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第21話:使者

 人の噂とは、時として風よりも早く千里を駆け抜ける。

 辺境の村で起きた奇跡――生ける『天災』である巨竜が討たれた報せは、瞬く間に近隣の街々を席巻した。


『竜殺しの女剣士』――カグラ・アマギリ。


 その二つ名は、今やこの村で最も重く、そして輝かしい称号となっていた。


「いやはや! 流石はワシが見込んだ方だ! あの巨大な竜を一刀のもとに斬り伏せるとは!」


 村の広場でかつての雇い主であるガンツ・ボルツが、さも自分の手柄であるかのように胸を張っていた。


「女だてらに剣を振るうなどと笑う奴もいたが、ワシの目に狂いはなかった! ワシが飯を食わせてやり、寝床を与えてやったおかげで、この偉業が成されたのだ!」


 ガンツの下卑た瞳は、カグラの後ろで輝く黄金の山を見ていた。

 事実として、竜殺しの女剣士を一目見ようと、村には近隣の街々から見物客が殺到していた。

 村の宿は満員になり、竜の素材を目当ての商人たちも列を為している。


 ただ、当のカグラは……。

 

 あれがそうらしい。

 なんでも東方の剣術を使うとか。

 それに美人だ。嫁に貰いたい。

 手を出したらお前なんて一瞬の内に斬られるぞ。


 などなどと、好き勝手に言われて少し辟易としていた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。貴方様のおかげで助かりました」

「いや、某など……それほどのものでは……」

「そんな謙遜ならさずに、私は足腰が弱いものですから……この村と、心中する覚悟でいましたので……命の恩人です……」


 村人たちもまた英雄を見る眼差しで彼女を囲み、口々に感謝と賛辞の言葉を浴びせていた。

 ただそんな称賛の嵐の中、英雄たるカグラの表情は分厚い雲に覆われた雲のように晴れない。

 彼女は愛想笑い一つ浮かべずに、ただ沈痛な面持ちで俯いていた。


 違う。私では、ないのだ……。


 喉元まで出かかった真実を、必死に飲み込む。


 あの夜、シオンは言った。

 『お前の手柄にしろ』と。


 本来、名声とは修行の末に身につけた武威に対し、後から結果としてついてくるものだ。

 しかし、カグラはそれを先に得てしまった……否、与えられてしまった。


 身の丈に合わぬ名誉とは、武人にとっては『呪い』と同義である。

 常に浴びる分不相応な称賛に忸怩たる想いを抱き、解くには見合った実力を身につけるしかない。

 だが、それが己の視界に広がる地平の、その更に遥か彼方にあることを彼女は身を以て思い知らされている。


 到底、一朝一夕で辿り着ける場所にはない。

 天賦を持った者が人生の全てを武に捧げて、ようやく足を踏み入れられるか否かという領域だ。

 故に、今はただ人の熱が冷めるまで、偽りの英雄という道化を演じ続けるしかなかった。


 しかし騒ぎは収まるどころか、加熱する一方だった。

 タルトン市からは、領主であるルードヴィング伯までもが、その『竜殺し』を一目見ようとわざわざ自ら足を運んできた。

 それでも留まらぬ名声の拡散は、ついに王都の石畳の上でさえも囁かれるようになり……ある日、その男は現れた。


 村には不釣り合いな、豪奢な法服に身を包んだ神経質そうな男。

 眼鏡の奥の瞳は理知的だが、同時に他者を見下すような冷ややかさを秘めている。

 彼は村長の案内でカグラのもとへと訪れると、恭しく、しかしやや傲慢さを滲ませて口上を述べた。


「お初にお目にかかる。私はギルバート・フォン・アイゼン子爵。セルバニア王国第三王子、アークライト殿下の使いの者だ」


 王族からの使者。

 そして、本人も子爵位を持つ王宮務めの法服貴族。

 その事実に、周囲の村人がざわめき、ガンツが真っ青になって平伏する。


「こちらに居られるのが、『竜殺し』のカグラ・アマギリ殿で相違ないか?」

「如何にも。だが、そのような人物が某に何用だ?」


 王子の使いを名乗った者に、カグラが聞き返す。


「では、要件を単刀直入に伝えさせてさせてもらう。殿下は、無類の武人好きであらせられる。辺境にて竜を打倒した女傑の話を聞き、是非とも宮廷に招きたいと仰せだ」


 その言葉を聞き、本人よりも周囲がざわめく。


 王族直々に、宮廷への招待。

 高貴な世界とは無縁の市井の者であっても、それが如何なる誉れであるかは十分に分かった。


「宮廷、ですか……」


 しかし、カグラの返答は少し重たい口調で発せられた。


「作用。王家直々の招聘だ。断る理由はなかろう?」


 ギルバートの目は笑っていなかった。

 これは招待ではなく、事実上の召喚命令だ。

 断れば、カグラだけでなく、この村自体が王家の不興を買うことになるだろう。

 

 カグラは拳を強く握りしめた。

 実力に見合わぬ名声が、またも『呪い』のようにその身を蝕む。


「承知した。その招待……謹んで、受けさせて頂く」


 しばしの思考の末、カグラはその招聘を受け入れることにした。


 世話になった村人たちに、これ以上の迷惑はかけられない。

 少なくとも王都に行きさえすれば、何があっても被害を被るのは自分だけだ。


「賢明な判断だ。では、後日王都までの馬車を用意させよう」

「いえ、そのような気遣いは無用。某には自らの足があります」

「ほう? 王家の紋章が入った馬車に乗れる誉れを辞退すると?」

「馬車に揺られては、足が鈍ります故に」


 カグラは凛として言い放った。

 偽りの英雄が、安楽な馬車などに乗れるわけもない。

 地を這い、泥に塗れて往くことが、あの背中に報いる唯一の道なのだから。


「……いいだろう。では、王都で待っている。宮廷に着けば、私の名前を出すがいい。それで話は通るようにしておく」


 ギルバートは踵を返し、足早に去っていく。

 そのまま停めてあった馬に飛び乗ると、彼は小さく溜息を吐き出した。


 まったく、殿下の道楽には困ったものだ。

 私も忙しく、体の良い小間使いではないのだがな……。

 しかしまあ、使い走りの任務もこれで終わった。

 竜殺しと聞いて、どれだけ不遜な者かと思ったが、意外な程に素直で助かった。

 これで王都に戻って、途中で投げ出してきた仕事に戻れる。


 彼は懐中時計を確認し、王都へと最短経路で帰宅すべく手綱を操作した。


 馬を走らせ、街道をひたすら西へと向かう。

 途中、彼は脳内で中断していた自身の研究――学術論文の構成を組み立て直していた。


『魔法術の基礎理論及び、最小構成粒子の実在性と観測に関する考察』


 魔力とは何か。世界は何で出来ているのか。

 未だ空想上の物質とされている極小粒子『エーテル』の存在。

 それを解き明かせれば、人は加護の力が無くとも、高度な魔法を行使できるようになる。

 遍く人類に魔法の門戸が開かれ、魔法史は数百年分進歩する。


 学問の先端をひた走る彼にとって、田舎の英雄譚などよりも遥かに有意義な思索だった。


 しかし、その高尚な時間は唐突に断ち切られた。


「――っ!?」


 ギルバートは反射的に手綱を強く引き、馬を急停止させた。

 馬が(いなな)き、恐怖に怯えたように足をバタつかせる。

 だが、ギルバートは馬を宥めることすらも忘れ、メガネの奥の瞳を険しく細めて西の森を睨みつけていた。


 肌が粟立つ。

 全身の産毛が逆立ち、皮膚がチリチリと焼けるような錯覚。

 彼はそれが何の感覚なのかを、知っていた。


 通常、魔術師が放つ魔力とは、精錬された糸のようなものだ。

 細く、鋭く、制御された美しい理。

 だが、先の一瞬に感じたそれは、まるで決壊した堰堤(えんてい)から溢れ出す濁流のようだった。

 荒々しく、暴力的で。しかし、どこか根源的な美しさを含んだ、原初の力。


 大規模な儀式魔法の暴走か? いや、それにしてはあまりにも純粋すぎた。

 王立魔法学院の教授として、数多の加護由来の魔法を見てきたギルバートでさえ、これほど強大で純粋な魔力の波動を感じたのは初めてだった。

 知的好奇心と、王家の使いとしての義務感が、帰路を急ぐ足を止めた。


 今日は村に戻って、一泊させてもらうことになりそうだ。


 彼は怯える馬を道端の木に繋ぐと、先の奔流の残滓を追って森の中へと入っていく。

 奥へと進めば進む程、空気は鉛のように重くなる。


 鳥の声はない。虫の音すら消え失せている。

 自然界にはありえない不自然な静寂に、本能的な恐怖を掻き立てられる。

 そして、奔流の源と思しき場所に到達した彼は信じられない者を目の当たりにした。


 そこには、二つの人影があった。

 一人は、切り株に腰掛けた銀髪の少女。

 眠っているのか、それと集中しているのか、目を瞑って微動だにしない。

 そちらも尋常ではない気配を発していたが、彼がより強い興味を抱いたのはもう一人の方だった。


 少し気弱そうな印象を受ける亜麻色の髪をした少女。

 彼女によって、彼はこれまで積み重ねてきた『魔法学』の常識は粉々に打ち砕かれた。


「……えいっ!!」


 詠唱はない。魔法陣による術式の構築もない。

 魔力を制御するための集中すら見受けられない。

 ただ、幼気な掛け声と共に両手を前に突き出しただけ。


 たったそれだけの動作で、空間が歪み、不可視の力場が炸裂した。


 轟音と共に、少女の目の前にあった巨木が倒れる。

 理論も理屈も術もない、純粋な力の発露。


「なんと……素晴らしい……」


 その根源的な美しさに、ギルバートは声を殺すことすら忘れて絶句した。


 竜殺しを探しに来たはずが、とんだ拾い物だ。

 王都へと連れ帰るべき者は、一人だけではなかった。


 彼は戦慄と共に、その小さな背中を見つけ続けた。

 この少女こそが、魔法学の新たな扉を開く鍵となるかもしれないと確信して。

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