第三七話 それぞれの夜
食事のあと、自然と場はお開きとなった。
「今夜はもう自由時間です。談話室や書庫はご自由にお使いください。もちろん、お部屋でゆっくりお休みいただいても構いません」
リューンがそう伝えると、三人はそれぞれに軽く頷いた。
「本当に、今日はありがとうございました」
ジウイが頭を下げると、母が笑って言った。
「なにを言ってるの。今日は、あなたが帰ってきてくれた日なんだから」
父も、「そうだな」と柔らかくうなずいた。
しばらく談笑したあと、それぞれが自室へと戻っていく。
ミルフィは興奮した様子で「談話室に行ってくる!」と駆け出していき、カイルは小書庫をチラチラと気にしながら、そろそろと歩き出していった。
ジウイは自室のドアを開けて、一歩足を踏み入れる。
すぐに、母と父もあとに続いた。
部屋の中には、やわらかな灯りがともり、絵画と画集が落ち着いた空間を彩っていた。
カーテンの向こうには夜の庭が広がり、虫の音がかすかに聞こえている。
「……落ち着くわね、ここ」
母が窓辺に腰かけて微笑む。
「おまえの好きなものを、できるだけ集めておいた。リューンが気を利かせてくれたそうだ」
父がそう言って、椅子を引いて座った。
ジウイも、ふうっと息をつき、ベッドの端に腰を下ろす。
しばし、静寂。
でも、その静けさは居心地がよくて、三人はただ一緒にいる時間を味わっていた。
やがて、ジウイがぽつりとこぼす。
「……本当は、もう二度と会えないんじゃないかって、思ってた」
その言葉に、母がそっとジウイの髪を撫でる。
「それでも、私たちはずっと信じてたのよ。あの子はきっと、帰ってくるって」
「無理をしてないか、ジウイ」
父の声には、少しの不安がにじんでいた。
「無理……してるかも。でも、してないと進めない気がするの」
ジウイはゆっくりと顔を上げる。
「いろんな人に守られて、今の私がいる。それを、無駄にしたくないの。ミルフィも、カイルも、リューンさんも……。全部、大切な人たち。だから――」
「――前に進みたいんだな」
父が静かに言った。
ジウイは小さく、でも確かに頷いた。
「……強くなったわね」
母がぽつりとつぶやき、目元をそっと拭う。
「ねえ、少し昔話をしてもいい?」
ジウイが、窓際の母に微笑みかけた。
「もちろんよ」
「昔、お父さんが夜に焚き火をしながら話してくれた、“大昔の創造の民の神話”……あれ、もう一度聞きたいなって」
父は驚いたように目を瞬き、やがてゆっくりと微笑んだ。
「覚えてるか。……ああ、あの話か。じゃあ、今夜は特別に語ってやろう」
「やった」
部屋の灯りが少し落とされ、夜の帳が濃くなっていく。
その中で、小さな懐かしい物語が、父の口からゆっくりと紡がれていく。
ジウイはただ、静かに聞いていた。
この時間が、どれほど愛おしいものか、胸にしみてわかっていた。
そしてその物語の中に、これからの自分がどう歩んでいくべきかの“芯”のようなものが、確かに灯っていくのを感じていた――。
談話室の扉を開けると、あたたかな明かりがふわりと迎えてくれた。
重厚な木の調度とふかふかの椅子、低めのテーブルには、ほうじ茶のような香りが漂っている。
ミルフィは、目を輝かせて部屋の奥にいた人物へ駆け寄った。
「王都の歴史、聞かせてください!」
少しだけ驚いた顔をしたリューンだったが、すぐに小さく笑い、手に持っていた紅茶のカップをそっとテーブルに戻す。
「談話室は静かに……のはずですが、まあ、構いません。どこから話しましょうか?」
「やっぱり! 創造の力と王家の関係あたりからお願いします!」
そのまま二人は小さなテーブル席に向かい合って座り、歴史談義が始まった。
ミルフィはすでに知っている知識にも熱心に頷き、リューンが思わず感心するほどだった。
「……なるほど。神殿封印の崩れが“徐々に”ってのは、そういうことだったんですね……」
ミルフィは唸りながら、空中に図を描くように手を動かす。
「ええ。その兆候を感知したのは、ごく限られた学者たちと……ごく一部の王族です」
リューンは声を落としつつ、穏やかに言葉を継いだ。
「そして君のように、それを真剣に受け止めようとする人間は、残念ながらそう多くないのです」
「……じゃあ、あたしが役に立てるとき、ちゃんときてくれますか?」
「……もちろんです、ミルフィさん。君は、誰より“問い”を恐れない」
ミルフィは一瞬ぽかんとしたあと、照れ隠しにクッションを抱え込んだ。
同じ頃、小書庫の一角に、カイルはいた。
「……地図って、いいよな……地図の知識は絶対に裏切らない」
彼はそう呟きながら、大判の地図を机に広げている。
街路の名前、巡回兵の動線、地下の給水路の位置――
ここにある地図には、驚くほど細かな情報が書き込まれていた。
「なるほど……こっちから出れば、北門まで直線か……。ってことは、何かあっても……」
カイルは無意識に眉をひそめながら、頭の中で想定ルートをいくつも組み立てていた。
「んで、あそこが封鎖された場合……いや、その場合はそもそもここも抑えられてるか……ん、この地下道なんでここだけ?」
自分で考えながら、一人小さく笑う。
「あの二人、こんなとこ絶対見ないしな……しゃーねえ、オレが見といてやんねえと」
決して誰にも頼まれてはいない。
けれど、彼は“自分にできること”を静かに探していた。
いつかまた、戦いのような何かに巻き込まれる日が来たとしても、その時に、誰かを守るために「動ける」ように。
今調べている地図の知識は役に立たないのが一番だけれど、いざという時には絶対に役立つものだから。
夜も更けたころ、談話室にも書庫にも灯りが残っていた。
ミルフィは歴史の本を片手に、まだリューンと何やら話し込んでいたし、
カイルはノートを持ち出して、地図の写しを取っている。
ジウイは自室で、母と父に寄り添って昔話を聞いていた。
幼い頃の記憶、知らなかった過去、そして小さな神話――
それぞれが、それぞれの夜を、心の深い場所で刻み込んでいた。
やがて、夜は静かに深まり、明日の始まりへとつながっていく。
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