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第七話 旅立ちの朝と左目の紋章

村の広場はいつもよりざわついていた。

ジウイたちの出発を告げる知らせは、あっという間に村中に広まったらしい。


「ジウイ、忘れ物はないかい? カイルもぼーっとしてないで早く準備しなさいよ!」

近所の年配の女性が、編み物の手を休めて声をかける。


「うん、大丈夫。ちゃんと荷物もまとめたし」


ジウイは照れくさそうに笑いながら、肩のネズミに声をかけた。

「さあ、行こうか、今日から冒険だよ」


ちょうどその時、ギルドの若い見習いが慌てて駆け寄ってきた。

「すみません、村長さんから急ぎの話です! 王都に行くなら、必ずこの薬草セットと非常食を持っていけ、と」


ミルフィがふんわりと青いローブの裾を整えながら言った。

「こういう地元の助言は大切にね。準備は抜かりなく」


カイルは剣の鞘を軽く叩きつつ、

「まあ、いざという時は俺が守る。安心しろ」


村の人たちが見送る中、三人は最後の確認をしてから石橋へと向かった。

後ろからは、どこか懐かしく、暖かな声が響いていた。


「気をつけてね!」

「また元気に帰ってきてよ!」


ジウイは小さく息を吸い込んで、肩のネズミと視線を交わした。

「行こう、ミルフィ、カイル。新しい世界が、待っている」


木々の葉がざわめき、朝の光が斜めに射し込む。

王都へ向かう街道の起点、村の東端にある石橋のたもとで、ジウイは深呼吸をひとつした。


背中の画材袋は少し重たい。でも、それ以上に心がざわついていた。

「……ほんとに、出発するんだなぁ」


小さく呟いて肩のネズミを見やると、彼はちょこんと耳を立てて、川の向こうをじっと見つめていた。


「待たせたな」

カイルがやってきた。肩には長めの剣、背中には軽装の荷。

その顔に、いつものような冗談っぽさはない。


彼にとっても、これはただの依頼じゃないのだ。


「ミルフィは?」


「ここよ」

どこからか風に乗って届いたような声に振り返ると、青いローブをまとった彼女が、まるで空気のように現れていた。


草を踏む音ひとつなく、日差しを受けても、彼女の影はやけに淡い。

「……なんで毎回、登場が忍者なの?」とジウイがぼやいた。

ミルフィは、ただ口元を緩めるだけだった。


「東の街道から、峠道に入って三日。途中に小さな宿場町が一つあるわ。そこで馬車を拾えれば楽だけど……運が良ければ、ね」

「運は悪い方に期待しておこうぜ」


カイルの言葉に、三人はそろって歩き出した。

森に囲まれた山道は、舗装もされておらず、岩と木の根が行く手をさえぎる。

ジウイは歩きながら、何度かスケッチブックを取り出しては、思いつくままに線を走らせていた。


小さな鳥、風に揺れる葉、空に浮かぶ雲。

それらを描いていると、少しだけ不安がやわらいでいく。

ネズミのアニマは、途中からジウイの肩から下り、先頭を歩くミルフィの足元を警戒するように走っていた。

石につまずくこともなく、まるで道を知っているかのように。


「……やっぱり、変だよな」

「何が?」

カイルが振り返る。

「この子。呼び出したときの“設定”はここまで細かくないのに……自分の意志で動いてるみたいなんだ」


「“生き物”だとしたら、当然だろうな」


「でも、あたしは“描いた”だけなんだよ。意思も記憶も、持たせたつもりはないのに……」

ジウイは筆を握りしめた。


ミルフィが足を止めた。

「……それはね、たぶんあなたが“持ってる”からよ」


「……なにを?」


「描写じゃなく、願い。命を描く願い。それが、アニマを超えるものにしている」


「……なんか、詩人みたいなこと言うね」


「探究者は、常に詩人であるべきよ」

ミルフィの目が、一瞬だけ揺らいだ気がした。

風が吹いた。

その瞬間、森の奥で、何かが“裂ける”ような音が響いた。


ピキリ──と空気が張り詰め、鳥の声が途絶える。


カイルが剣に手をかける。

「前方……いるな」


「……魔物?」


「いや、違う」

ミルフィが小さく首を振った。

「空間が、揺れてる。あれは……古い結界の“残響”」


ジウイの心臓がどくんと跳ねた。

(魔法陣のことと、同じ……?)


森の奥で、何かが目を覚ましかけている気配があった。

「迂回できるなら、今のうちに」


「いや……あれは、私たちを“見て”る」

ミルフィの声に、ジウイは凍りつく。


「……どういうこと?」


「わからない。でも、呼ばれてる感覚がある。誰かのギフトに、反応してる」


カイルが剣を引き抜いた。

「ジウイ。何があっても、今は描くなよ。向こうが“それ”を待ってるなら、罠の可能性がある」


「……わかった」

ジウイは震える手を押さえつける。


ネズミのアニマが、ジウイの足元に戻ってきた。

しかしその顔──目のように描かれた黒い点が、森の奥をじっと睨んでいる。


まるで、「守る」という意志を、はっきりと持っているかのように。

三人は剣の気配と魔力の流れを背に受けながら、ゆっくりと森の中へ足を踏み入れていった。

森のざわめきが途切れた。


濃密な木々のカーテンを抜けた先、そこだけぽっかりと空が開けている。


ジウイたちは小さな開けた空間に立ち止まった。

地面は抉れ、土は黒く焼け、まるで何かを押し潰すようにして“空白”が存在していた。


「……ここ、誰かが封印を解いた跡だわ」

ミルフィが低く呟く。


カイルが辺りを警戒しながら、手を剣の柄にかけたまま言った。

「封印が、暴走した……か?」


ジウイは無言でその中心を見つめていた。

焦げた地面の、そのさらに奥――なにか、脈打つような感触。


すると、左目の奥が、熱を帯びた。


「……え?」


思わず目元に手をやると、まぶたの裏で淡く光がうごめいているのを感じた。

微かな眩しさ。痛みではない。ただ、目が「なにかを捉えようとしている」。


ジウイの左目に、青白い紋章がうっすらと浮かび上がった。

それは瞳の奥に光る輪のようで、見る者にははっきりとは見えないが、確かに存在していた。


「ジウイ、その目……」

ミルフィが言いかけて、声を止めた。


視界が――変わった。

色ではなく、空気の“痕跡”が見える。


その瞬間、ジウイの目が捉えた“何か”が、音もなく消えていった。

まるで、見ることがその存在を無かったことにするかのように。


焦げ跡の中心、虚空の中にちらついていた「封印の残響」。

魔力の余波が、風に溶けるように消失する。


「……なにこれ。わたし、描いてないのに……」

ジウイは目を覆い、後ずさった。


肩の上のネズミのアニマが、耳を伏せ、ジウイの目をじっと見つめていた。

まるで、何かに怯えるかのように。


ジウイが目元に手を当てたまま立ちすくんでいると、

ミルフィがゆっくりと彼女に歩み寄ってきた。


「……ジウイ。いまの、どういうこと?」


「わたし……わからない。ただ、見たら、消えた。描いてもないのに」


声がかすれていた。ジウイ自身が一番戸惑っているのがわかる。


ミルフィはその瞳を覗きこもうとはせず、柔らかい声で続けた。


「これまでにも……こういうこと、あった?」


ジウイはぎくりと顔を上げた。


「え……?」


「ほんの些細なことでもいいの。誰かに言うほどじゃない、って流してきたような現象。

 たとえば、怒ったとき、空気が震えたとか。鏡を見たら瞳が光ったように見えたとか……」


「…………なんで知ってるの」


ジウイが唇を震わせた。

ミルフィは一歩引いて、どこか探るような、けれど責める色のない目で言った。


「わたしは《探究の一族》だから。そういう“力の揺らぎ”を見逃さない訓練を受けてるの」


彼女の目は、真剣だった。

けれど、そこに不安や偏見の色はなかった。


「ただ、確信はなかったの。あんたのギフトが“絵”ってのは、間違いないと思ってたし。

 でも……いまのは、違うわ。描いてないのに作用した。

 ――“もうひとつ”、何かを持ってるんじゃないかって思って」


ジウイは息を呑んだ。


「……そんなの、ない。わたしには“絵”しかない」


「本当に?」


「ほんとに……!」


ジウイは語気を強めたが、その声は震えていた。


ミルフィはそれ以上追及しなかった。ただ、小さく息を吐いて言った。


「……じゃあ、いまはそれでいい。けど、もし思い出したり、何か感じたりしたら、

 ――わたしには話して。ね?」


ジウイは小さくうなずいた。

その肩で、アニマのネズミが、じっとこちらを見ていた。


読んでいただきありがとうございます。

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毎日3回程度投稿しています。

最後まで書ききっておりますので、是非更新にお付き合いください。

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