第三三話「それぞれの三日間 ―ジウイの静かな決意―」
アニマを出すことは、今はできない。
安全のためとはいえ、絵筆を持つ手が宙に浮いてしまう時間が、少しだけ寂しかった。
それでもジウイは、静かな部屋の窓辺に座って、筆をとった。
描けるものはある。描きたいものだって――ちゃんと、ある。
「……そうだな。旅、楽しかったな」
拠点の一室で、一人、絵を描きながら思い出す。
村を出て、カイルとミルフィと過ごした日々。野宿、食事、夜の焚き火。時には言い争いもしたけれど、それも全部、いとおしい。
「……描こう」
ふいに、心が決まった。
あの旅の中で見た、笑った顔。怒った顔。驚いた顔。
ジウイが知っている、二人の「らしさ」を詰め込んだ絵を――今こそ描きたい。プレゼントしたい。
「夜までに、仕上げるぞ……!」
小さな声で、決意を込めるように呟いた。
絵筆は、いつのまにか自然と動いていた。
ミルフィは、森の中で草を摘みながら微笑んでいる姿に。
カイルは、大きな魚を両手で掲げて得意げに笑っている姿に。
どちらも、ジウイの記憶の中にある一瞬の光景だ。
たぶん、本人たちは忘れてる。でも、ジウイにとっては宝物だった。
「ミルフィは……こういうとき、すっごい嬉しそうな顔するんだよな」
「カイルは……うるさいくらい大声で笑ってたなあ」
ふふっと、小さく笑ってしまう。
寂しさや不安は、筆を動かしている間、遠くにいった。
気がつけば、外は夕焼けに染まっていた。
ラストのハイライトを丁寧に入れて、筆を置く。
二枚の絵。
それは、誰かのために描いたジウイにとって――はじめての「贈り物」だった。
「……よし、できた。喜んでくれると、いいな」
完成した絵をそっと眺めながら、ジウイは満足そうに頷いた。
この三日間、特別なことはできなかった。アニマも出していない。
でも、こうして二人のことを考えながら絵を描けた時間は、きっとジウイをまた少しだけ強くした。
(ありがとう。ふたりとも――)
静かに、心の中でそう呟いて、ジウイはそっと夜空を見上げた。
夜。拠点の大きな談話室。
約束したわけでもないのに、三人はなんとなく、同じ時間にそこへ集まった。
夕食を終えてすぐなのに、どこかそわそわして、目が合うたびに目を逸らす。
気まずいわけじゃない。むしろ、その逆だ。
「……ねえ」
最初に口を開いたのはミルフィだった。
けれど、その手元には――紙袋が抱えられている。
「これ、ジウイに。外を歩いてたら、あなたにぴったりだなって思って……」
そう言って差し出したのは、美しく彩られた、空想上の鳥の絵が描かれた画集。
「きれい……!」
ジウイの顔が一瞬で輝いた。
手に取ってじっと眺めるその目は、すっかり夢中だ。
「ありがと、ミルフィ!」
ミルフィは照れくさそうに笑って、それからおずおずとカイルの方を見た。
するとカイルが、ややぎこちなく立ち上がり、木のトレイを持ってきた。
「んじゃ、俺からも。なんかこう……甘いもんが欲しいだろ? 色々、頑張ったし」
そのトレイの上には、ふわふわの焼き菓子、そして――
冷たくて甘そうな、白いクリームが乗った小さな器。
「え、アイス……?」ジウイとミルフィが揃って声をあげる。
「アイスを冷たいままにするのは、リューンさんが魔法かけてくれた。俺が作ったんだ、料理長に1日だけ弟子入りしてさ。クッキーも自作だぞ。」
そう言うと、ふたりは一瞬ぽかんとして、それから――声を上げて笑った。
「すごい! ありがとう、カイル!」
「弟子入りって……やるじゃない!」
三人で囲んで食べたアイスは、とろけるほどに甘くて、笑い声と一緒に広がった。
「……で」ジウイが、少し照れたように、くるりと身を翻す。
「私からも、あるんだ。二人に。……はい、これ!」
そう言って差し出したのは、今日一日で描き上げた二枚の絵。
草むらで花を摘むミルフィと、魚を掲げて笑うカイル。
受け取った瞬間、二人とも――言葉を失った。
「これ……」
「……私、こんな顔してたんだ……」
「覚えてたんだ、あのときのこと」ジウイが、小さく笑った。
しばらく、静かな時間が流れる。
けれどそれは気まずい沈黙ではなく――あたたかい、胸の奥に広がるような静寂だった。
それぞれの思いが、三人の真ん中に集まって、そっと重なる。
「あーもう……俺、なんか、うれしくて変な汗出てきた」
「泣くの早いよ、カイル」
「泣いてねーし!」
いつのまにか、夜は深くなっていたけれど。
心の中はあかるくて、あたたかくて。
ジウイはふと思った。
(この時間を、ずっと忘れたくない)
誰かを思って、何かを選ぶこと。
自分の力で、誰かの心を動かせるということ。
そんな幸せを、初めて知った夜だった。
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