第七十話 太陽の間
リューンの手が、重厚な装飾の扉を押し開くと、鈍い軋み音とともに、空間の奥に広がる異様な気配が流れ込んできた。
2匹の狼が先導するように部屋に入り、 ジウイ、カイル、リューンの三人も、そのまま足を踏み入れる。
「……広い……」
ジウイが小さく呟いたその言葉どおり、太陽の間と呼ばれるその部屋は、まるで大聖堂の心臓部のように荘厳な構造だった。
高い天井には星を模した装飾と、中央には太陽の紋章を象ったステンドグラス。そこから差し込む光は、黒ずみの気配に濁され、青みがかった色をしていた。
部屋の奥には、儀式用と思しき古い石造りの祭壇が鎮座している。
その手前、白い大理石の台の上に、黒い繭のような瘴気に包まれて寝かされている少女の姿。
「ミルフィ……!」
ジウイの声に、カイルが横目でうなずいた。
彼女の全身は黒ずみに絡み取られていたが、表情は穏やかで、まだ意識は戻っていない様子だった。
しかし、その身体からは、かすかに光のようなものが漏れていた。
ミルフィの中にある“視る力”が、なおも残っていることを示しているのかもしれない。
その両脇に立っていたのは、二人の男。
大司教バレノス・デ・ヴェイルと、オルヴァン・カイレ。
その衣にはかつての聖職者の面影はなく、黒ずみに染まりながらも整えられたその立ち姿は、むしろ異様な威厳すら漂わせていた。
「ようこそ、創造の子ジウイ」
オルヴァンが、静かに名を呼ぶ。
その声音には、嘲りも怒りもなかった。ただ、全てを見通した者のような冷たさがあった。
そして彼らの周囲には、黒ずみに侵された神官や僧兵たちが、武器を構えて待ち構えていた。
その数は十数名。いずれもただの黒ずみの感染者ではなく、大司教の意志のもとに動く“統制された兵”のようだった。
「……完全に、支配下にある」
リューンが小声で呟く。
誰一人、こちらに突っかかってこようとはしない。
しかし、敵意は明確にそこにあった。
扉の奥に踏み込んだ瞬間から、すでにこの空間は、敵が設計した“舞台”だったのだ。
ジウイはミルフィの姿から目を離さず、強く唇を噛んだ。
「ついに、ここまで来たか。創造の子よ」
バレノスが、まるで見世物を愛でるような声でジウイを見下ろす。
「いや、完成に近いと言うべきか。かつては子供の遊びにすぎなかった力が、今や――神の領域に達しつつある」
オルヴァンもまた、静かな声音で続けた。
「ならば我らが成すべきことは、ひとつしかない」
その目は、ミルフィではなく、まっすぐジウイだけを見ていた。
「お前の絶望が、世界を変える」
二人の声が重なった瞬間、ジウイの体がびくりと震えた。
絵筆を持つ手に汗がにじむ。目の前にあるミルフィの姿、その呼吸のかすかな上下、そして全身を覆う黒ずみ――
その全てが、まるで「道具」として置かれているように見えた。
「一歩でも、ここに足を踏み入れれば」
バレノスが指を一本、床に向けて下ろす。
「儀式は始まる。我らが長年準備してきた、神代の呪式――創造の力を、汝らより引き剥がすための儀。すでに“器”は整っている」
その足元にある、禍々しい円陣が淡く赤黒く脈動していた。
「だがな、ジウイ」
オルヴァンが語気をやや柔らげる。
「我らは、お前の絶望を強要したいわけではない。選ばせてやる」
バレノスと目を合わせ、頷く。
「――力を、我らに捧げよ」
「そうすれば、この娘は解放しよう」
二人の言葉が、まるで口裏を合わせていたかのように、寸分違わず重なった。
「……!」
ジウイの足が一歩、無意識に前に出そうになり、カイルがそっと腕を伸ばしてそれを制した。
「……それが、お前たちの“慈悲”か」
その時、リューンが一歩前に出た。
その顔に浮かぶのは、怒りでも悲しみでもない。ただ、冷ややかな知性と覚悟だった。
「創造の力を捧げるとは、すなわちジウイが“絶望しきって”死ぬということ。そして、その絶望は――この娘、ミルフィの死によってもたらされると、私は理解しています」
「……ふふ」
バレノスが口元に手を添えて、うすく笑った。
「察しが良いな。だが、それを認めるか否かは彼女次第だ」
「では、私が否と申し上げましょう」
リューンはきっぱりと言い切った。
「あなた方がどれほどの理屈を並べようと、ジウイが絶望に沈み命を落とす道など、私たちが認めるはずがない。彼女は……未来を描く者です。絶望ではなく、希望を描く存在なのです」
その言葉に、ジウイが目を見開く。
リューンの言葉は、ジウイがずっと迷い続けていたことに、確信を与えるものだった。
「……では、どうするのですか?」
オルヴァンの低い声が、空気を震わせる。
「この娘を救いたければ――」
その言葉と共に、バレノスが黒ずみの中からミルフィの手首をぐっと掴み、ぐいと持ち上げた。
ミルフィの体が持ち上がるほどの力に、ジウイの息が止まる。
黒ずみの中で、少女の白い腕が宙に晒される。かすかに痙攣しているように見えた。
「……やめて……!」
ジウイが叫ぶ寸前、リューンが彼女の前にそっと立つ。
「ここで動けば、彼らの思うつぼです」
その声音は穏やかで、それでいて、確かな意志を秘めていた。
「だが、私は策を持っています。時間を稼ぎます。必ず、救いましょう」
大司教たちの目がわずかに細められ、次の手が打たれようとしていた。
この部屋に満ちる空気は、既に儀式の一部と化していた。
――戦いは、まだ始まってすらいない。
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