第五一話 黒の咆哮
間違って、51話を先に公開してしまったので、51話→50話に直して、51話を公開しなおし。
獣の唸り声と、金属の交錯する音が森に響き渡っていた。
「下がれ! 前衛、二列目と交代だ!」
リューンの指揮が飛ぶ中、黒ずみに侵された獣が兵士たちに爪を振るう。
その一撃は鋭く、鋼の盾すらへこませる。
それでも兵士たちは怯まない。防御と回避を繰り返しながら、魔法と槍で反撃を加える。
「こいつら……ただの魔獣じゃない!」
「魔力の流れが……狂ってる!」
兵士の一人が叫ぶ。
黒の靄は獣の体にまとわりつき、まるで意思を持って動いているかのようだった。
だが、数で勝るこちらが徐々に押し返していく。
「今です! 一体ずつ確実に!」
やがて、一匹、また一匹と地に伏し、最後の獣が喉を鳴らして倒れた。
「……制圧、完了!」
あたりに静寂が戻る。
兵士たちは周囲を警戒しつつも、施設への侵入を試みようとしたその時。
ミルフィの全身に、刺すような寒気が走る。
頭の奥に響く、まがまがしい“波”――
「待って!! 中に入らないで!!」
彼女の叫びが、制圧隊の兵たちを制止した。
数名が建物の入り口から中に入りかけていたが、その声に思わず立ち止まる。
「な、何だ……今の気配……?」
重く、濁った空気が、扉の隙間から漏れ出てくる。
それだけで、息苦しさを覚えるほどの魔力の圧。
そして――
入り口の奥、暗がりの中から現れたのは――
黒ずみに染まった、巨大な影。
身の丈三メートルを優に超える、灰色の皮膚と異様な膨張を見せた筋肉。
ただでさえ巨体のトロールが、その全身に黒い靄をまとい、狂気に濁った瞳をぎらつかせていた。
「……トロール……!? でも、これは……!」
「完全に侵食されてる……」
その存在感だけで、周囲の木々がざわめくようだった。
地を踏むだけで地面が震え、無言のまま、巨体が一歩前へと踏み出す。
リューンは即座に叫んだ。
「後退! 全員、戦列を下げろ! 準備なしで相手にできる相手じゃない!」
ミルフィも息を呑んだまま、拳を強く握る。
これは、さっきまでの黒ずみに侵された獣とは違う。
「弓兵、射線確保! 牽制を頼む!」
リューンの声に応じ、数名の弓を携えた兵士が素早く茂みの影から姿を現す。
施設制圧を想定していた部隊に弓兵は少数――だが、それでもその矢は確実に狙いを定めていた。
「撃て!」
ピン、と空気を裂く音が重なり、矢が放たれる。
トロールの肩、腕、腹に数本が突き刺さる――が、効いている様子はない。
むしろ、刺さった箇所から黒い靄が噴き出し、矢を押し返すかのように揺れていた。
「無駄じゃない! 牽制だ、距離を取って!」
その声に合わせ、地上からは一人の兵士が駆け出す。
「俺が引きつける!」
その男は盾を構え、大きく円を描くようにトロールの視界へと躍り出た。
大きな盾を打ち鳴らし、わざと派手に音を立てながら動く。
「こっちだ、化け物!」
トロールの狂った瞳が、ゆっくりとその兵士に向けられる。
(……狙い通りだ)
獣のように唸り声をあげ、トロールが一歩、また一歩と足を進める。
他の兵たちはその間に、周囲の配置を立て直す。
弓兵が再び矢をつがえ、背後の援護に備える。
「正面からは危険すぎる……隙を作らないと」
リューンは森の木陰から鋭く見つめる。
「ミルフィさん、あなたはここにいてください。決して近づかないように」
「……わかってます。視てるだけです」
そう言うミルフィの声は震えていたが、目は決して逸らさなかった。
その時、トロールの黒い靄が、突如として膨れ上がる。
まるで怒りに反応するように、獣のような咆哮が森を震わせた。
「来るぞ……!」
直後、トロールが突進する。
盾を構えた兵士が、真正面からその巨体を受け止める。
「く……ぅおおお!!」
轟音。
衝突の勢いで地面がえぐれ、兵士は吹き飛ばされながらも、必死に盾を構えていた。
だが、その隙に――
左右から、槍を持った二人の兵士がトロールの脇腹に突撃する。
「今だ、囲め!」
リューンの号令が飛ぶ。
戦場は、一気に動き出した。
槍兵たちは円を描くようにトロールを囲み、間合いを計っていた。
「一斉に――突けっ!」
指揮官の号令と同時に、四方から槍が突き出される。
鋭い音と共に、トロールの身体に何本もの槍が食い込んだ。
その巨体が、ほんの一瞬、ぐらりと揺れる。
「効いてるぞ! 今のうちに――」
次の瞬間、空気が唸った。
トロールが両腕を、風車のように横薙ぎに振り回す。
その破壊的な一撃は、二人の兵士を弾き飛ばし、他の者たちの陣形を一瞬で崩壊させた。
「距離を取れ! 下がれ!」
リューンが叫ぶが、それより早くトロールは地面を踏みしめ、さらに前へと躍り出る。
踏み潰された地面が爆ぜ、砕けた石と土が飛び散る。
槍の刺し傷、矢の痕――その傷跡は確かに残っていた。
だが、黒い靄が傷口を包むと、まるで時間が巻き戻るように、肉が繋がり、血が引いていく。
「再生してる……? なんて回復力だ……!」
リューンの顔が険しくなる。
再び襲いかかるトロール。
その爪が振るわれるたび、兵士が倒れ、呻き声が上がる。
負傷者が次々と戦線を離脱し、包囲が維持できなくなっていく。
「このままでは……!」
リューンは咄嗟に前に出た。
黒い爪が、倒れた兵士に振り下ろされる――。
「っ……!」
リューンは魔力を集中し、障壁を張って間に入った。
爪が魔法の壁に激突し、火花のような光が飛び散る。
だが――間に合わなかった。
防ぎきれず、トロールの爪がリューンの肩を切り裂いた。
地面に膝をつく。魔力が散り、息が浅くなる。
「リューンさん!」
遠くでミルフィの悲鳴に似た声が響く。
彼女の目には、倒れた兵士たちと、血を流すリューンの姿が映っていた。
「まだ……だ」
リューンは片膝をついたまま、トロールを見上げる。
その巨体がゆっくりと、こちらへ向き直った。
(ここで止めなければ、誰かが……ミルフィさえ……)
黒い靄が、再び渦を巻くようにトロールを包み込む。
その手が、振り上げられる――。
(――誰か、止めてくれ)
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