第六話 静かな朝と旅立ちの前
——チュン、チュン、と窓の外から鳥のさえずりが聞こえてくる。
まぶたの裏が少しずつ明るくなって、私はゆっくりと意識を浮かび上がらせた。
布団の中はぬくもりが残っていて、もう少しこのままでもいいかな……と誘惑されるけど、今日もやることは山積みだ。
「ん……うぅ〜……」
寝返りを打つと、腕が何か柔らかいものに触れる。
見ると、昨夜描いたはずのネズミのアニマが、私の枕元で丸くなって眠っていた。……というか、こいつ眠るのか?寝てるフリ?
「……お前、勝手にベッドに来たの?」
ツンツンっと、つついてみると、ネズミはわざとらしく伸びをしてから、もそもそと体を起こした。
「……やっぱり、生きてるっぽいんだよなぁ……描写通りってだけじゃ、説明つかないくらい自然すぎる」
私はあくびをひとつ。
少しのぞく朝日が、カーテンの隙間から部屋に差し込んでいた。
静かな、田舎の朝。
誰も起こしに来てくれないし、話しかけてくる人もいない。
でも——だからこそ、私にはこの自由がある。
「さて。カイルに報告するのと、ミルフィ……彼女のことも、もう少し探っておきたいし」
布団から出て、冷たい床に足をつけた。
寝ぼけ眼のネズミを肩に乗せて、私は今日の冒険へ向けて、動き出す。
(ギフトの秘密……視る力……)
あの魔法陣を“古い術式の残滓”と一目で見抜いた彼女。
あたしが呼び出したネズミのアニマが、自律的に行動したのも、彼女にとっては当然の結果のように見えた。
(でも、あたしだって、あんなふうに勝手に動くのは初めて見たんだが?)
アニマたちは絵に描いた通りに動く。命令があれば、当然動く。けど、命令してないのに戻ってきて、肩に乗るなんて。
意思や感情があるみたいで――ちょっと、怖い。
「……でも、かわいかったな。あの子」
わたしは寝起きの髪を乱暴にとかしながら、決めた。
会ってみる。もう一度、ちゃんと話をしてみる。
信じられるかどうかは、そのあとで決めればいい。
昨日の約束通り、昼には市場の裏手、古井戸の前で会うことになっている。
朝の澄んだ空気が村を包み込み、鳥のさえずりが静かな目覚めを告げる。
ジウイはギルドでカイルと軽く顔を合わせると、村の井戸へ向かった。
「ミルフィとここで待ち合わせだ。村長への報告は、彼女と話してからにしよう」
カイルは腕組みしながらも、自然と頷いた。
井戸のほとりには、すでに青いローブの女性が立っていた。
彼女は物静かに、だが確かな存在感を放っている。
「おはよう、ジウイさん」
ミルフィが声をかけた。
「おはよう、ミルフィ。今日もよろしく」
ジウイは微笑む。
「さっそくだけど、あの魔法陣について考えてみたわ」
ミルフィはゆっくりと話し始める。
「実は、あの魔法陣、私が見つけてからもう一月近く、毎日のように調べていたの」
ミルフィは静かに語り始めた。
「昼間は何も見えなかったけど、夜になると魔力の流れが強まるのか、魔法陣が浮かび上がるようになったのよ。」
「私が青いローブで何度も廃屋に通っていたから、村の噂にもなったのでしょうね。」
彼女は少し笑みを含んで言った。
「でも魔法陣の正体はまだ完全にはわからない。けれど私の推測では、これが過去の痕跡を封じたり守ったりするための古代の封印術の一種である可能性が高いわ。」
「私の一族は探求の一族。古代の遺跡や魔法の痕跡を読み解くことが使命だから、こういう場所には強い興味を持っているの。だから毎日、少しでも情報を掴もうと通ってたのよ。」
「それに、魔法陣は単に空間を封じるだけじゃなく、魔力の流れを操作したり、時空の歪みを生み出すこともある。もしかしたらこの地下室は、時間の裂け目のように過去と繋がるポイントかもしれない。」
「私がこれまでに見たのは、この場所でかつて起きた重大な出来事の“残像”や“記憶”のようなもの。まだ消えていない何かがここに強く残っている。」
「そして、あの魔法陣が夜に浮かび上がるのは、誰かがその力を意図的に引き出しているか、あるいは自然に魔力が高まる時間帯だからかもしれないわ。」
「だからこそ、私はこの謎を解き明かすために王都に行くつもり。王都は古代の力や秘密が渦巻く場所で、地下室の謎は王都への道標のひとつかもしれない。」
ミルフィの言葉には、重みと決意が込められていた。
ジウイとカイルは、じっと彼女の話に耳を傾けていた。
「……あの魔法陣、浮かび上がった模様の一部に、見覚えがあったの」
ミルフィは、静かに続けた。
「わたしの“視る”力で魔法陣をたどったとき、一瞬だけ──映像のようなものが見えたの。石畳の広場、大きな鐘楼、白い尖塔の聖堂……あれは、王都の中心にある大聖堂よ。間違いない」
「つまり、あの魔法陣と王都が関係しているってこと?」
「ええ。そして──王都の地下にも、同じ系統の“陣”がある可能性が高い。少なくとも、一度はあの場所と繋がっていた痕跡がある」
「そして、ジウイ。あなたのギフトにもかかわりがあると思う魔力と記憶があるのよ」
ジウイの中で、ひとつの想いが強くなる。
(あたしのギフトのことも……もしかしたら)
「わかった、王都に行こう。あたし──描きたい絵があるんだ。あの大聖堂を、ちゃんと見てから」
ミルフィは少し微笑んだ。
「なら、目的は一致ね」
ジウイが言うと、カイルはぴたりと足を止めた。
「――あんたは、ついてこなくていいわよ」
そう告げると、カイルはぽかんとした表情でジウイを見つめた。
「……え? なに言ってんだ、お前」
「別に、あたし一人で行けるって意味じゃない。ミルフィと一緒なら大丈夫ってこと。彼女、魔法も使えるって言ってたし」
「それとこれとは別だろ。王都までの道中、山越えもあるし、盗賊だって出るかもしれないんだぞ? 荒事になったらどうすんだ。女の二人旅とか危なすぎるぞ」
カイルの声に、ジウイは少し眉をひそめた。
「それこそミルフィの出番でしょ? ね?」
視線を向けられたミルフィは、肩をすくめて小さく笑った。
「ええ、まあ……多少の戦闘はできるわよ。護身程度だけどね。」
ジウイのアニマ、ちょこちょこと彼女の足元を駆け回っていたネズミが、ひょいと前足をあげてこちらに“敬礼”のようなポーズを取った。妙に生き生きしていて、カイルが思わず吹き出す。
「……お前な、こんなちんまりしたのも戦わせる気かよ」
「いやいや、この子たちは癒やし担当だから。戦闘はミルフィが。あたしは……ほら、情報戦とか。鍵開けとか、応援とかね」
「おいおい……」
カイルは頭をがしがしと掻いた。
「お前がどう言おうが、俺は行くからな。危ない目に遭ってからじゃ遅い。ジウイ、お前のギフトじゃ、どうしたって荒事には向いてないんだから」
ジウイは口を開きかけて、すぐに閉じた。彼の珍しく真剣な目を見て、反論する気が失せたのだ。
代わりにミルフィが、ひとつうなずく。
「……なら、三人ね。王都までは少し距離があるけど、途中の宿場町もあるし、準備はしっかりしましょう。それから、村長への報告も忘れずに」
「だな。明日には出発できるようにしようぜ」
「了解。でもまずは……帰って寝るわ。今日はちょっと、濃すぎた」
ジウイは大きく伸びをして、アニマのネズミを肩に乗せると、二人に手を振って歩き出した。
「了解。でも……まずは準備ね。明日、また集合しよう」
ジウイが言うと、カイルとミルフィもそれぞれ小さくうなずいた。
「ギルドの支部長にも出発の旨は伝えておく。村長には、明朝報告すればいいだろ」
「私は、簡単な旅装備くらいなら持ってるけど……補充はしておくわ」
「俺も荷造りしねえとな。地図とか、野営道具もいるしな」
三人は、明日の出発を確認すると、広場で一度解散することにした。
夕方の風が少しだけ涼しくなってきていて、空には薄桃色の雲が流れていた。
ジウイは家の方向に足を向けると、小さく息を吐いた。
ほんの数日前までは、毎日が同じの繰り返しだった。絵を描き、私でもできるちょっとした依頼をこなし、少しだけ退屈して、また眠るだけの平和な日々。
けれど今――自分の足で旅に出ようとしている。絵空事のように語られていた“ギフトの秘密”を、確かめに行こうとしている。
「……帰って、最後の夜をゆっくり過ごそ」
そう呟いて、ジウイは坂道を登っていく。
誰もいない静かな我が家の灯が、ゆっくりと近づいてきた。
扉を開けると、ほんの少し、懐かしい香りがした。
壁にかかったスケッチ、机の上の未完成の絵、使いかけのインク壺や筆。
それらひとつひとつに目をやりながら、ジウイは軽く微笑んだ。
「……行ってくるね、パパ、ママ。たぶん、ちゃんと帰ってくるからさ」
肩の上のネズミが、ぴくりと耳を動かす。
この前から、こうして長く一緒にいられるようになったんだよね。
だから、この子も一緒に旅に出れるのかしら?
ジウイはベッドの端に腰を下ろすと、ふかふかの枕に身を預けた。
もうすぐ、外の世界へ――新しい景色と、答えと、たぶん困難と、ちょっとした冒険が待っている。
それでも、今夜だけは。
「……寝るの、大好きなんだよね。あたし」
アニマのネズミが、ちいさく鳴いた。
夜が、静かに更けていった。
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