第五七話 謁見
その朝、王城の空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
正門の前には、王子をはじめ、リューン、騎士団の幹部たちが整列し、大聖堂からの使節団の到着を待っていた。
重く閉ざされていた門が、ゆっくりと開かれる。
石畳を踏みしめる足音とともに、純白の礼装をまとった一団が、整然と王城へと進んでくる。
先頭に立つのは、痩せた身体を法衣に包み、柔和な微笑みを浮かべた一人の老人――ガリエル大司教だった。
「……!」
リューンは、思わず一歩前に出た。
以前よりもさらにやせ細ってはいたが、その目は濁っておらず、何よりもその笑顔は変わらぬ優しさを湛えていた。
「リューン……お前の顔が見られて、嬉しいよ」
ガリエルは、ゆっくりと歩み寄り、細い腕を差し出した。
リューンは、その手を握り返し、低く頭を下げる。
「大司教……ご無事で何よりです。ご自身の意志で、ここへ?」
「ああ。私が来ると聞いて、驚いたのでは?」
ガリエルは穏やかに笑い、周囲の視線を一瞥する。
「本来なら、私はここにいるべき存在ではないのかもしれない。だが、伝えなければならないことがある」
リューンの表情に警戒が混じる。だが、目の前の人物があのガリエルであることに、偽りはないようにも見えた。
「それは、森の研究施設のことですか?」
「うむ」ガリエルは頷く。「私の口から、正しく説明せねばならないと思ったのだ。あの場所が何を目的としていたのか。なぜ黒ずみが生まれたのか。そして、我々がどこまで知っていたか……王家に対して、真摯にお伝えする責務がある」
「敵意はないと?」
「ないさ、断じて」
ガリエルの声には、確かな温もりが宿っていた。
「私は……王子にも、そして君にも、助けられた。その恩を忘れるほど、愚かではないつもりだ」
その言葉に、周囲の騎士たちや貴族たちも、わずかに表情を緩める。
王子は前に出て、ガリエルに深く一礼した。
「大司教殿、我が王城へようこそ。今は警戒が強まっておりますが、それでも貴方を歓迎する者は多いのです」
「光栄です、陛下」
ガリエルは静かに頭を下げ、後ろに控えていた使節団の面々も一斉に膝を折る。
その姿を見て、リューンはひとつ小さく息をついた。
だが、内心ではなおも緊張が続いていた。――この静けさの裏に、何かが潜んでいると、本能が告げている。
「陛下、リューン……できれば、謁見の間にて、王家の皆様と話をさせていただきたい」
ガリエルがそう申し出ると、王子は「もちろん」と即答し、先導するように歩き出した。
一行は、整然とした足取りで王城の奥へと進んでいく。
柔らかな朝の日差しの中――微かに吹き抜けた風が、使節団の一人のローブを揺らした。
ほんの一瞬、リューンの視線がその人物に向いた。
その目に映ったのは、僅かに焦点の定まらない瞳。そして……肌に薄く浮かび上がる、黒い筋のような模様。
(……やはり、全員が“清らか”なわけではないな)
リューンは目を伏せ、何も言わず歩みを進めた。
真実を見極める時は、まだ先だ。だが、確実に――何かが始まりつつある。
謁見の間へと続く長い回廊は、いつになく緊張感に包まれていた。
左右の壁沿いには、槍を携えた騎士たちが等間隔に並び、鋭い眼差しで使節団の一行を見つめている。
通路の奥、かすかに開かれた扉の向こうには、王と重臣たちが待つ謁見の間。
総勢五十名に及ぶ大聖堂の使節団が、慎重な足取りでその通路を進む。
物々しい空気に、後方の若い神官たちが緊張の面持ちを浮かべる中――ガリエルはふと笑みを浮かべた。
「……まぁ、当然の反応ですね。私たちが蒔いた種ですから」
その呟きは、隣を歩く副官にも聞こえぬほどの小さな声だった。
重厚な扉が両開きに開かれ、荘厳な謁見の間が現れる。
天井のステンドグラスから差し込む陽光が、空間を神聖な輝きで満たしていた。
玉座の前に立つ王の隣には王子が、そして少し下がってリューンと側近たちが控えている。
ガリエルは使節団の先頭に立ち、静かに頭を垂れた。
「大陛下。長らくのご無礼をお許しください。大聖堂の一代表として、この場にて直接ご説明の機会を賜り、感謝いたします」
王は軽く頷き、深くは語らない。
代わりに王子が一歩前に出る。
「ガリエル大司教。貴殿がこの場に立っていること、それ自体が奇跡に近い。話を聞く用意はある。だが、我が王家の民と兵が被った損害は、決して小さくないことも理解していただきたい」
「もちろんです。私とて、そのことを重く受け止めております」
ガリエルは淡々とした口調で答え、周囲の空気もわずかに落ち着きを取り戻す。
数名の神官が後方で控える中、ガリエルは本題に入った。
「まず、森で見つかった研究施設について。あれは本来、封印の維持と“黒ずみ”の研究を分離して進めるための分館でした。……しかし、幾つかの部門が独断で進めていたこともあり、我々本体の認識と齟齬があったのは否めません」
リューンの眉がぴくりと動く。その言い方は、まるで本堂の関与を否定する言い回しだ。
「この場を借りて、誤った情報を放置していた責任の一端は、大聖堂側にもあると認めます」
そう述べた後、ガリエルはほんの一瞬だけ、虚空を見るような目をした。
「ただ……私には、どうしても確かめたいことがあるのです。それは“創造の力”につい――」
その瞬間だった。
空気が、変わった。
言葉が発せられた直後、謁見の間を満たしていた陽光が鈍く沈み、床と壁の装飾が微かに震え始める。
誰かが息を呑み、別の誰かがうめくような声を上げた。
一部の神官の手が、震え始めていた。
リューンが反射的に剣に手をかけた瞬間、ガリエルの顔から笑みが消えていた。いや表情というものがそげ落ちていた。
「……!」
その目が、虚空を見つめていた。
そして、まだ誰もがその異変の正体を掴めぬまま――謁見の間が、一変していこうとしていた。
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