔物なんかにやられるわけがない!」
まだ悲しみに暮れながらも、その声色には確信めいた力強さがあった。
「あの日も、父ちゃんは森の様子がおかしいって言って、見回りに行ったんだ。森がダメになったら村のみんなが困るからって」
少年の瞳に宿る、父親への誇りと、理不尽な喪失への怒り。
カグラはその小さな肩に手を置き、力強く頷いた。
「ああ、村のために一歩も引かずに戦ったその在り方……まさしく立派な武人だ。そなたの父が命を賭して守ろうとしたもの、この私が引き継ごう」
その言葉に、コルトは初めて微かではあるが笑顔の表情を見せた。
***
――その日の夜。
シオンとカグラの二人は、村長の好意により彼の邸宅に招かれていた。
通された客間は豪奢な造りだったが、どこか古びた匂いがした。
壁には巨大な熊の毛皮や魔物の角で作った賞牌が、所狭しと飾られている。
それらは栄光の証というよりは、時が止まった墓標のように、虚ろな眼窩で食卓を見下ろしていた。
「これらは全て、私が現役の冒険者だった頃に仕留めたものなんですよ」
夕食の席で、村長は杯を片手に、熱っぽく語り出した。
「洞窟の奥にいた巨大蜘蛛を退治した時は、本当に死ぬかと思いましたよ。毒液が雨のように降り注ぐ中、私はただ一人、剣一本で飛び込み……」
村長の話は止まらない。
古代の迷宮で罠にかかりながらも脱出し、金銀財宝を持ち帰った話。
凶悪な山賊団を単身で壊滅させた話。
その内容は確かに勇壮だが、何年も何十年も反芻されすぎて、手垢に塗れた古書のようなカビ臭さを伴っていた。
カグラやシオンのみならず、家人たちも聞き飽きたとうんざりするような武勇伝を何度も繰り返した。
「ふむ、この肉は悪くないな」
シオンは村長の武勇伝など雑音程度にしか思っていないのか、給仕された肉を頬張っている。
一方のカグラは相槌を打ちながらも、妙な居心地の悪さを感じていた。
眼の前の老人が求めているのは会話ではなく、かつての自分を知って欲しいという承認欲求だった。
「あの頃の私は、今の貴方たちのように全身に気力が満ち溢れていた……強く、逞しく……皆から頼りにされて……」
村長は懐かしむように目を細める。
だが、ふと視線を落とした瞬間、その表情が一瞬にして曇った。
視線の先にあるのは、テーブルの下にだらりと垂れ下がった動かぬ左腕。
彼はそれを右手で強く、爪が食い込むほどに握りしめた。
「だが、金等級への昇級を目前にして……こんな怪我を……。たった一度の不覚、たった一箇所の傷……それだけで、私は全てを失った……」
ギリギリと、布越しに肉をえぐる音が聞こえそうなほど力が込められる。
「村長殿……」
「おっと、すまない……年寄りの繰り言だ。忘れてくれ」
我に返った村長は、急ごしらえの笑顔を貼り付け、ワインを一気に煽った。
だが、その濁った瞳の奥には、消えることのない執着の炎がドロドロと燻っているのが見えた。
老いと障害を受け入れられず、過去という牢獄に自らを繋ぎ止める妄執。
(……哀れだな)
そう切り捨てようとして、カグラは言葉を飲み込んだ。
力への過ぎたる執着などは捨てた方がいい。そう諭すことは簡単だ。
だが、今の自分にそれを言う資格があるだろうか?
シオン・ラングモアという絶対的な『力』に魅入られ、その影を追い続けている自分。
もし自分も、志半ばで刀を振るえぬ体になったとしたら……果たして、潔く諦められるだろうか。
目の前の老人の姿が、あり得るかもしれない未来の自分の姿と重なる。
カグラは自身の胸に巣食う闇を覗き見たような気分になり、ただ黙って、苦い茶を喉に流し込んだ。
***
――二人が食事を終えた深夜。
静まり返った屋敷の一室で、カグラは床にあぐらをかき、瞑想していた。
集めた情報によれば、敵が姿を現すのは決まって日が落ちてから。
ならば、今夜あたり動きがあるかもしれない。
脳裏をよぎるのは、昼間に会った奇妙な女の言葉だ。
『無限の生命力を持つ生物』――神獣。
単なる御伽噺だと切り捨てたいところだが、あの女の底知れない瞳を思い出すと何故か胸がざわつく。
もし、この森に潜んでいるのがただの魔物ではなかったとしたら……。
いや、邪念だ。相手がなんであろうと、私はただ斬るだけ。
カグラは深く息を吐き出し、雑念を払う。
そうして感覚を研ぎ澄ましていた彼女の耳が、ふと微かな物音を捉えた。
立ち上がり、窓辺から音の聞こえた方を見下ろすと、森の方へと歩いていく人影が見えた。
「あれは……村長殿?」
暗闇で顔こそ見えないが、左足を引きずるような独特の歩法で分かった。
こんな深夜に、魔物が出ると噂される森へ何をしに行くのか。
胸騒ぎを覚えたカグラは、大太刀を掴むと窓から音もなく飛び去り、影の後を追った。
森の中は、不気味な死の気配と、咽せ返るような血の匂いに満ちていた。
カグラが慎重に足跡を辿っていくと、開けた場所に出る。
そこには無惨な獣の死骸がいくつも転がっていた。
「これは……」
カグラは顔をしかめる。
狼や猪――種類は様々だが、共通点があった。
どの死骸も、『左半身』だけが綺麗に消失していたのだ。
まるでそこだけが抉り取られたかのように。
カグラは月明かりを頼りに更に奥へ、血の匂いの源へと向かう。
そうして、どのくらい進んだ頃だろうか。
不意に進行方向から風の音とはまるで違う、妙な音が聞こえてきた。
ピチャ……ピチャ……。
何かを啜るような不気味な水音。
雲間から月が顔を出し、その光景を照らし出した。
そこには、巨大な猪の死骸に覆いかぶさり、一心不乱にそれを貪り食う人影があった。
「村長……殿?」
カグラの声に、影がビクリと震え、ゆっくりと振り返る。
その姿を見た瞬間、カグラは息を呑んだ。
口元を鮮血に染めた村長が。
だが、その身体はもはや人のそれではない。
動かなかったはずの左半身が、異常な程に肥大化していた。
服を突き破り、黒い剛毛と鱗に覆われた腕が、丸太のように膨れ上がっている。
その目は焦点が合わず、どこか遠くを見つめているようであった。
「あ……あ、あァ……アマギリ、殿ォ……」
村長は濁った瞳でカグラを見つめ、恍惚とした笑みを浮かべた。
「何を……されているのですか?」
「んんン? 知らナイノデスか……? ドウぶツ……どウチ……。ワルイ……ブブンを治スには……オナジ……ブブンを、食ベレバいいと……」
「村長殿、貴方は何を……」
「オカげデ……ほラ、見テ……見テくだサイ……! ウゴく……ウゴくんデス、左が……力が……ミナギって……クルんですゥ……!」
彼は異形と化した左腕を掲げ、子供のようにはしゃいだ。
その声は次第に低く、湿った獣の唸り声のように歪んでいく。
「デも、まダ足リナイ……! ケダモノの肉ジゃあ、ナジみがワルイ……! モッと……モッと上質ナ……ニンゲン……強靭ナ……センシの肉ナらばァあッ!!」
肉体が隆起し、人間から獣へと変貌していく。
歪んだ欲望が肉体を支配し、彼は涎を撒き散らしながらカグラへと向き直った。
「あとナン匹か……イや、其処ニあル……極上ノ肉ナら……一匹デも……トリ戻セるゥううう!!」
村長が地面を蹴った。
不自由だった足取りが嘘のような速度で、獲物へと肉薄する。
完全に正気を失った獣の一撃。
カグラは瞬時に反応し、腰の大太刀を抜いた。
「――しっ!」
銀閃が夜闇を走る。
飛びかかってきた村長の胴を、横薙ぎの一閃が捉えた。
ドサッ、と重い音が一転して静かな森に響く。
村長だったモノの身体は腰のあたりで両断され、上半身と下半身が別々に地面へと落ちた。
「はぁ……はぁ……」
カグラは残心を解かず、転がった上半身を見下ろした。
まさか例の魔物の正体が村長だったとは……。
村人に、一体なんと説明すればいいのか。
苦い思いが胸に広がるが、とにかく証拠として遺骸を持ち帰るしかない。
カグラは観念して、両断した身体の方へと向き直るが……。
「なっ……!?」
カグラの目が驚愕に見開かれる。
ない。
今しがた切り落としたはずの遺体が、どこにもなかった。
それを認識した直後、彼女の左肩に焼けるような激痛が走った。
「――ッッ!!」
カグラが悲鳴を上げて横を見ると、そこにはあり得ない光景があった。
完全に仕留めたはずの獣が、自分の左肩に噛みついていた。
両断したはずの胴体からは無数の肉の根のような触手が伸び、下半身を手繰り寄せて今まさに接合しようとしていた。
「効ックぅぅッ……! 染みワタるぅぅッ……! イイ肉、だアッッ……!!」
「離れろッ!」
カグラは激痛に顔を歪めながら、柄頭で獣の顔面を殴りつけ、強引に引き剥がした。
肩の肉がごっそりと食いちぎられ、鮮血が舞う。
距離を取った彼女の前で、異形の身体はボコボコと波打ちながら元の形へと戻っていく。
死なない。斬っても、死なない。
形ある生命は斬れば死ぬ、という当たり前の常識が通用しない。
ふと、カグラに脳裏に過ぎったのは昼に聞いた言葉だった。
『そして、第三の布告では『神獣』と呼ばれる無限の生命力を持つ生物を生み出したの』
まさか、そんなものはお伽噺の中の話だ。
そう否定する彼女の前で、かつて人間だった獣は血に濡れた口元を歪めて嗤っていた。




