第三二話「それぞれの三日間 ―カイルの鍛錬―」
王城近くの隠れ家――
その中庭に、剣を振る音が静かに響いていた。
「ふっ……、はっ!」
カイルは上着を脱ぎ、汗をにじませながら木刀を振っていた。
控えめながら手入れの行き届いた庭には、腰ほどの高さの植え込みと、小さな噴水があり、ここが単なる訓練場ではないことがうかがえる。
(……こんな落ち着いた場所で鍛錬なんて、変な感じだな)
そう思いつつも、体を動かさずにはいられなかった。
何もしていないと落ち着かず、力が鈍っていく気がしてしまう。
何度目かの素振りを終えた頃、中庭の入口からひょこっと顔を出したのは、コック帽をかぶった館の料理人だった。
「おや、元気な方ですね。……どうぞ、おひとつ」
料理人はトレイに載せた小さな焼き菓子を差し出してきた。
「えっ? ……これ、俺に?」
「運動の後には甘いものがいいですよ。疲れた体には糖分がいちばんです」
半信半疑で一口かじった瞬間――
「……なっ……なにこれ、うまっ……!?」
驚愕と感動が同時にカイルを襲った。
外はサクッと軽く、中はしっとり。優しい甘さとバターの香りが口いっぱいに広がる。
「こ、これ……なんてお菓子……!」
「ただのフィナンシェですよ、坊や」
「ぼ、坊やって……いや、そんなことはどうでもよくて! どうやったらこんなの作れるんですか!? 俺にも教えてくださいっ!」
料理人は、思わず笑った。
「……ふむ、興味あるなら、今日一日だけ厨房に弟子入りしますか?」
「本当ですか!? やります! 絶対にやります!」
こうして、カイルの“修行”は鍛錬から――まさかの料理修業へと変わることとなった。
厨房では、料理人たちの手際の良さに、カイルの目は丸くなる。
「熱っ!?」「これ何の粉ですか!?」「泡立て器の速度が凄い!」「えっ、この白いのメレンゲ!?」
騒がしくも真剣に動き回るカイルを、料理人たちは面白がりつつも、丁寧に指導してくれた。
包丁の扱いには多少慣れていたが、お菓子づくりの精密さには四苦八苦する。
だが、集中力と筋力だけは十分にあるカイルは、次第に混ぜ方や焼き加減のコツを掴んでいった。
「……よし、焼けたぞ。初めてにしては、なかなかの出来じゃないですか」
並べられたのは、焼きたてのクッキー、ほろほろと崩れるサブレ、そして小さなカップケーキ。
カイルは目を輝かせてひとつを口に運んだ。
「…………っ、やっぱ、うまい! 自分で作ったとは思えない……!」
「ちゃんと作ったんだから、自分で誇っていいんですよ」
「俺……料理って、“戦うための燃料”ってしか思ってなかったけど……こういうのも、いいな……」
不器用な指先でラッピング用の小袋にお菓子を詰めながら、カイルは思った。
(あいつらにも……食わせてやりてえな、これ)
焼きたてのクッキーを包みながら、カイルはふと思った。
甘いものに目を輝かせるミルフィと、驚いたようにほほえむジウイ――
その顔を思い出すだけで、胸が少し熱くなる。
「……なあ、もう一品、作れたりしないか?」
「おや、まだやる気ですか?」料理長が面白そうに眉を上げた。
「いや、さっきの……冷たくて、ふわふわで……甘いやつ。あれ、すっげえうまかった。なんて言うんだっけ?」
「ああ、アイスクリームのことですね。ちょっと手間がかかりますが、作れなくはありませんよ」
「やりたい! やります! ぜひ!!」
料理長は苦笑しつつも頷き、すぐに厨房の一角で準備が始まった。
ミルク、卵黄、砂糖、そして香り付けの果実――カイルは言われたとおりに丁寧に混ぜ、慎重に火にかけていく。
焦がさないように、じっくりと、じっくりと。
「……で、これを冷やして凍らせるわけだけど」
料理長が言いかけたとき、中庭からの帰り道だったリューンがふらりと現れた。
「随分と熱心ですね、カイル君。何を作っているのですか?」
「あっ、リューンさん! これ、アイスってやつです。今日だけ厨房に弟子入りしてて……もう一品、二人に食べてもらいたくて」
「……ふふ、なるほど」
リューンは小さく微笑んだあと、鍋を覗き込む。
まだ液状のアイスクリームの素を見て、すぐに察したらしい。
「凍らせる設備の準備まだ整っていないのでしたら、少し手を貸しましょう」
彼は静かに手をかざすと、ふわりと冷気の魔法が鍋の周囲に舞い降りた。
急激ではない、繊細で優しい冷却――素材を壊さず、風味を保ったまま凍らせる、熟練の魔法。
「すご……! ほんとに凍ってる……!」
「ただの凍結では味が落ちますからね。温度のコントロールには多少気を使いましたよ」
「リューンさんって、何でもできるんすね……!」
「……できることをやっているだけです」
リューンは、いつもの静かな笑みを浮かべた。
完成したアイスクリームは、小さな陶器の器に分けられ、さらに溶けないように保存魔法付きの容器にしまわれた。
カイルはその器を見つめながら、満足げにうなずいた。
「よし。これで、アイスとクッキー。あいつら、きっと笑ってくれる」
鍛錬とは違う、でも確かに何かを“届ける”ための努力だった。
それがこんなに楽しいとは、正直思っていなかった。
ほんの少し、誇らしい気持ちで胸が温かくなる。
――それもまた、きっとやさしい記憶になるのだろう。
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