第4話:魔女
「貴様が魔女か?」
「……はい?」
魔女と呼ばれた女は、シオンの問いかけにきょとんと小首を傾げた。
だが、シオンはお構い無しに大きく一歩踏み出し、更に言葉を紡ぐ。
「貴様は、人を蛙に変えられるのか?」
「えーっと……」
「できるのであれば、今すぐ己を変えてみろ。蛙の身体を試してみたい」
目に『本気』と書いてあるような大真面目な口調で迫るシオン。
そんな彼女に対して、女は目をきょとんと丸くさせたと思えば――
「あっはっは……!」
口を手で覆いながら、心底可笑しそうに大きな声で笑い出した。
「何が可笑しい?」
心外だと言わんばかりに眉を顰めるシオンに、女は目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら答える。
「だって、あまりにも突拍子もないことを大真面目な顔で言うから……最近、童話でも読んだのかしら? もうそんな年でもなさそうだけど」
「笑い事ではない。己は至って真剣に――」
「も、申し訳ありません!」
二人のズレた会話に、カグラが割って入った。
彼女は女に向かって、深々と頭を下げる。
「ご無礼をお許しください。私の師は少々……その、世間の常識に疎いところがありまして」
「面白いお連れ様ね。でも、残念だけど、私は人をカエルに変えるなんてできないわ」
女が持っていた本を机の上に置いて、残念でしたとばかりに言う。
「おい、どういうことだ?」
話が違うではないか、とシオンがカグラを睨む。
「そ、それはその……」
居心地が悪そうに、視線を泳がせるカグラ。
シオンの興味を惹く為に適当な言葉を並べただけ。
それもまさか最も苦し紛れに発した言葉に、そこまで興味を持たれるとは思ってなかった。
……とは、今更になって言い出しづらかった。
「それで、わざわざ私のことを訪ねに来たのは、カエルにしてもらいたかっただけ?」
「いえ、蛙の方は……あくまで、そのついで、というか……」
カグラは未だ不満げな顔をしている師を横目に、居住まいを正した。
ここからは真面目な話だと、努めて冷静に、しかし鋭い眼光を隠して問いかける。
「実は貴方にお尋ねしたいことがありまして」
「私に?」
「ええ、数ヶ月前のことです。この近くの森で村人が一人、亡くなっているのが発見されました。木こりの男性です」
カグラは相手の表情の変化を見逃すまいと、言葉を慎重に選ぶ。
「遺体の損傷が極めて激しく、村では魔物の仕業ではないかと噂になっています。この森に住んでいる貴方なら、当時何か不審な気配を感じたり、あるいは何か目撃されたりしていないかと思いまして」
容疑者扱いはせずに、あくまで目撃者探しの体裁でカグラは尋ねた。
対して女は、驚いたように目を丸くした後、悲しげに眉を下げた。
「あら、そうなの……それはお気の毒に……」
「何か、心当たりは?」
「いいえ、残念ながら何も。ここには数ヶ月滞在しているけれど、そんな話は初耳だもの。村の人ともほとんど接触はないし」
女は困ったように肩をすくめ、首を横に振った。
「力になれなくてごめんなさいね。でも、私には全く心当たりはないわ」
その言葉にも、表情にも、嘘偽りがあるようには見えなかった。
動揺した様子もなく、ただ純粋に、自分の知らないところで起きた不幸を悼んでいるように見える。
だが、だからといって完全に警戒を解くわけにはいかない。
「……そうですか。変なことをお聞きして申し訳ありません」
カグラは一度頭を下げて謝罪の意を示してから、スッと視線を上げた。
「では、最後にもう一つだけ。貴女は、たった一人で数ヶ月もこの森に籠もり、一体何をされているのですか?」
「私? 私はただ、『布告』の調査をしているだけよ」
「布告……ですか?」
聞き馴染みのない単語に、カグラは首を傾げる。
しかし、その隣ではシオンがピクッと眉を動かした。
「それは神なる輩が、地上に齎したと言われているやつか?」
「あら、知ってるの? 若いのに感心ね」
「ああ、奴に関することは随分調べたからな」
シオンの言葉にカグラが驚く。
それが神話の中の神とはいえ、彼女が一対象に興味を示す姿は非常に珍しかった。
唯一の例外がカノンだけかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「ここにはね、『第三の布告』の痕跡が今も色濃く残っているの。そちらの剣士さんは、『第三の布告』で地上に齎されたのが何かは知っている?」
女はまるで、教壇に立つ教師のようにカグラを示して尋ねる。
「い、いえ……某は異国の出身故に、他国の宗教には疎く……」
「神は第一の布告で地上に生命を創造し、第二の布告で人類に加護を与えた」
加護、の言葉にカグラは自らの手甲の内側にもある聖痕を見る。
「そして、第三の布告では『神獣』と呼ばれる無限の生命力を持つ生物を生み出したの」
「ほう……そいつは今もどこかで生きてるのか?」
神に繋がる何らかの手がかりになるやもしれぬ。
そう思って尋ねたシオンに、女はニコッと朗らかな笑みを浮かべて――
「……なんて、そんなのお伽噺。本当にいるわけないじゃない」
……と、笑い飛ばした。
「私は魔女じゃなくて、単なる考古学者。ここには古い魔力の残滓が残ってるから調査に来ただけ。人が殺されたなんて、本当に知らなかったわ」
先程までの異様な雰囲気から一転、悪びれる様子もなく肩をすくめる女。
ただ、嘘をついているようには見えなかった。
少なくとも、コルトの父親を直接殺したような殺気も血の匂いもしない。
これ以上ここにいても得られるものはないだろう、とカグラは判断した。
「左様ですか。突然の押しかけにも拘らず、丁寧に答えて頂いて感謝する」
「いえいえ、私も人とお話するのは久しぶりだからちょっと意地悪しちゃったかも」
クスクスと子供のように笑う女。
悪意があるような人物には見えないが、カグラにはそれが逆に不気味に映った。
「では、某らはこれにて失礼させて――」
「ところで貴方、右の脇腹……肝臓の辺りを痛めてない?」
早急にこの場を立ち去ろうとしたカグラの足が止まる。
「何故、そう思われた?」
「顔色と歩き方が少し不自然だったから」
何気なく言う女に、カグラはまたも不気味さを覚える。
それは以前の鍛錬の際に痛打し、今もまだ多少の違和感が残っている部位だったからだ。
「『同物同治』って、ご存知?」
「同物、同治……?」
「そう。身体の悪い部分を治すには、それと同じ部分を食べればいいの」
女は懐から干し肉のような乾燥した何かを取り出し、カグラに差し出した。
「これ、乾燥させた獣の肝臓。煎じて飲むとよく効くわよ。話相手になってくれたお礼にあげる」
「……いや、結構。其れ程、ひどい怪我でもない故」
カグラは即座に拒絶した。
親切心からかもしれないが、武人として、得体の知れないものを口にするわけにはいかない。
何より、その笑顔の裏に、何か不気味なものを感じたからだ。
「そう、残念」
女はあっさりと手を引き、ニコッと朗らかな笑みを浮かべる。
「でも、貴方は賢いわね。魔女の提案は断るのが正解。喩え、それがどんなに魅力的なものでも本人の望み通りの形で叶えられるとは限らないから……なんてね」
***
村へと戻る道中、カグラはずっと狐につままれたような気分だった。
結局、あの女は何だったのか。
ただの風変わりな学者なのか、それとも本当に魔女なのか。
釈然としない思いを抱えたまま、村まで戻ってきた二人に誰かが声をかけてきた。
「おお、戻られたか! 良かった良かった!」
カグラが声の方向へと視線を向けると、そこには杖をついた初老の男が立っていた。
男はカグラの姿を見るなり、不自由な左足を引きずりながら駆け寄ってきた。
身なりの良い服を着ているが、その瞳には隠しきれない興奮の色が宿っている。
「失礼ながら、某は其の方を存じ上げないのだが……どなただろうか?」
「おお、これは失礼した! 私は、この村の長を務めている者です」
「村長殿、ですか」
「いかにも。先程、宿の女将から聞きましてな。身の丈程もある大きな太刀を携えた、凛々しい女性の剣士が昨晩泊まったと」
村長は熱っぽい視線をカグラの背負う大太刀、そして彼女の全身へと這わせる。
「その特徴に、その佇まい……まさか、あの『竜殺し』のカグラ・アマギリ殿ではありませんか?」
ズバリと名を言い当てられ、カグラは僅かに眉を動かした。
隠しているわけではないが、その称号は彼女にとってあまり好ましいものではない。
「……確かに、そう呼ばれることもありますが、それが何か?」
「おお……! やはり、やはりそうでしたか!」
カグラが肯定するや否や、村長は感動に打ち震えたように声を上げた。
彼は不自由な左足を引きずりながら一歩詰め寄ると、カグラの右手を握りしめた。
「まさか本物の英雄にお目にかかれるとは! 長生きはするものですな!」
「は、はあ……」
あまりの勢いに、カグラは少し引き気味に応じる。
村長の視線は彼女の身体に、粘りつくように注がれていた。
「素晴らしい……なんと若々しく、強靭な肉体だ……。それに比べてこの私は……」
村長はふと我に返ったように手を離すと、自身の動かない左腕を忌々しそうに擦った。
「私もかつては剣を取り、冒険者として練磨していた時期があったのですが……十七年前、魔物との戦いで大怪我を負って以来、この有り様です……本当に、羨ましい……と、失礼した」
彼は興奮しすぎた自らを自嘲すると、今度は村中に向けてよく通る大声で呼びかけた。
「皆の衆! 喜べ! このお方こそ、あの伝説の『竜殺し』……カグラ・アマギリ殿だ!」
その一言は、静かな朝の村に雷のように響き渡った。
足を止めた村人たちが、ざわめきながら二人に注目する。
「竜殺し?」
「竜殺しだって」
「知ってる! 前に旅の人が話してた!」
「はえ~……あの大きな太刀で竜を斬ったんかい……」
村長の呼びかけを皮切りに、次々とその存在が村中に伝播していく。
しかし、一方のカグラは『また、こうなるのか……』と、ひどく居心地の悪さを覚えていた。
「そ、村長殿……あまり大きな声で……」
「何を仰る! 英雄が来たとなれば、村を挙げて歓迎せねばなりますまい!」
制止しようとするカグラの言葉を遮り、村長はさらに熱弁を振るう。
その騒ぎを聞きつけたのか、宿の女将やあの少年コルトまで顔を出してきた。
瞬く間に、二人の周りには人集りができてしまう。
「英雄様! どうか俺たちを助けてくだせえ!」
一人が声を上げると、堰を切ったように懇願の声が次々と上がる。
「森に化け物がいるんだ! このコルトの親父さんも殺されちまった!」
「あの森で伐れる木は質が良くて、街でも高く売れるんだ。だが、化け物のせいで森に入れねえ!」
「このままじゃあ、村のみんなが飢え死にしちまう……頼む! あの森の魔物を退治してくれ!」
口々に訴える村人たち。
ここまで外堀を埋められてしまっては、義に厚い彼女に断るという選択肢は残されていなかった。
「……分かりました。そこまで言われるのであれば、その魔物退治の依頼、この天霧神楽がお引き受け致す」
彼女の言葉に、周囲から『おおっ!』と歓声が上がる。
困り果てて狼狽えるカグラの隣で、元凶たるシオンはただ『くくく……』と笑っていた。




