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第23話:決別

『今一度、明確に言わせてもらう。己は、貴様を『友』などと思ったことは一度もない』


 深夜、月明かりが差し込む自室のベッドで、カノンはその言葉を何度も反芻していた。


 昼間はショックのあまりに泣きじゃくってしまったけれど、今はもう涙も枯れ果てていた。

 残っているのは、胸にぽっかりと空いた穴と、心臓を握りつぶされたような冷たい痛みだけ。


 カノンは膝を抱え、窓の外に広がる静寂な村の風景を見つめる。


 村での生活は穏やかで、幸せだった。

 村長夫妻は、孤児の自分を本当の孫のように愛して、ここまで育ててくれた。

 一部には自分を見下す嫌な人たちもいたけど、多くの人たちは温かい。


 最近ではシオンと合わせて『二人小町』などと呼ばれ、十六歳を目前に近隣の村の網元や商家の息子から、気の早い縁談の話さえ舞い込んできている。

 このまま村に残れば、きっと普通の、ありふれた幸せが待っている。


 恩義のある村長夫妻に報いて、誰かと結婚して、子供を産んで、この平和な景色の中で穏やかに年を重ねていく。

 それはとても温かくて、尊い道だ。決して、間違いなんかじゃない。


 でも……と、カノンは別の情景を思い浮かべる。

 それはずっと追いかけてきた、あの銀色の背中。


 どんな強大な敵を前にしても決して揺るがない、圧倒的な強さ。

 誰にも媚びず、誰にも頼らず、己の足だけで大地に立つ孤高の姿。


 そして、一緒に修行をした日々。

 初めて魔法の制御に成功した時の、あの魂が震えたような高揚感。

 自分の内側から溢れ出る力が、世界を変える感覚。

 あの背中に少しでも近づけたかもしれないと思った瞬間の、胸が焦げるような喜び。


 普通の道にはきっと、それはどこにもない。


『自分の道くらい、自分で決めろ』


 あの言葉に含まれていたのは、単なる冷酷さだけではない。

 このまま『一人の少女』として生きるのか、それとも自分の意志で歩む『カノン・ベリス』として生きるのか。


 選択を迫られていたのか。

 そして、カノンの心は既に答えを何度も何度も叫んでいた。

 

 迷いなど、あるはずもなかった。


 カノンは何かを振り切るように、ベッドから跳ね起きた。

 机の引き出しから便箋を取り出し、震える手でペンを握り、インクを付ける。


 友達じゃなくてもいい。嫌われてもいい。

 それでも、私は貴方に認めて欲しい。

 ただ、貴方の背中を追う資格が欲しい。

 何も言わず、このまま去ることなんて、私にはできない。


 もう迷わないと、彼女は一文字ずつ、魂を込めて文字を綴った。


 ***


 ――翌朝、朝日が昇り始めた頃。


 「……シオン」


 シオンが日々の鍛錬へ向かおうと家を出ると、そこにはカグラが立っていた。

 彼女がこうしているのはいつものことだが、今日は普段にも増して深刻な、悲壮感すら漂う表をしていた。


「カノンから、これを預かりました。貴方に渡して欲しい、と」

「ほう」


 シオンが手を伸ばし、差し出された一枚の紙片を受け取る。

 彼女は無造作に封を開け、中の便箋に走る筆跡を一瞥すると――即座に、その場で細切れに破り捨てた。


 ビリビリと乾いた音が、朝の静寂に響く。


「……行かれるのですか?」


 カグラが、恐る恐る尋ねる。


 彼女は手紙の中身を確認してはいない。

 ただ、そこに込められた尋常ではない想いを、確かに感じ取っていた。


「これは(おれ)彼奴(あやつ)の問題だ。貴様には関係ない」

「……ですが、彼女はまだ弱い。肉体的にも精神的にも、貴方と相対できる域にありません」


 カグラの声には、隠しきれない焦燥が滲んでいた。


 確かにカノンの才は、いずれ歴史を塗り替えるであろう程に図抜けている。

 それでも、シオン・ラングモアという理外の存在に比べれば、まだ赤子と巨竜以上の差がある。

 両者を最も近くで見てきた彼女だからこそ、その無謀とも言える自殺行為を止めなければならないと考えていた。


「それを、今から確かめに往くのだろう」

「ですが……!」

「余計な口を挟むな」


 シオンの一喝が、カグラの言葉を断ち切った。


 振り返ったシオンの瞳。

 そこに宿っていたのは、慈悲でも、敵意でもない。

 ただ、対等な一人の『武人』として彼女を見る冷徹で美しい光だった。


「彼奴は覚悟を決めた。己の未熟さを知りながら、それでも挑むと決めたのだ。その覚悟に泥を塗るつもりか?」

「っ……」

「ならば、武を以て迎え撃つのが礼儀であり、己の役目だ」


 シオンの研ぎ澄まされた刃のような意志に貫かれ、カグラは言葉を失った。

 止めることは、カノンへの侮辱にもなる。

 そう理解してしまえば、彼女にはもう、師の背中を見送ることしかできなかった。


 ***


 ――三時間後、西の森。


 そこは、単なる決闘の場ではない。

 雨の日も風の日も、毎日欠かさず足を運び、五年という歳月を修行に費やした場所。

 焼け焦げた木々、削れた地面、その一つ一つに二人の時間が刻まれている、思い出の庭。

 

 そして今、その場所で二人は対峙していた。

 

 一人は、カノン・ベリス。

 杖も、魔導書も、何一つとして持たない異端の魔法使い。


 その小さな身体は微かに震えている。

 恐怖か、あるいは武者震いか。

 だが、瞳だけは逃げずに真っ直ぐ前を見据え、内に秘めた莫大な魔力は、彼女の決意に応えるように渦を巻いていた。


 もう一人は、シオン・ラングモア。

 武に生まれ、武を目指し、武を収めた究極の求道者。


 殺気はなく、構えもない。

 ただ自然体に佇んでいるだけ。

 にも拘らず、そこには天を衝く巨山のような圧倒的な圧力が存在していた。


 風が止まる。

 鳥の声が消える。

 世界が、二人だけを残して色を失っていく。


 言葉はもう、要らなかった。

 必要なのは互いがこれまでに積み重ねてきた、『全霊』のみ。


 合図はない。

 大樹から枯れた葉が落ちたのと同時に、両者の呼吸が重なる。


 それは終わりであり、始まりの合図。

 二人の決別を意味する、決戦が幕を開けた。

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