第22話:推薦
「……いつまで覗いているつもりだ?」
シオンの涼やかな声が、森の静寂を切り裂いた。
カノンが不思議そうに首を傾げる中、茂みの陰からギルバートが観念したように姿を現す。
「……気づかれていたか。気配は完全に殺していたつもりだったのだが」
ギルバートは驚きを隠し、眼鏡の位置を直しながら努めて冷静に歩み寄る。
彼は怪しいものではないと両手を軽く上げて見せ、その視線をシオンではなくカノンへと固定した。
「さっきの力は、君の魔法かい?」
ギルバートはなぎ倒された巨木を示しながらカノンに尋ねる。
対して彼女は、困ったようにシオンの方を見た。
シオンは少々面倒そうにしながらも、カノンに代わって口を開く。
「質問するなら、まずは自分の素性を明かすのは筋ではないか?」
「これは失礼した。私はギルバート・フォン・アイゼン。王立魔法学院で、『基礎魔法学』の教授を務めている。あとは第三王子の使い走りなども少々」
「お、王立魔法学院の教授……!?」
突如現れた不審な男性の自己紹介に、カノンが手を口に当てて驚愕する。
嘘かと疑ったが、男性が同時に差し出したものが真実だと告げていた。
学院の卒業生にのみ授与される、白亜の懐中時計。
書物の中で知識としてだけ知っていたその現物が今、彼女の眼前にあった。
蓋には王家の紋章である『双頭の鷲』が刻印され、魔力を帯びて淡く発光している。
「なんだそれは? 有名なのか?」
シオンが心底どうでも良さそうに首を傾げる。
カノンは信じられないものを見る目でシオンを見上げ、そのすごさを力説し始めた。
「ゆ、有名なんてもんじゃないよ! 魔法を学んだ人なら誰もが憧れる最高学府! 宮廷魔術師の人だって、殆どがそこの出身で、入試倍率は100倍以上! 私たちみたいな平民が入れることなんて滅多になくて……とにかく、本当に優秀な人じゃないと入れないすごい場所なんだから!」
興奮して捲し立てるカノンを他所に、シオンは『ふむ……』と顎に手を当てた。
普段の彼女なら『興味ない』と切り捨てるところだが、珍しく一定の興味を持っているようだった。
「つまり、其処に行けばより高みへと登れるということか」
「う、うん……魔法のことなら一番の近道だと思う」
「左様か。それで、そのような者が此奴に何用だ?」
シオンの鋭い視線を受け、ギルバートは眼鏡を中指で持ち上げた。
「時間は有限だ。私は長い話を好まない。単刀直入に言わせてもらおう」
ギルバートはカノンに向き直り、宣言する。
「君、私の助手として学院に来ないか?」
「えっ……?」
「正規の入学試験を受ける必要はない。私の持つ推薦枠で、特別聴講生として招き入れる」
「すいせ……えええええッッ!?」
自分の耳を疑うような言葉に、カノンが森全域に響くような叫び声を上げた。
「基本的には私の助手として働いてもらうが、それ以外の時間は好きに学んでくれて構わない。学費や生活費の心配も無用だ。全て私が持とう」
「えっ、えぇぇ……ど、どうして私が……ほ、本当ですか……?」
次々と発せられる夢のような言葉に、カノンは目を白黒させ、口をパクパクと開閉させる。
単なる村娘である彼女にとって、それは天から降ってきたような夢物語だった。
国一番のエリートが集まる場所へ、しかも特別待遇で招かれるなど、詐欺を疑ってもおかしくない話だ。
「先刻、君が見せた力は非常に興味深い。私の研究を是非、手伝って欲しい」
法服を纏った貴族が、ただの村娘でしかないカノンに謙っている。
しかし、彼女はそれを見てもはっきりとした返事はできなかった。
視線はチラチラとシオンの方を向き、判断を委ねようとしている。
「流石に即答はできないか。では、私は予定を変更して、あと数日は村に滞在する。決心がついたら訪ねてくるがいい」
ギルバートはそう言い残すと、踵を返して森を去っていく。
彼の背中が見えなくなるまで、カノンはただ呆然と立ち尽くしていた。
「ど、どうしよう……シオンちゃん……」
カノンが縋るような目で、シオンに向き直る。
「一々、己に聞くな。自分の道くらいは自分で決めろ」
しかし、シオンは素っ気なく答えると、瞑想の為に切り株の上に座り直した。
***
――翌日、朝霧が立ち込める森の奥深くで、シオンは静かに瞑想していた。
自然と一体化し、世界を流れる気と調和していた彼女の耳に、下草を踏む小さな足音が響く。
「結論は出たのか?」
目を瞑ったまま、シオンが静寂へと向かって言葉を吐き出す。
「……ううん」
返ってきたのは、蚊の鳴くようなか細い否定の言葉。
シオンがゆっくり目を開けると、ひどく消沈した面持ちのカノンが立っていた。
「何故だ? 貴様の才を伸ばすには絶好の機会だろう」
シオンが怪訝そうに眉を寄せる。
客観的に見れば、この話はカノンにとって幸運以外の何ものでもない。
国内の最高学府の一つで、優れた指導の下で魔法を学べる。
これまで、魔法を知らぬシオンの下での修行とは比べ物にならない飛躍が臨めるはずだ。
だが、カノンは瞳に涙を滲ませ、震える声でその理由を吐露した。
「だって……寂しいよ……」
「何?」
「王都に行ったら、もうシオンちゃんと会えなくなる。一緒に修行もできない。せっかく友達になれたのに……シオンちゃんと離れ離れになるなんて、嫌だよ」
それは、少女の純粋無垢な想いの発露だった。
憧れた。
その姿に、その立ち振舞に、その志に。
カノンは自身の栄達よりも、憧れの存在の側にいられなくなることを怖れていた。
だが、その言葉を聞いた瞬間に、シオンの顔つきが変わった。
呆れでも、怒りでもない。
ヴェルテブラ山脈の吹雪よりも凍てつく無慈悲な冷徹さが、その端正な顔に張り付く。
「勘違いをするな」
シオンの声が、周囲の気温を数度下げたかのように冷たく響く。
「え……?」
「馴れ合うつもりなど毛頭ない。己はただ、最初から己の武がために、貴様の力を糧にしようとしていただけだ」
シオンが岩から降り、カノンを見下ろす。
そこには普段の超然とした雰囲気はなく、ただ他者を拒絶する鋭利な刃のような気配しかなかった。
「今一度、明確に言わせてもらう。己は、貴様を『友』などと思ったことは一度もない」




