第八話 焚火の夜
その夜、一行は森の縁にある開けた岩場で野営することにした。
遠くに川の音が聞こえる。木々に囲まれたこの場所は、焚き火の煙も目立たず、夜風もしのげる。
ミルフィが素早く火を起こし、カイルが枝をくべ、ジウイは少し離れて座っていた。
「やっぱ森の空気はいいなあ。街じゃ星なんか見えやしない」
カイルが火に手をかざしながら呟く。
ミルフィは鍋に乾燥スープの材料を入れながらちらとジウイの方を見たが、何も言わなかった。
焚火の明かりが揺らぐ中、アニマのウサギが、ジウイの足元で丸くなっている。
けれど他のアニマたち——ネズミも鳥も、なぜか少し離れた場所で距離をとっていた。
(……やっぱり、何かが変わった)
ジウイはそう思いながら、焚き火を見つめていた。
あのとき目の奥に走った熱、消えた残響、そして……ミルフィの問い。
(“もうひとつ”の力……)
否定したはずのその言葉が、火の粉のように胸に引っかかっていた。
「ジウイ。今夜は交代で見張りしよう。最初は私がやるから、少し休んでおいて」
ミルフィが声をかけた。
ジウイは一瞬顔を上げたが、すぐにうなずいて寝袋に入った。
——そして、目を閉じたあとも、
まぶたの裏に、左目の紋章がうっすらと浮かんでいる気がして、なかなか眠れなかった。
ジウイは寝袋に体を沈めたものの、まぶたの裏に浮かぶ模様が気になって目を閉じきれずにいた。
意識の底で、なにか夢の気配のようなものが揺れてはいたが——
(あー、眠れないな。今日は……ちょっと、さすがに)
うつ伏せになって枕代わりの荷物に顔を埋めた。
遠くでミルフィとカイルが交代について何か話しているのが聞こえたが、それもだんだん遠ざかっていく。
次に聞こえたのは、優しく揺さぶる声だった。
「ジウイ。交代の時間だよ」
——目を開けると、焚火の明かりとミルフィの影があった。
「……あれ。わたし、寝てた?」
「ぐっすり。声かけるの、ちょっと迷ったくらい」
ジウイは寝ぼけたまま身を起こすと、もそもそと焚火のそばに移動した。
「私、寝るの好きだからな……寝られるときに寝る主義」
「うん。それはいいことだよ」
ミルフィは笑って寝袋に潜り込んだ。
——火は静かに揺れていた。
ジウイは石に腰を下ろし、細い枝を拾って火にくべる。
そのオレンジの光が瞳に映り込み、ふと、昼間のあの瞬間が脳裏によみがえった。
左目に浮かんだ、奇妙な紋章。
結界の痕跡が、跡形もなく霧散したこと。
そして、アニマたちの、あの微妙な距離。
(怖がってる……? わたしのことを?)
寝袋のそばで丸くなる大ウサギを見やる。
彼女は相変わらず、無防備な顔でスヤスヤと眠っている。
でも、ネズミや鳥たちは……今日は、誰も見張りにつかない。
自分が呼ばなかったからか、それとも——
(あの力……“見たら消える”って、なんなんだよ)
火をつつく手が止まる。
(ギフトって、神様からの贈り物なんだろ?
だったら、なんでわたしだけ、こんな……)
じわりと胸に、昼間の恐怖と、ほんの少しの罪悪感が滲んでくる。
(描いて呼ぶ力と、見て消す力……再生と、破壊。
それって、矛盾してない?)
カサリ、と火の中で薪が崩れる音。
その音に導かれるように、ジウイは左目にそっと触れた。
ほんのり、熱を帯びていた。
(封じてる? ……いや、そんなの、わたしには——)
眠気はもうどこかへ行ってしまった。
焚火の光だけが、夜の帳に揺れていた。
夜が明け、薄明かりの森の中を三人は歩いていた。
湿った土のにおいに、朝の風が混ざる。すでに街道は近い。
「街道まで出ればすぐに町が見えるわ。あそこは、道具屋もいくつかあるし、補給できると思うわ」
ミルフィが前を歩きながら振り返った。
「それ、ありがたい。キャンバスがもう、残り少なくてさ」
ジウイが苦笑する。肩にかけた画板の下のスケッチブックは、確かにもうペラペラだった。
カイルは最後尾で周囲を警戒しているが、特に異変はないようだ。
道の脇を、鳥のアニマが一羽、ふわりふわりと飛び、時折、ジウイの肩の上に止まる。
そのあとを、大きなもふもふウサギがぽてぽてとついてくる。
白い毛玉のような体は、いつも通り、のんびりして見える。
だが——ジウイの視線は、ぴょこぴょこと先を走るネズミのアニマに注がれていた。
(……あれ、まだいるの?)
昨日、リスのアニマが廃屋を出た後に、光の粒子になって消えている。
描いた順に限界がくるのがいつもの仕様で、ネズミはそのすぐあとに描いたはず。
(時間もとっくに過ぎてるのに)
「どうかした?」
ミルフィが気づいて振り返る。
「いや……ネズミがね。普通なら、もうとっくに限界で消えてるはずなのに、まだ元気に走ってて」
「へえ……それ、よくあること?」
「ない。絶対に。今までは、時間切れになると、消えるのが当たり前だった」
ジウイは声を潜めて答えた。
「もしかして——アニマたち、今までと違う“何か”を感じ取ってるのかもね」
ミルフィは立ち止まり、ネズミを見つめる。
「違う何か?」
「ジウイの目。昨日、残響が消えたときのこと、まだ気にしてるでしょ?」
ジウイはギクリとして、目を逸らす。
「……ちょっと、変な感じはあった。見てたら、なんか、光ったような……。でも、そんなの、知らないし」
「私は思うの。あれは“ギフト”だったかもしれないって」
「違う。わたしのギフトは“描いて呼ぶ”やつだけだよ。それだけで十分」
「うん、でも……もし、何かが目覚めかけてるとしたら?
あなた自身が自覚していなくても、アニマたちが先に察している可能性は、あると思う」
ジウイは答えられなかった。
鳥のアニマが、彼女の肩に再び止まり、じっと片目で彼女を見ている。
いつもなら、無邪気で人なつこいその視線が、今日は少しだけ重く感じられた。
(まさか、あの光で何かが変わった?
それとも、変わったのはわたし……?)
もふもふウサギがぽてん、と足元に座る。
ジウイはしゃがんで、その額をそっと撫でた。
「……おまえたちは、怖がってる? それとも、守ろうとしてる?」
返事はない。ただ、温かな毛並みが手のひらに広がるだけだった。
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