第七三話 反撃の始まり
空間を満たしていた瘴気が収まり、太陽の間には一瞬の静寂が戻った。
しかし、その静寂は祝福のものではなかった。
その静寂は、リューンの不在として、ジウイ達に重くのしかかっていた。
ジウイは現実と知りつつもどこか受け入れられず、呆然と立ち尽くしていた。
まだ、リューンがそこにいてくれる気がして、目の前に伸ばした手が震えている。
だが、何も掴めなかった。そこには、あの温かな笑みをたたえた姿は、もうどこにもなかった。
「……リューンさん……」
声はかすれ、呼吸さえ上手くできなかった。
胸が締めつけられる。視界が滲む。
感情が、内側から噴き上がる。
悲しみ、怒り、後悔、恐怖――それらが混ざり合い、ジウイの中で激しい嵐となって暴れた。荒れ狂った感情が今にも理性を吹き飛ばしそうになる。
喉元まで迫ってくる叫びを、どうにか押し殺す。
けれど、心は限界に近かった。
(ダメだ……こんな時に……)
あの人は、命をかけて時間を作ってくれた。
その時間を無駄にしてはいけない。
その言葉が、リューンの声のように胸に響く。
ジウイは強く目を閉じ、指を噛んだ。
(しっかりしてください……ジウイ。あなたが壊れたら、全部が終わる……)
ゆっくりと目を開ける。
その瞬間、彼女の周囲に青白い燐光が揺らめいた。
そして――
「ウォォォ……」
低く、唸るような咆哮が響く。
ジウイの感情に呼応するかのように、青い炎をまとった2頭の青い炎の狼が冷たい光をきらめかせていた。
すでに何度も共に戦ってきたアニマ――だが、今のそれは、いつもとは違った。
より鋭く、より神聖に。
その青い炎は、まるで精霊のように揺らめき、ただ存在するだけで空気を浄化していくようだった。
「……お願い」
ジウイの短い言葉に、狼は静かに頷いた。
そして、次の瞬間――
狼は残されていたバレノス側の護衛神官たちへと、音もなく駆け出した。
黒ずみに侵された神官たちが、その動きに反応しようとするも、すでに遅かった。
火花が舞うような青い軌跡が、空間にいくつも走ったかと思うと、
神官たちは、一人また一人と悲鳴を上げる間もなく青い炎に浄化されていった。
彼らの身体にまとわりついていた黒ずみが、一斉に燃え上がる。
まるで己の罪が焼かれるかのように、苦悶の表情を浮かべながら、一人、また一人と崩れ落ちていった。
大司教バレノスは、顔を歪めて唸った。
「……なんという力……やはり完全に覚醒しつつあるというのか、ジウイ……」
その言葉に、ジウイの視線が鋭く向けられる。
「覚醒なんて望んでいない。私の力は……守るためにある」
言い切ったジウイの言葉に、狼の瞳が一瞬輝きを増した。
その瞬間、青い炎は一気に爆ぜ、残っていた神官の気配はすべて消し飛んだ。
だが――
「今だ!」
その隙をついて、カイルが一直線にミルフィへと走り出す。
炎によって場が混乱した一瞬を突いた、的確な判断だった。
黒ずみの神官たちが消えた今、ミルフィを拘束しているのは、あの「禁呪の器」から伸びていた瘴気と、それに連動する魔術的結界だけだった。
彼は身を低くし、地を滑るようにして駆ける。
「ミルフィ!」
そう叫びながら、あと少しで彼女に手が届きそうになる――
もうあと一歩で、そう思った刹那。
「……浅いな、小僧」
オルヴァンの呟きと共に、結界が再活性化する。
カイルの目前に、まるで鏡のような黒光りする魔法障壁が突如として立ちふさがった。
「くそっ!」
彼は咄嗟に脚をひねり、目の前に現れた結界を蹴ってその勢いを利用して宙に飛ぶと、後方へ着地する。
そして瞬時に身構えたカイルのその動きに、ジウイが安堵の表情を浮かべる。
「大丈夫……?」
「ああ、かすりもしなかった。だが……あれじゃ突破は難しいかもな」
カイルは苦々しい顔で呟いた。
ミルフィの周囲には、いくつもの結界が重なっていた。
肉眼でも判別できるほどに魔力が濃く、触れた瞬間に命を失ってもおかしくない種類の防御障壁だ。
「今の儀式が完全に始まれば、たとえ突破できても間に合わない……!」
カイルが焦るのも無理はない。
リューンが封じた禁呪の器――この封印は多分ずっと持つものでもないだろう。このリューンが作ってくれた時間でなんとかするのだ。
その後に何が起きるかは、誰にも予想がつかない。
だが、時間が限られているのは確かだった。
「ジウイ……時間がねぇ。考えを……」
「わかってる」
ジウイは、目を細めて結界を睨んだ。
その奥に、ミルフィは静かに横たわっていた。
眠っているのか、気絶しているのか、意識はなかったが、胸が上下しているのを確認して、彼は拳を握る。
絶対に、あの子を見捨てたりしない。
今、自分がいるのは、リューンが命を賭して時間を稼いでくれたからだ。
だったら、その時間の中で、できる限りのことをする。
カイルが隣で構える。
ジウイの隣には、青白い炎の狼が、静かに呼吸を整えていた。
二人の視線が、結界の奥に向かう。
対するは、二人の大司教と、いまだに完全な形では動けない「禁呪の器」。
勝負は、ここからだった。
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