第三六話 豪華な晩餐と、再会の食卓
日が傾き、空がオレンジ色に染まりはじめた頃。
部屋の扉がノックされ、「夕食の準備が整いました」と、柔らかな声が響いた。
長い廊下を抜け、案内されたのは、天井の高い、格式ある食堂だった。
壁には美しい織物と絵画。テーブルの上には燭台が並び、揺れる炎が食器に映り込んでいた。
けれど、そこに並んでいたのは、気取ったフルコースではなかった。
「……わあ、すごい!」
思わず声が出た。
豪華で彩り豊かな料理が、大皿にたっぷり盛られて並んでいた。
ローストされた香ばしい肉、山盛りのグリル野菜、濃厚なソースのかかったパイ料理、ふわふわのパン……。
けれど、それらはどれも、私たちでも気後れせずに箸を伸ばせるような“家庭的な”並び方をしていた。
どうやら気を遣って、フォーマルな会食ではなく、家族の食卓風に整えてくれたらしい。
テーブルには六人分の席が用意されている。
「ええと……私たち三人と、リューンさんで四人分……でしょ? あと二つ……」
ミルフィが椅子を数えて小声で言う。
「一人は……お母さん?」
私もなんとなくそう予想して、ちらっとリューンを見ると、彼は口元だけで微笑んでいた。
「まさか……王子さまが一緒にご飯とか、ないよな?」
カイルが若干緊張した声で冗談を飛ばした、そのときだった。
「お、もう始まってるかと思ったら、まだだったか」
低く、温かな声が扉の向こうから聞こえた。
「……!」
振り返ると、そこに立っていたのは、少しだけ背筋の曲がった、大柄な男性だった。
鋭い目つきに白髪まじりの髪、けれど、にじむような優しさを湛えた笑みを浮かべていた。
「お父さん……!」
ジウイが息をのむ。
男はゆっくりと近づいてくると、何も言わずにジウイの頭をわしわしと撫でまわした。
「ようやく帰ってきたな、ジウイ」
「……うん……」
感情が言葉にならないのか、ジウイはただ目を潤ませて笑った。
「んで……お前が、カイルか」
カイルが驚いて立ち上がろうとしたところに、お父さんは手を伸ばして彼の肩をぽん、と叩いた。
「ありがとうな。約束、守ってくれて」
「……え?」
カイルがきょとんとした顔をする。
私もミルフィも、なにそれ?という目で彼を見る。
「……あー……その、なんというか……」
カイルは頭をかいて視線をそらす。
「……昔、ジウイちゃんのことは絶対守るって、こっそり約束したんだよ。まだおれが六つのころ」
「まあ、可愛かったのよ、この子たち。ほんとに」
あとから入ってきたお母さんが、くすっと笑いながら言った。
ジウイは真っ赤になって、目をぱちぱちさせている。
「え、それ知らなかったんだけど……」
「言ってないしな」
「言えよ!」
二人の掛け合いに、リューンがくすりと笑った。
「……さ、皆さん。席についてください。食事が冷めてしまいますよ」
「ええ、いただくわよ。今日は腕のいい料理長が張り切っていたの。楽しみにしててね」
お母さんが優雅に椅子に腰かけると、私たちも慌てて自分の席に着いた。
目の前にある豪華な料理は、王城にふさわしい煌びやかさを持ちながらも、どこかあたたかくて、懐かしい。
それはまるで、“おかえり”と言ってくれているようだった。
そして――
「じゃあ、いただきます」
誰ともなく声が重なった。
ジウイの父が「いただきます」と手を合わせると、場の空気がふっと柔らかくなった。
食卓には、大皿に盛られた料理が次々と手渡され、和やかな会話と笑い声が交わされていく。
少し経って、皆が一息ついた頃だった。
「あの、一つ、気になっていたのですが」
ミルフィがフォークを置いて、テーブルの向こうに座る父へと目を向けた。
「はい?」
父が穏やかに返す。
「王家と創造の民は、昔から繋がりがあったと聞きました。それに、王城の奥には“静地”という、創造の力の持ち主のための場所があると。だったら……ジウイは最初からここで育てればよかったんじゃないですか?」
その言葉に、テーブルの上の空気が一瞬だけ張りつめた。
ジウイは驚いたようにミルフィを見てから、そっと父へと視線を移す。
父は深く頷いた。
「……ごもっともな疑問だね。実際、私たちもそうできたら、と思ったことは何度もあります」
言葉を選ぶようにしながら、父は続ける。
「けれど、それができなかった。いや――してはいけなかった、のです」
「どうして……?」
「それは、三十年前に起きた“境界の森の神殿の破棄”が関係しています」
父の目が少し遠くを見たようになる。
「当時、王城の静地は代々、創造の力の持ち主にのみ開かれる場所でした。王家と創造の民との間には、ごく限られた信頼関係があったのです。ですが……三十年前、境界の森の封印神殿が破棄されたことで、その均衡が崩れました」
ミルフィとカイルが、息をのんで聞き入っている。
「破棄の背後には、創造の力に対する考えの違いがありました。一方は、その力を“祝福”と捉え、守ろうとする派閥。もう一方は、“脅威”と捉え、管理あるいは排除すべきとする派閥。神殿の破棄は、後者の手によるものです。そしてそれが、両派閥の対立を決定的なものにしました」
「でも、力を持ってる人がいれば……見つかるんじゃないの?」
カイルが素朴な疑問を投げる。
父は、静かに首を振った。
「それが、神殿の封印の性質です。あの封印は非常に強力で、創造の力を完全に“沈めて”しまう。生まれながらにその力を持つ者でさえ、自覚しないまま一生を終える。だからこそ、封印が生きていた時代は――力の持ち主は、誰にも知られることなく代替わりしていたのです」
「そのため封印が行われてからの数百年間は静地が使われること自体なかったのです。」
「じゃあ……ジウイも、本当は気づかれないまま、普通に生きていたかもしれなかったってこと?」
「ええ。しかし、神殿の破棄により封印は弱まり、時間と共に力の“兆し”が現れるようになった。とはいえ、それでも見つけるのは極めて困難です。だから両派閥とも、創造の力の子が生まれるのをずっと、待っていた」
父の声が、どこか静かな怒りを含んだものに変わった。
「けれどね、そのときに“王城の静地”を使い始めたらどうなると思いますか?」
「……!」
ミルフィが小さく息をのんだ。
「周囲に、『ここに創造の力の持ち主がいる』と、堂々と示すようなものだ」
リューンが、静かに頷く。
「静地は、いわば“創造の民のための場所”です。それを今さら使えば、敵対派閥に『見つけたぞ』と宣言するのと同じ。ジウイさんを守るどころか、的にしてしまうことになる」
「だから、あえて――誰も知らないような辺境で、普通の家族として、密かに育てる道を選んだのです」
母が、やわらかく言葉を添える。
ジウイは、そっと胸に手を当てた。
自分が村で普通の子として過ごしていた裏に、そんな経緯があったなんて、知らなかった。
「……ごめん、私、全然知らなかった」
「知る必要もなかったのよ」
母は笑う。
「本当はね、ずっと静地で育てられたらって思ってた。でも、あなたを守るには、それが最善じゃなかったの。だから、あの場所で、あの家で、私たちの子として、育てたのよ」
ジウイは目を伏せ、頷いた。
その手のひらには、今もまだ、母のぬくもりが残っている気がした。
父はふっと笑みを浮かべて、グラスを軽く持ち上げた。
「さ、話が重くなってしまったな。もう少し温かいうちに、たくさん食べてくれ。君たちには、まだまだ力をつけてもらわねばならないからね」
「……はいっ!」
ジウイは笑顔で返事をした。
少し涙ぐんだ目のまま、スープを口に運ぶ。
それは少しだけしょっぱくて、でも、とても優しい味がした。
読んでいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価・感想いただけますと大変励みになります。
---------------------------------------
毎日3回程度投稿しています。
最後まで書ききっておりますので、是非更新にお付き合いください。




