第四八話 痕跡の先
森の気配が、じわじわと近づいていた。
馬車の揺れに揺られながら、ミルフィは深呼吸を繰り返していた。
一つ、二つ、頭の中で脈打つ記憶の“残滓”を追いかける。
あの狼が見た、黒の恐怖。染みついた魔力。そこに残された痕跡。
「少人数での行動ですので、無茶はしないでくださいね」
向かいの席に座るリューンが、手のひらに光を浮かべながら呟いた。
光はすぐにかき消え、周囲の空気に溶ける。
「私たちに認識阻害の魔法をかけました。簡易的なものですが、森の中では有効でしょう。
ただし、時間は限られていますので、長居は避けたほうがいいでしょうね」
カイルは窓の外を見たまま頷いた。
「わかってる。派手に動いたら意味がない」
「でも、動かなければ、何もつかめないからね」
ミルフィがつぶやいた。
今回の調査の主目的は研究施設の「場所の特定」だ。
突入でも制圧でもない。ただ、"どこにあるか"を知る。それだけ。
――王都の周囲は、森に覆われている。
西も北も南も、街道周辺を除けばすべて深い森が続く。開けているのは東方に広がる穀倉地帯だけだ。
建物の記憶には、“木漏れ日”と“苔むした石壁”があった。
それが森の中であることは間違いないが、それ以上の手がかりはない。
「本当に、このだだっ広い森の中から探せるのか?」
カイルがぽつりと漏らした。
「……正直、分からない」
ミルフィは正面を向いたまま、静かに答えた。
「でも、“あの場所”と似た魔力を感じられれば、見つけられる可能性はある。
私の力は……そういう、痕跡の“波”を拾えるんだから」
「問題は、その痕跡がどれほど残っているかと、どれくらいの距離で発見できるかですね」
リューンがつぶやく。
「敵も痕跡を残さないよう隠蔽しているでしょう。そもそも“黒ずみ”の研究施設など、存在そのものがあってはならないものです。」
ミルフィはうなずく。
「だから、私のギフトが頼りなんです」
その声には、震えも迷いもなかった。
馬車はやがて、王都外縁の林道に入る。
まずは馬車で王都の外縁をぐるっと回りながら、ミルフィが痕跡を感知できるところを探ることとなっていた。
途中馬のための休憩を挟みつつも、半日近く経過した時に、ミルフィがわずかな違和感を感知した。
「ここ、同一の魔力かは分からないけれど、近い魔力を感じます。」
そこから先は徒歩で進む必要があった。王都から少し離れただけでも、深い森に入れば、空気ががらりと変わる。湿った苔の匂い、葉の揺れる音、虫の羽音。
木々の隙間から洩れる光は細く、土の匂いは濃い。森が、すべての音と気配を飲み込んでいく。
リューンが静かに手を掲げると、周囲に淡い魔法の膜が広がった。
「これで、我々の姿と声はある程度、外から認識されにくくなる。
ただし完全ではない。できる限り素早く、目立たず行動するように」
「それは苦手なんだけどな」
カイルが冗談めかして笑ったが、すぐに顔を引き締める。
ミルフィは目を閉じる。
手のひらをゆっくりと持ち上げると、淡い光の粒が揺れ始めた。
「……感じる。遠くに、かすかに……似た波長がある」
彼女の視線が森の奥に吸い込まれていった。
「たぶん、あっちの方角。まだ確信はないけど……行ってみる価値はあります」
リューンはうなずく。
「よろしい。では、そちらへ向かおう。痕跡を一つずつ、拾っていこう」
かすかな光に導かれながら、三人はゆっくりと森の奥へ歩を進めた。
かすかな痕跡を頼りに、三人は森の奥へと進んでいった。
ミルフィの光の粒が、風に揺れるようにふわりと舞う。
その方向に進めば、確かに魔力の“波”は続いている。断続的ではあるが、確かにあった。
「間違いありません。あの狼が見た“場面”と似ています。ここに近づいている」
ミルフィが確信を込めて言った。
リューンも頷きながら、周囲を見渡す。
「この密度の痕跡……通常であれば、源はもっと先にあるはずです」
「じゃあ、まだ……」
ミルフィが一歩踏み出した、そのときだった。
光の粒が、ふっと消えた。
「……?」
彼女がもう一度手を掲げる。だが、何も現れない。
まるで、風の中に溶けたように。
「急に……消えました」
「見失った……?」
カイルが眉を寄せる。
「違う。そんなはずはない……。あれほどはっきりしていた波長が、突然……」
ミルフィの声に戸惑いが混じる。
リューンが土をすくい、空気の流れを読むように目を細めた。
「これは……魔法の干渉かもしれません。おそらく、“隠蔽”に類する魔術です」
「つまり……見えなくされた?」
「可能性は高いです。特定範囲の魔力を遮断する結界か、魔力そのものを偽装する術式があると考えられます」
「となると……」
ミルフィが言いかけたときだった。
「……戻ろう」
カイルが静かに言った。
「え?」
ミルフィとリューンが同時に振り向く。
「ここは、もう痕跡が途絶えてる。無理に進むのは得策じゃない」
声は低いが、どこか確信めいていた。
「しかし……」
リューンがわずかに口を開きかけたが、すぐに言葉を飲み込んだ。
ミルフィも黙ってカイルを見た。
目は冷静で、だが鋭く何かを探っているようだった。
「……わかりました」
リューンが一歩引くように言い、ミルフィも頷いた。
三人は来た道を戻り始めた。
葉擦れの音だけが、ゆっくりと背後に遠ざかっていく。
魔力の波も、気配も、もうそこにはなかった。
森の中、かすかな風が枝を揺らし、葉の隙間からわずかな陽光が差し込んでいた。
三人は、言葉を交わすことなく、足音すら抑えて歩を進めていく。
ミルフィは胸の奥に引っかかる感覚を抱えながら、カイルの背中を見つめていた。
彼はただ前を見据え、何も言わない。
リューンもまた、時折周囲を見やりながら、軽く杖を握って歩く。
やがて、木々の隙間から馬車の車輪が覗いた。
「……戻ってきましたね」
リューンが小さく呟くと、カイルがふっと肩の力を抜いた。
「もう大丈夫だ。ここまで来れば、妙な気配もない」
彼の目が、わずかに緩んだ。
ミルフィがそっと問いかける。
「……やっぱり、何か感じてたんですね?」
カイルはうなずいた。
「はっきりとは言えない。音も気配も曖昧だった。でも……何かが“こちらを見ている”感じがした」
「……見られていた」
リューンが表情を曇らせる。
「隠蔽の術式が張られているだけではなく、向こうもこちらを探っていたということかもしれません」
「だからこそ、深入りは避けたかった」
カイルが静かに言う。
「ジウイが待ってる。俺たちが無事に帰らないと、意味がないからな」
ミルフィも、リューンも頷いた。
三人は再び馬車へと乗り込み、扉が閉まる音だけが林道に響いた。
静かに、車輪が土を蹴り、森を離れていく。
目的の“場所”には届かなかった。
だが、そこに“何か”があることだけは、三人の胸に確かに刻まれていた。
王城へと向かう馬車の中で、それぞれの胸に、不穏な気配が静かに残響していた──。
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