第24話:友
「――はあああああああっ!!」
カノンの裂帛の気合と共に、大気が悲鳴を上げた。
突き出された小さな掌から、奔流のような魔力が放たれる。
媒介による変換も、詠唱による制御もない。
ただ極めて純粋な破壊のエネルギーが、扇状に広がりながらシオンへと殺到する。
それは凡百の魔術師が見れば卒倒するほどの出力を持つ、文字通りの『力の暴力』だった。
魔力そのものが物理的な質量を持ち、空気摩擦で熱を発している。
だが、それを迎え撃っているシオンは動じない。
「遅い」
一言。
シオンは迫りくる力場を悠々と回避すると、爆風の中を疾走した。
速い。目で追うことすら困難な神速の足運び。
「まだっ……!」
カノンは歯を食いしばり、デタラメに腕を振るう。
彼女は、基本的な術理を何も知らない。
魔力を変換し、炎を発する、風を吹かせる、水を氷へと変える。
そのようなことは何も学んでこなかった。
彼女が今相対する人物から学んできたのは、強者の在り方とその精神性だけ。
少しでもそこに届きたい一心で、自身の魔力を形にして叩きつける。
不格好でも、洗練されていなくても、魂の叫びをそのまま形にしたような攻撃。
木々が消し飛び、地面が抉れる。
だが、当たらない。
シオンは風に舞う木の葉のように、カノンの猛攻の隙間を縫って近づいてくる。
見て! 私を見て!
カノンは泣き出しそうな心を必死に抑え込み、魔力を練り上げていく。
あんなに弱かった私が、ここまでできるようになった。
全身から湧き出る魔力の奔流に、亜麻色の髪の毛が高く持ち上がっていく。
全部、シオンちゃんのおかげ。
シオンちゃんがいたからここまで来られた。
だから、私の全部を受け取って欲しいと、ありったけの魔力を込める。
「いっけええええええッ!!」
突き出されたカノンの両手から太陽のような光が溢れ出した。
視界の全てを白く塗りつぶす極大の閃光。
森の一角を消滅させるほどのエネルギーが、至近距離のシオンを飲み込……んだかに思えたその瞬間――
「……芸がない」
冷徹な声と共に、閃光が弾かれた。
シオンは素手で、魔力の塊を物理的に殴り飛ばして軌道を逸らした。
轟音と共に光が空へと抜け、雲を散らしていく。
魔力だろうが光だろうが、世界に在るのであれば拳で砕ける。
それが彼女の理屈だった。
「あっ……」
カノンの膝から力が抜けた。
魔力切れ。
視界が霞み、指一本動かせない程の脱力感が全身を襲う。
彼女が糸が切れた人形のように、地面へと崩れ落ちた。
土の冷たさを頬に感じながら、カノンは薄めを開ける。
目の前には、傷一つないシオンが立っていた。
彼女は冷ややかな瞳で、泥に塗れたカノンを見下ろしている。
「……弱いな、貴様は」
その言葉は、どんな攻撃よりも深く、カノンの胸を抉った。
全く、届かなかった。
全力で戦った。出会った時は戦うことすら考えなかった相手に全霊をぶつけた。
なのに、全く届かなかった。
「覚悟も、技術も、力も。何もかもが全く足りん」
シオンは興味を失ったように、背を向けた。
「己と並び立ちたいとほざくには弱すぎる。今の貴様になど、視線を向ける程の価値もない」
遠ざかっていく背中。
カノンは地面の土を握りしめた。
悔しい。悲しい。情けない。
様々な感情が涙となって溢れ出し、彼女は幼い子供のように声を上げて泣きじゃくった。
***
――森の出口付近。
カノンから十分離れたところで、シオンは足を止めた。
「見ていたのか、趣味が悪い」
シオンが虚空に向かって言葉を発すると、木陰からカグラが姿を現した。
「……随分と、お優しいですね」
カグラは師の横顔を見つめ、静かに言った。
「優しい? 貴様の目は節穴か?」
シオンは心底不愉快そうに鼻を鳴らす。
「己はただ、事実を事実のままに告げただけだ。そこに優しさなど含めていない」
「……私は、貴方にそこまでさせるあの子が羨ましい」
心からの本音を吐露するカグラ。
それでもシオンは何も答えず、ただ黙って森の外へと歩き出した。
***
数日後、村の入口には一台の立派な馬車が停まっていた。
王都への旅立ちの日、カノンの見送りに村中の人々が集まっていた。
「カノン、身体に気をつけるんだよ」
「辛くなったら、いつでも帰ってきていいんだからね」
村長夫妻が涙ながらに、カノンの手を握る。
その横では、ガンツ・ボルツが我が者顔で声を張り上げていた。
「流石は我が村の誇りよ! 王都に行っても、このボルツ家の加護があることを忘れるなよ!」
息子のドランが彼女のことをいじめていたことなど、完全に記憶から抹消されているらしい。
カノンは苦笑いしながらも、丁寧に頭を下げた。
それからも多くの村人が彼女に別れの挨拶をしにきた。
しかし、彼女の目線は常にそれとは違うものを探し続けていた。
人混みの中、建物の陰、森の入口。
どこを探しても、あの銀色は見当たらない。
……そう、だよね。来るわけ、ないよね。
胸の奥がチクリと痛む。
カノンは寂しさを隠すように明るく振る舞い、ギルバートに促されて馬車へと乗り込んだ。
馬車が動き出す。
見慣れた村の景色が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
車内に沈黙が流れる中、向かいに座っていたギルバートが眼鏡を拭きながら口を開いた。
「面白い友人を持ったな」
「え?」
カノンは顔を上げた。
ギルバートは、穏やかな瞳でカノンを観ている。
「どういう、意味ですか……?」
「四日前の夜、彼女が私のもとを訪ねてきた。銀髪の……シオンと言ったか」
彼の言葉に、カノンが息を呑む。
それは、彼女が突き放されたあの日の夜のことだった。
「彼女は私にこう言ってきた。もし拒否された場合は引きずってでも、カノンを王都に連れて行って欲しい。自分は魔法のことをよく分からないから、これ以上教えられることはない。だが、こんなところで腐らせるわけにはいかない。あれは今は軟弱だが、いずれは己を超えるかもしれないの才を持っている……とね」
ギルバートは苦笑しながら首をすくめる。
「断れば、その場で私に殴りかかってきそうな気迫を携えていたよ。実際、『もし貴様の教育が至らぬせいで、あれの才が潰えるようなことがあれば、地の果てまで追いかけて殴りに行く』と脅された。本当に、めちゃくちゃな友人だ」
カノンの瞳から、堪えていたものが溢れ出しそうになった。
『弱い』と言われた。『視界に入れる価値もない』と言われた。
けれど、彼女は誰よりも私の可能性を信じていてくれた。
強くなって、出直してこい。
あの言葉は拒絶ではなく、再会の約束だった。
いつか強くなって、その時にこそ、貴様が己を倒しに来いと。
「……はいっ!」
カノンは涙をぐっと堪え、遠ざかる村の空を見上げた。
泣かない。もう泣かない。
次に会う時は、貴方と相対しても恥ずかしくない『友』になっているために。
***
――西の森。
主の片割れを失った空間で、シオンは一人佇んでいた。
風が彼女の銀髪を揺らす。
その視線は遥か彼方、ここではないどこかへと向けられているようだった。
「……己もそろそろ、潮時か」
シオンは誰に聞かせるでもなく呟くと、森の奥へと歩き出した。




