第17話:急報
カグラとの決闘から、またしばらくの月日が流れたある日の夕暮れ。
空が茜色と群青色の階調に染まる頃、日課を終えたシオンは自宅へと戻ってきた。
「母よ。帰ったぞ」
「おかえりなさい。今日もご苦労さま」
シオンが扉を開けると、台所から香ばしいシチューの香りと共にシエラが顔を覗かせた。
彼女は娘の背中に積まれた薪の山を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「今日もたくさん拾ってきてくれたのね。いつもありがとう。助かるわ」
シオンに労いの言葉をかけるシエラ。
彼女は娘が森に籠もって修行しているとは露知らず、薪を拾ってきてくれているだけだと思っていた。
実際にはカノンが衝撃波でへし折ったり、カグラが両断した大木を、適当なサイズに砕いて持ってきただけなのだが。
「あら……その子は?」
シエラが台所へ戻ろうとした時、娘の後ろに隠れるように縮こまっている少女がいるのに気がついた。
「カノンだ。勝手についてきた」
「あ、あのっ……! 突然の訪問、誠に申し訳ございません! か、カノンと申します!」
シオンの辛辣な物言いに対し、カノンは背筋を伸ばしてペコペコと何度も頭を下げる。
緊張のあまり、直立不動の姿勢で自動人形のようになってしまっている。
「いらゃっしゃい。そんな固くならなくてもいいのよ。でも、シオンがお友達を連れてくるなんて初めてね」
その言葉を聞いた瞬間、二人の反応は見事に分かれた。
「と、友達……?」
眉を顰め、怪訝な顔をしたのはシオンだ。
彼女の魂は、自分以外の何者にも帰属しない。
其れ故に、『友』などという概念はこれまでの人生で一度も持ったことはなかった。
母が何を基準にそう分類したのか、純粋に理解が及ばなかったのだ。
「お、お友達……!?」
逆にカノンの方は、カーっと顔を真っ赤に染めて、感激に打ち震えた。
彼女にとって、シオンは一方的な憧れの存在で崇拝の対象。
自分はそう思っていたが、向こうからも同じように思われているとは考えてもいなかった。
それがまさか、家族公認で『友達』という枠に入れてもらえるなんて……。
「ほ、本当に……? わ、私がシオンちゃんの、お友達でもいいんですか……?」
「え、ええ……もちろんよ。仲良くしてあげてね」
「は、はいっ! もちろんです!」
その若干狂気を感じる程の感激具合に、シエラは少し引いてしまう。
それでも母として、娘が初めて同年代の友人を連れてきたのは嬉しさが大きく勝った。
「むぅ……」
一方のシオンも母がそう言うなら、今だけはそうしておくかと渋々ながらそれを受け入れた。
そうして三人の会話が一段落したところで再び、入口の扉が開いた。
「……」
次に入ってきたのはシオンの弟、アレン・ラングモアである。
十二歳になり、背も伸びて少年らしい精悍さを帯びてきた。
両親譲りの整った顔立ちをしているが、相変わらず極端に感情を出さない。
「おかえりなさい、アレン。今日はお客さんが来てるのよ」
母の言葉に、アレンはカノンの方を向き、無言で頭を下げた。
その年齢にしては完成された、無駄のない所作。
カノンも思わず背筋を伸ばして礼を返す。
「こ、こんばんは……カノンって言います……」
アレンはカノンの挨拶に対し、表情一つ変えずに一度だけ頷いた。
そして、そのまま姉であるシオンの元へと歩み寄ると、無言でその顔をジッと見上げた。
言葉はない。
だが、そこには姉に対する絶対的な信頼と忠犬のような恭順の色があった。
「む、無口な弟さんだね……」
「うむ。幼少の頃に己が『武人を志すなら言葉より行動で示せ』と教えて以来、一言も喋っておらぬ」
「本当に、アレンのお姉ちゃんっ子には困ったものね……」
頬に手を当てて、言葉通りに困ったような口調でシエラが言う。
それは『お姉ちゃんっ子』の程度を超えていないか、と流石にカノンも思った。
しかし、当の本人たちは納得しているようなのでそれ以上は何も言えなかった。
「アレン、鞄を置いてきなさい。そろそろお父さんも帰って来る頃だし、夕食にしましょう。カノンちゃんも食べて行くわよね? シチュー」
「えっ!? い、いいんですか!? ご迷惑じゃ……」
「迷惑なんてとんでもない。シオンのお友達なら大歓迎よ」
「そ、それなら……ごちそうになります……」
こうして、ラングモア家の食卓にカノンが加わることとなった。
温かいシチューを囲み、他愛のない会話に花が咲く。
それはカノンにとっては、もう記憶にもほとんど残っていない程に久しぶりの団欒だった。
「そうだ。せっかくだからあの子も……」
シエラは思いついたように窓を開け、夜の庭へと声をかけた。
そこには暗闇の中で坐禅を組み、精神統一を行うカグラの姿があった。
「カグラさんもどうですか? 中で一緒にシチューでも」
「……お気遣い、痛み入る。ですが、某は遠慮させて頂く」
カグラは目を開けてシエラを見ると、淡々と答えた。
「あら、どうして? 遠慮なんてしなくていいのよ?」
「修行の身なれば、粗食こそ至高。それに……」
カグラは窓越しにシオンの姿を見据える。
カノンと違い、自分はまた師に認められてすらいない。
そのような身分で同等に食卓を囲むなど、彼女の矜持が許すはずもなかった。
「家族水入らずの団欒、無骨な剣客が土足で踏み入るは無粋というもの。その御心だけで、某の腹は十分に満たされた」
「そう……そろそろ夜は寒くなってくるから、風邪は引かないように気をつけてくださいね」
シエラはそう言い残して窓を閉め、食卓へと戻った。
ラングモア家の平和な夜。
アレンは無言でパンを頬張り、シオンは黙々とシチューを啜る、カノンは幸せそうに団欒を楽しみ、シエラが穏やかに皆を見守る。
窓の外からは焚き火が爆ぜる音と、虫の鳴き声が響き、家の中では温かい時間が流れていく。
この平穏な時間が、いつまで続くかのように思われたが――。
バンッ!!
乱暴な音と共に、玄関の扉が開け放たれた。
冷たい夜風と共に飛び込んできたのは、この家の主であるジョナサン・ラングモアだった。
「はぁ、はぁ……!」
全力で駆けてきたのか、肩で息をしているジョナサン。
全身は汗と泥に塗れ、その顔色は蒼白だった。
普段の能天気で、いつも朗らかな笑みを浮かべている彼からは想像もできない切迫した形相。
「あ、貴方? どうしたの、そんなに慌てて……」
シエラが驚いて駆け寄ろうとするが、ジョナサンはそれを手で制し、叫ぶように言った。
「荷物を纏めろ! 今すぐだ! ここを離れるぞ!」
「えっ……?」
「いや、着の身着のままでもいいから、とにかく急ぐんだ!」
ただならぬ夫の様子に、シエラの顔から笑顔が消える。
食卓の空気は一瞬にして凍りつき、カノンもアレンも匙を止めてジョナサンを見つめた。
そんな中、シオンだけが冷静に父の目を見据えていた。
「父よ。何があった」
「そうよ貴方、落ち着いて説明して。一体何が……」
シエラの震える問いかけに、ジョナサンは絶望を吐き出すように告げた。
「……出たんだ」
「出たって……何が?」
「村の外れに、ドラゴンが出た……!」




