第五話 青のローブと三者の会話
「……情報交換、ね」
ジウイは口元を引き結んだまま、ミルフィの目を見つめ返していた。
魔法陣の青白い光が、石造りの地下室を幽かに照らしている。壁の影が揺らめき、空気に張りつめた気配が漂っていた。
「この魔方陣について調べてるの?」
ジウイが問いかけると、ミルフィは少しだけ目を細めた。
「そうとも言えるし、違うとも言える」
「どっちよ、それ」
「あなたのギフト……“絵を描いて呼び出す力”。とても珍しい。しかも精度が高い。昔読んだ文献に近い事例がある」
その言葉に、ジウイの眉がわずかに動いた。
「……あたしのギフトの話を、初対面でしてくるとか、だいぶ怪しいんだけど?」
「でも、あなたは話を聞く気がある。だから、こうして立ち話が続いている」
ミルフィの声には確信めいた静けさがあった。
挑発でも傲慢でもない、ただ観察者としての距離感。
「この村には、“異常”がある。あなたたちも気づいているでしょう?」
「この魔法陣のことか?」とカイルが口を挟む。
「それも一つ。でも、それだけじゃないわ。この村には“過去に消された記憶”が存在している。ある特定の一族の、断絶された記録」
ミルフィは地下室の隅に積まれた崩れかけの木箱を見やる。
「その痕跡を私は追っている。だから、ここに来た。あなたたちと出会ったのも、偶然とは思っていない」
「じゃあ質問。あなたのギフトは何?」
ジウイの声が鋭くなる。
ミルフィは少しだけ逡巡したあと、静かに答えた。
「“視る”力。過去に遺された痕跡を読むことができる。物に宿った記憶や、魔力の流れを解釈できる。このギフトでここまで来たのよ。」
「便利だけど……怪しすぎる」
「だからこそ、情報を交換したいのよ。私には読み解けるものがある。そしてあなたには、そのとても珍しいギフトがある。ぼんやりだけどあなたには何か特別が見える。」
「つまり……持ちつ持たれつ、ってわけ?」
「うまく言えば、そうなる」
沈黙が流れる。
カイルは黙ったまま、ジウイの反応をうかがっている。
ジウイは少しだけ目を伏せ、考え込む仕草をした。
地下室の奥で、ネズミのアニマがそっとカイルの足元に戻ってくる。
「……仮に協力するとして、私たちは何を探すことになるの?」
「はっきりはわからないけれど、封印の痕跡。それはどこかに繋がっている。もしかしたら、あなたのギフトの秘密にもかかわっているかもしれない」
「……神様のくれた“贈り物”の、秘密に?」
「可能性はある。ギフトは、ただの能力じゃないわ。生まれ持つ“鍵”でもある」
言葉の端々に、ミルフィの確信がにじんでいた。
その確信は、狂信のようなものではなく、長い探索と知識の蓄積から来ているものに見えた。
「明日、昼間にまた落ち合いましょう。市場の裏、古井戸の前で」
そう言い残し、ミルフィは足音ひとつ立てずに背を向けた。
「……消えた……?」
カイルが呟いたときには、青いローブの姿はすでに、地下室の影の向こうに消えていた。
「どうする?」
カイルが問う。
ジウイは、ゆっくりと魔法陣を見下ろした。
「……乗るしかない、でしょ。ギフトの秘密が絡んでるなら、なおさら」
月の光が地下の階段から差し込み、魔法陣の青白い輝きに重なった。
地下室を出て、廃屋の前に戻る頃には夜も更け、村の通りには人影ひとつなかった。星がきらめく空の下、虫の声がどこか遠くで響いていた。
ジウイは歩きながら、小さく息を吐く。
「……なんだったんだろうね、あの人」
「警戒して損はない」
カイルは手を腰の剣から離さずに言う。
「情報は持っていそうだが、目的が見えない。ギフトの秘密に興味があると言っても、どこまで本気か」
「……本気だったと思うけどな。少なくとも、“何かを隠してる”感じじゃなかった。逆に、全部言ったらヤバいから小出しにしてるっていうか」
「信じすぎだ」
「疑いすぎだっての」
二人は同時に言って、ふっと笑う。
そのとき、ジウイの肩に、何か柔らかい重みがポンと乗った。
「……ん?」
見ると、絵から呼び出されたアニマの小ネズミが、ちょこんとジウイの肩に登っている。廃屋の中で偵察に使ったものの、その後は特に命じていなかったはずだ。
「あなた……勝手についてきたの?」
「まだ描き消してないからじゃないのか?」
「うーん……いや、でもさ。普通は、使い終わったら光の粒子になって薄れて消えるのに、こいつ、なんかぴんぴんしてる」
ネズミは、まるで反応するかのようにジウイの頬にひげをくすぐらせた。
「あっ、くすぐったい! こら!」
「……生きてるみたいだな、ほんとに」
「うん。絵に描いたとき、“ちょっと賢め”にしたけど、さすがにここまで自律行動するのは初めてかも」
カイルは肩越しにネズミを見て、少しだけ目を細めた。
「ミルフィが言ってた“精度が高い”ってのは……そういうことか?」
「どうだろ。でも、あたし自身も、ギフトの限界って分かってないんだよね」
ジウイは肩のネズミを軽く撫でながら、ぽつりと続ける。
「昔から、描けば動く、ってだけじゃなかった気はしてる。“気持ち”が入ると、違うんだよ。呼び出された側にも、それが伝わってる気がするの」
「気持ち、か……」
カイルは少し間を置いてから言った。
「……絵から出てきたものが“意志”を持つっていうなら、それはもう生き物だろう。アニマじゃなく、“命”だ」
「だったら……責任、あるかもね、あたしにも。でもなんかこの子は今までと違うんだよね。はっきり感情があるっていうか。」
二人は並んで歩きながら、廃屋から続く村道をゆっくりと戻っていった。
夜風が吹き抜け、星空の下に影を落とす。
肩に乗ったネズミのアニマは、時おり小さく鼻をひくつかせながら、まるで道を警戒するように先を見つめていた。
村の中心から少し外れた場所に、私の家はある。
木造の、小さな二階建て。子どもの頃から変わらないその佇まいが、今ではすっかり私ひとりのものになった。
玄関の鍵を回し、靴を脱ぎ、まっすぐ自室へ。
両親がいなくなってから――ずいぶん、時間が経った。
けれど、家の中はあの日のままだ。母が編んだクッション、父の好きだった椅子。今は誰も座らないそれらが、夜の静けさに溶け込んでいる。
私はベッドに倒れ込んだ。くたびれた羽毛布団の感触が心地よい。
「……今日は、色々ありすぎたな」
地下室に現れた魔法陣。青いローブの女、ミルフィ。
そして――勝手に動いた、私のネズミのアニマ。
「まあ、明日考えればいいか。とりあえず……」
私は目を閉じる。
考えるより先に、眠気が押し寄せてくる。
「……わたし、寝るの大好きだから……ぐっすり……」
ふわり、と意識が遠のく。
懐かしい木の香りに包まれながら、私は深く、深く眠りへと落ちていった。
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村の南端にある小高い丘に、ミルフィは腰を下ろしていた。
早朝の空気は冷たく澄んでいて、遠くの森が朝霧にけぶっている。視線の先には、石造りの古い廃屋。その地下にある、あの魔法陣。
私は目を閉じる。
(あれは――“封印”の残滓。けれど、完璧なものではない)
魔力の流れは雑に乱れていた。まるで、何者かが力任せにこじ開けようとした痕跡のよう。
あの場所には、“過去”が絡んでいる。失われた記憶、途切れた系譜、語られなかった何か。
そして――昨夜出会った少女。ジウイ。
(絵に命を与えるギフト。しかも、それが“育つ”。……観測した限り、彼女のアニマには、自我の萌芽がある)
私はギフトで「視る」。物に残る魔力の痕跡や記憶の残響を読むことができる。
昨夜、彼女のアニマから感じたものは、単なる魔力ではなかった。“存在”の核に近い何かだった。
数年前、王都で手にした古文書。その中に、似た力の記述があった。
(“神が最初に与えし贈り物”――それは、存在を創る力)
もちろん信じたわけじゃない。ただの神話の一節にすぎないと、思っていた。
けれどジウイのアニマを見て、私は確信を得た。
この少女は、「創る力」に近いギフトを持っている。
危険でもある。だが、今はまだ幼い。彼女自身、何も気づいていない。
だから――
「まずは対話から。導くでもなく、押しつけるでもなく」
私はローブの前を軽く整え、丘を下りる。
市場の裏、古井戸の前。正午の約束まで、あと少し。
(きっと来る。彼女は、知りたがっていた)
冷たい朝の空気を吸い込み、私は歩き出した。
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