第18話:竜
「ど、ドラゴンって……」
「恐らくは鉱石を喰らう喰鉄竜の一種だろう。触覚が出ていなかったから知性体でこそないけど、かなり大きくて荒々しい個体だ」
顔を青ざめさせたシエラに、ジョナサンが冷静な口調で説明していく。
ドラゴン――通常、人は一生の内に出会うことはないお伽噺の中の生物。
しかし、それは人類の脅威の一つとして現実の世界に生息しており、決して架空の存在ではない。
種にも依るが全長は十メートルから二十メートルにも及び、その強大さは個としての人間を遥かに上回る。
「今はまだ食事に夢中だけど、いつ村の方に来るかは分からない。君は今すぐに子供たちを連れてタルトン市の方に避難するんだ」
「わ、分かりました! でも、貴方は?」
「僕は皆の避難が終わるまで、奴を警戒する。ギルドに早馬は飛ばしたが、来るまでに早くても二日はかかるだろうし」
「そんな……いくら元冒険者と言っても、もう引退して十年以上にもなるんですよ……」
「大丈夫。無茶はしないさ。シオンとアレンの二人が立派に成長するまでは、父親として側にいてあげないといけないからね。とにかく、君はすぐに準備を」
「は、はい……!」
ジョナサンに言われ、シエラは慌てて必要な荷物を纏め出す。
「くそっ……だから僕はベリジウム鋼を扱うなら、もっと防衛設備を整えるべきだと何度も進言していたのに……!」
ジョナサンはそう吐き捨てながら、かつての武器を取りに物置へと向かう。
平穏な村を突如として襲った異常事態。
村でも人々が恐慌に陥り、我先にと逃げ惑っていた。
『ドラゴンが出たぞ!』『早く逃げろ!』という悲鳴と怒号が、夜の静寂を切り裂いている。
しかし、そんな中でも冷静に状況を分析している者が二人だけいた。
一人はシオン・ラングモア。
彼女は隣で青ざめているカノンへと尋ねる。
「カノン。どらごん、とやらはそれほど強いのか?」
「え? う、うん……魔物の一種なんだけど……生き物っていうか、ほとんど天災だって……本に書いてあった……」
「ほう」
震えるカノンの言葉に、シオンが興味深そうに相槌を打つ。
五年の修行を経て、既に年齢離れした武を身につけた彼女にさえそう言わせる程の存在。
シオンの中で、うずうずと好奇心のような感情が沸き立ち出した。
「弟よ。母の手伝いをしてやれ。己は別の用事が見つかった」
何かを思いついた彼女は、同じく冷静でいた弟に短く言う。
彼も姉の意図を理解し、深く頷いて母の下へと向かう。
「カノン。貴様はこっちに来い」
「えっ!? し、シオンちゃんも避難する準備をしないと……」
「いいから、来い」
シオンはカノンの服を掴み、近くの部屋へと連れ込む。
「これを着ろ」
そして、クローゼットからフード付きの外套を取り出すと、それをカノンに被せた。
「え……? ど、どういうこと……?」
「己はこれより、その『どらごん』とやらと武を競ってくる。貴様はその外套で顔を隠し、己に成り代わって母と共に往け」
シオンは事も無げに、まるで『ちょっと散歩に行ってくる』とでも言うような口調で告げた。
カノンは数秒間、パクパクと口を開閉させ、言葉の意味を咀嚼し――
「ええええええぇぇッ!?」
ようやく意味を理解し、絶叫した。
その声が廊下にまで漏れないよう、シオンは素早く手でカノンの口を塞いだ。
「やかましい。静かにしろ」
「んぐっ……! む、むむむ、無理! 無理だよ! ドラゴンだよ!?」
シオンの手を退け、カノンが涙目で訴える。
彼女はシオンと違って学校で真面目に様々なことを学び、一般教養以上に世界のことを理解していた。
だからこそ、シオンの言葉が正気の沙汰ではないことも分かっていた。
ドラゴン――それは古来より生物の形をした『天災』として扱われてきた魔物の一種。
一度、人里に現れれば、少なくとも数百名に及ぶ犠牲者を出し、討伐には国家レベルの武力が動員される。
正規軍の精鋭部隊や高位の魔術師集団が投入されて尚、災害と呼ぶ他ない犠牲を生み出す存在。
歴史を紐解いても、英雄と呼ばれる個人が単独で竜を討ち取った事例など数えられる程しかなく、その記述すら後世の創作や眉唾物であるとされている。
それは人が挑んでいい相手ではない、食物連鎖の頂点に君臨する絶対的な捕食者である。
「本当に止めとこうよ、シオンちゃん……流石に危ないって……」
「くどい」
シオンは聞く耳を持たずに、窓の枠に手をかける。
「弟には既に言い含めてある。あやつも上手く立ち回ってくれるだろう。貴様自身はカグラと共に、村長のところへと戻ったということにしておけ。ボロを出さなければバレる心配はない」
「ば、バレるとかそういう問題じゃなくって……」
「では、後は頼んだぞ」
それだけ言い残し、シオンは窓枠を蹴って夜の闇へと躍り出る。
着地した庭の木陰には、既に一人の影が控えていた。
「カグラ」
「……はっ!」
「己は、どらごんとやらの首を獲りに行く。貴様は余計な邪魔が入らぬように人払いをしておけ」
「御意に」
カグラは短く答え、師の意図を汲んで影へと溶け込む。
シオンもまた、迷いのない足取りで深き森の奥へと向かって歩みだした。
***
サットン村の東、『真鋼の谷』。
かつては岩肌が露出した無骨な谷であったその場所は、今や地獄の鎌の底と化していた。
溢れ出す熱波が周囲の樹木を炭化させ、岩石は光熱で赤く溶け出している。
そして、その中心に……それはいた。
露天鉱床をまるで、専用のベッドのようにして寝そべっている巨体。
全長二十メートルを超える喰鉄竜。
その身体は鋼鉄よりも硬い赤黒い鱗に覆われ、背中からは剣山のような刺々しい突起が生えている。
呼吸の度に吐き出される息は灼熱の炎となり、周囲の空気を歪ませている。
竜は退屈そうに寝そべりながら、眼下の岩盤を鋭い爪の付いた手で軽く一砕きした。
ボロボロと零れ落ちる希少金属ベリジウムを含んだ鉱石をバリボリと咀嚼する。
硬い鉱石を焼き菓子のように噛み砕く音は、それだけでこの生物の顎の力が常軌を逸していることを証明していた。
――グルルル……。
竜は満足気に喉を鳴らした。
硬度、魔力含有量、味わい。
どれを取っても極上の寝床であり、餌場だ。
そこは彼にとって、まるで天国のような場所だった。
人里から遠く離れた秘境より飛んできて、すぐにこの傍若無人ぶり。
彼は、自分が如何に強大な存在として生まれたのかを理解していた。
この地上に存在するあらゆる生物は、自分と比べて如何に弱く、矮小であるかを。
よって、自分以外の全てに与えられた選択肢は、ただ二つだけ。
己に踏み潰されるか、あるいは脅威に怯え、這いつくばって逃げるか。
先刻、此処を掘り返していた小さき者共もそうだった。
空から舞い降りた自分の姿を見ただけで、けたたましい悲鳴を上げて散っていった。
なんと哀れな生き物なんだろうか、小さく弱く生まれ落ち、行動の自由すらもない。
対する自分は生まれながらの強者で、咎める者はこの世界のどこにも存在しない。
竜はその暴虐と自尊心を巨体を超えて膨らませながら、目を閉じて極上のベッドで眠りにつく。
しかし直後、その心地の良い微睡みを妨げようとする音が響いた。
カツン、カツン……と、硬質な、しかしあまりにも軽い音。
それは、あの小さき者たちが逃げ惑った時の足音とは違う。
特定の強い意思を持ち、こちらへと向かってくる音だった。
竜は億劫そうに、巨大な眼球をギョロリと動かして音の方を睨みつける。
揺らめく炎と噴煙の向こう……闇の奥から、一つの小さな影が浮かび上がる。
それは、この灼熱地獄に不釣り合いな、白銀の髪を靡かせた少女だった。




