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28. エミリア

ルーカスがドアを閉めて姿を消した後、イヒョンは彼が置いていった小さな銀色の鏡を手に持ち、じっくりと眺めた。鏡は掌ほどの大きさだったが、その精巧さに思わず目が引き寄せられた。


鏡の縁は純銀で繊細に作られており、ヒヤシンスの花を思わせる文様が優雅な曲線を描いて刻まれていた。裏面には、一羽の鳥が翼を広げて空へ舞い上がる姿が彫られており、その周りを蛇が自分の尾を咥えて円を描いていた。彫刻の上を柔らかな光が流れ、神秘的な雰囲気を漂わせていた。


光に反射するたびに、鏡は眩いほどに輝いたが、イヒョンの目には単なる装飾品にしか見えなかった。彼は指で縁をなぞりながら、独り言をつぶやいた。


「派手なのはいいけど…俺の趣味じゃないな。」


彼は鏡に自分の顔を映してみてから、そばに立っていたリセルラに向かって微笑みながら言った。


「これ、リセルラさんにはもっと似合いそうだよ。」


リセルラは少し躊躇するような眼差しで鏡を受け取った。


「確かに綺麗だけど…」


彼女は言葉を続けられず、慎重に鏡を覗き込んだ。ルーカスがくれたものだ、普通のわけがない――そんな考えが頭をよぎった。


その瞬間、鏡に映った自分の姿が目に入った。だが、どこかおかしかった。確かに自分の顔なのに、まるで知らない誰かが彼女の姿を借りて、じっと彼女を見つめているような、奇妙な感覚がした。背筋をぞっとする冷たい気配が走った。


「これ…やっぱり普通の鏡じゃないわ。」


リセルラは息を呑み、鏡をそっと下ろした。彼女の指先が微かに震えていた。


リセルラはイヒョンから手渡された銀色の鏡を慎重にテーブルの上に置き、黙ったまま台所へ歩みを進めた。彼女の足取りには、どこかためらうような気配が漂っていた。


その間、イヒョンは作業台に腰掛けて、カレンの状態変化を記録するため診察ノートを広げた。ペンを手にカルテを埋め始めた彼の手つきは、慣れ親しみつつも慎重だった。


台所から戻ってきたリセルラは、しばらく無言でイヒョンのそばに立っていた。彼女の顔には心配の影が落ちていた。イヒョンがカルテを書き進める姿をじっと見つめていた彼女は、ついに口を開いた。


「イヒョンさん、ちょっとお時間大丈夫ですか?」


イヒョンはペンを止め、顔を上げて彼女を見た。


「もちろん。どうしたんですか?」


リセルラは一瞬ためらった。言葉を切り出しにくいのか、唇を固く結んだ後、意を決したように慎重に口を開いた。


「その…イヒョンさんは、ルーカスさんから何か変なところを感じませんでしたか?」


イヒョンは少し首をかしげ、考えに沈んだ。


「ルーカスさん?うーん…まあ、ちょっと大げさな話し方や仕草が目立ったけど、別に変だと思うほどじゃなかったかな。どうして、何かあったんですか?」


彼の声は落ち着いていたが、リセルラの表情に一瞬浮かんだ不安な気配を見逃さなかった。彼女の眼差しはさらに深みを増し、何かを訴えたいように見えた。


リセルラは一瞬息を整え、心を落ち着けると、言葉を続けた。


「ルーカスさんは…表面的には本当に親切で優しいですよね。話し方も柔らかくて、行動もいつも礼儀正しい。前に話したことありますよね?私には他人の感情を感じ取る能力があるって。だからなのか…ルーカスさんからは、まるで彼がルーカスという名前の殻をかぶった全く別の存在のような、奇妙な感覚がするんです。」


彼女の声は不安と震えに染まっていた。イヒョンは黙って彼女を見つめた。


「特に…カレンさんの様子を見に二階の部屋に入ったとき、彼の内面から異常なほど強い闇が感じられたんです。憎しみや怒りといった感情が渦巻いて絡み合っていました。表面上は確かに微笑んでいたのに、内心では冷たく深い闇がうごめいていたんです。それをはっきりと感じました。」


イヒョンはリセルラの深い眼差しを受け止め、静かに頷いた。特別なコルディウムがなくても、彼女が本気で心配している気持ちがそのまま伝わってきた。他人の感情を読み取るリセルラの言葉が、決して軽いはずがない。


「分かった。もっと気をつけるよ。教えてくれてありがとう、リセルラ。」


薔薇色の図書館の鏡の中、感情のホールで封印されていた「愛」という感情を取り戻したイヒョンは、リセルラの温かい心配に心が温まった。彼の真摯な言葉は、リセルラにも深く響いた。彼女は彼の信頼と信念を感じ、柔らかく微笑んだ。


「私が出来るのはこれくらいだけです。むしろ私が感謝したいくらい。イヒョンさんは私たち母娘にとって命の恩人なんですから。」


その言葉に、イヒョンは一瞬目を瞬かせた。セイラの故郷の村を襲った疫病事件、カレンの治療に没頭していた慌ただしい日々、そして人間狩りの要塞からリセルラとエレンを救い出した記憶が脳裏をよぎった。一緒に過ごした時間は長くなかったが、いつの間にかリセルラとエレンは彼にとって当たり前の存在になっていた。


イヒョンは小さく笑って首を振った。


「そんなこと言わないでよ。みんなでここまで来たんだから。」


彼の声には温かい真心が滲んでいた。リセルラは彼を見つめ、静かに微笑んだ。二人を包む信頼の温もりが、部屋の中をそっと満たした。


その瞬間、ドアが勢いよく開き、ドランと共にアンジェロが大股で家の中に入ってきた。


「カレン!カレン!」


アンジェロは遠慮なく友の名を叫びながら、階段を二段飛ばしで二階へ駆け上がった。彼の声には焦りと切実さが混じり合っていた。


イヒョンは口元に穏やかな笑みを浮かべ、その様子を見守った。彼は落ち着いてカレンの薬と包帯、アルコールを持ち、ゆっくりとアンジェロの後を追って上がった。セイラもまた、彼を助けるために素早くついていき、手を貸す準備をした。


二階の部屋に入ったアンジェロは、興奮を抑えきれず息を荒げながらカレンのそばに駆け寄った。彼はベッド脇の椅子にドサッと腰を下ろすと、両手でカレンの手を力強く握った。


「このバカ…なんで…なんでさっさと俺に話さなかったんだよ、こいつ。」


カレンはまだ体力が完全に回復していない状態だったが、意識ははっきりと覚醒していた。彼はアンジェロを見つめ、力なく微笑んだ。


「だって、お前が大騒ぎするに決まってるだろ…だから言えなかったんだよ。」


大柄なアンジェロの目元に、彼には似合わない涙がキラリと光った。


「俺がどれだけ心配したか分かってるか?マリエンからお前の話を聞いてから、死んだって連絡が来るんじゃないかって、夜も眠れなかったんだぞ、このバカ。」


二人の様子を後ろから温かく見守っていたイヒョンは、カレンの足元に近づき、セイラと共に慎重に副木と包帯を解き始めた。二人はすでに息がぴったりで、手際よく包帯を外し、傷口を消毒して新しい包帯を巻き始めた。


カレンの足の傷は、炎症が目に見えて落ち着いていた。縫合した血管にも特に異常はなく、足の指や足全体の血色もほぼ正常に戻っていた。イヒョンは清潔なガーゼにアルコールを染み込ませ、傷の周りを丁寧に拭き取り、新しい包帯を巻いて副木をしっかりと固定した。


アンジェロはしばらくカレンの手を強く握っていたが、静かに手を離し、席から立ち上がった。彼はゆっくりとイヒョンを見やり、まるで心の奥深くに溜まっていた重い荷物を下ろすかのように、低く真剣な声で口を開いた。


「イヒョン。」


イヒョンは点滴を交換していた手を止め、顔を上げてアンジェロと向き合った。


「心から…ありがとう。」


アンジェロの声は震えていた。彼の眼差しには深い真心と感謝の気持ちが宿っていた。


「それと…前に俺がお前に拳を振ったこと、本気で謝りたい。」


イヒョンは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「大丈夫、気にしないで。」


彼は落ち着いて言葉を続けた。


「ここだけじゃなくて、俺がいた地球でも、たまにそういうことがあったよ。病気の人やそのそばにいる人たちは、いつも不安なんだ。その不安が、時には怒りとなって爆発することもある。十分に分かるよ。」


アンジェロはイヒョンの言葉を聞き、しばらくじっと彼を見つめた。彼の目には感動と尊敬の色が混じり合っていた。彼は頭を下げ、もう一度言った。


「それでも…本当にありがとう。この恩、絶対に忘れない。」


しばらくして、顔を上げたアンジェロは、いつもの陽気な活気を取り戻し、ドランに向き直った。彼の声が部屋を活気で満たした。


「よし、カレンも目を覚ましたんだから、今夜はお祝いだ!おい、ドラン!今日はいっぱい美味しい鹿肉を用意しろよ。俺が工房に隠してる最高級の酒を持ってきてやる!」


ドランも豪快に笑いながら応じた。


「よっしゃ!任せとけ、コランの最高の鹿ステーキで腹いっぱいにしてやるぜ!」


セイラは興奮して手を叩いた。


「わあ、今日パーティーするんですか?」


その瞬間、ドアの外で耳をそばだてていたエレンがピョコンと跳ねながら部屋に入ってきた。


「私だってカレンおじさんのために一生懸命頑張ったんだから!エレン騎士も招待してよ!」


イヒョンは温かい笑顔でエレンを見つめ、言った。


「もちろんだよ、当然招待しないとね。エレン騎士様、ご一緒しますか?」


エレンは腕を組んで、ちょっとだけ顎を上げた。


「フンフン、忙しいけど…特別に時間を作ってあげるよ。」


部屋の中は一瞬にして笑い声で満たされた。この数日間、皆を押し潰していた不安と緊張が徐々に溶け出し、温かく明るい空気が部屋いっぱいに広がった。久しぶりに訪れた穏やかなひとときの中で、皆の顔に笑みが広がっていった。


日が徐々に沈み、コランの通りは少しずつ闇に包まれていった。町のあちこちの家々で灯りが一つ二つと点り始め、ドランの家も温かな光で明るく輝いていた。


二階の寝室では、カレンがまだベッドに横たわっていたが、状態はかなり回復していた。鼻に繋がれていた管はすでに外され、彼は今や水やスープを自分で飲み込めるほどに力を取り戻していた。ただし、手にはまだ力が足りず、スプーンを自由に動かせるほどではなかった。マリエンはイヒョンの指示通り、慎重に、ゆっくりと温かいスープを掬ってカレンの口に運んだ。彼女の手つきは柔らかく、丁寧だった。


一階のキッチンと庭は、活気あふれる喧騒で満たされていた。昨日まで不安と緊張で重かった空間が、今はまるで祭りの前夜のような雰囲気に変わっていた。


リセルラは大きな鍋に鹿肉、ニンジン、香辛料を入れて、丁寧にシチューを煮込んでいた。セイラは明るい笑顔でジャガイモの皮を剥き、そのそばでエレンは真剣な顔でしっかり見物人の役割を果たしていた。幼い少女の眼差しには、好奇心とわくわくが溢れていた。


庭の一角では、ドランが鹿肉の骨を外しており、アンジェロは工房から持ってきた酒樽を下ろしながら、手の甲で額の汗を拭った。


「ドラン、この鹿いつ仕留めたんだ?肉がめっちゃ新鮮に見えるぞ?」


アンジェロが好奇心たっぷりの声で尋ねた。


ドランはナイフの手を止めず、ニヤリと笑った。


「今日の昼にトマスが持ってきたんだ。元々は解体して皮を剥ぐつもりだったらしいけど、俺が事情を話して安く買ったんだ。ハハ!」


アンジェロは肉を見下ろして小さく微笑んだが、ふと表情が少し暗くなった。


「カレンはまだ肉を食べられないのに、俺たちだけでこんなに盛り上がって、ちょっと悪い気がするな。」


ドランは首を振って豪快に笑い声を上げた。


「大丈夫だよ。イヒョンさんが鹿肉で作ったシチューなら、カレンも食べていいって言ってたから。もう少ししたら持っていくから、あんまり気にすんなよ。」


二人は肉の下処理を終え、ドランの家の裏に積んであった薪を中へ運び始めた。肉を焼く香ばしい匂いと薪の温かな香りが混ざり合い、ますます祭りのような雰囲気が広がっていった。皆の顔には、久しぶりに訪れた軽やかな喜びと安堵が浮かんでいた。


――ドン、ドン、ドン――


和やかで浮かれた雰囲気を一瞬で打ち砕く、荒々しいノックの音が家の中に響いた。セイラは驚いてドアの方へ駆け寄った。


「変だな…来る予定の人はいないはずなのに、どなたですか?」


ドアの外から、焦りに満ちた女性の声が聞こえてきた。


「もしかして…イヒョンさんという方はいらっしゃいますか?お願い、どうか助けてください!」


セイラは慌てた様子でドアを開けた。ドアの前には、20代後半くらいに見える若い女性が息を切らして立っていた。彼女の古びた外套は埃と泥で汚れ、両目は不安と切迫感でいっぱいだった。


「え…どなたですか?」


セイラが慎重に尋ねた。


「エミリア。私はエミリアと申します。父と一緒に旅をしながら商売をしている者です。急な用件があって…少し中に入ってもいいでしょうか?」


彼女の声は焦りに震えていた。


「あ…はい、はい。どのようなご用件でしょうか?」


セイラが戸惑いながら答えた。


エミリアは息を荒げながら言葉をまくし立てた。


「今日の昼、ルーカスという人に会いました。その方がイヒョンさんという方について話してくれて…死にかけていた人を救ったと…だから、だからやって来たんです。」


セイラはまだ混乱した表情で彼女を見つめた。


「どういうことですか…」


エミリアは息を整え、なんとか言葉をまとめた。


「私たちはコランの北の外れにある廃神殿で野営しながら暮らしていました。でも、二日前、父が怪我をされたんです。馬車から重い荷物を下ろすときにバランスを崩して…荷物に潰されてしまったんです。神殿に行ってみましたが、順番待ちが長すぎて…お願いです、イヒョンさんに会わせてください。」


その瞬間、ちょうど階段を下りてきたイヒョンが彼女の声を耳にした。エミリアは階段を下りてくる見知らぬ男を見て、急いで尋ねた。


「あなたが…イヒョンさんですか?」


イヒョンの足が一瞬止まった。彼の目には驚きと混乱がよぎった。


「ソ…ソユン?」



読んでくれてありがとうございます。


読者の皆さまの温かい称賛や鋭いご批評は、今後さらに面白い小説を書くための大きな力となります。

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