第三十話 囮にふさわしいアニマ
リューンは早朝、王城での受け入れ態勢と移動日を調整するため、拠点を出て行った。
彼が戻るまでのあいだ、3人はしばしの自由時間を与えられていた。
談話室に集まったジウイ、カイル、ミルフィ。
気づけば、自然と一つの話題に集中していた。
「でさ、どんなアニマを囮に使うかって話になるわけだけど――」
カイルが頬杖をついて言う。「ジウイ、おまえ、今までにどんなの描けたっけ?」
ジウイはちょっと考え込むように目を伏せた。
「うーん……ウサギとか、リスとか、あと、小さい猫とか。あまり大きいのは、まだ……」
「でも、それで十分よ」ミルフィが柔らかく微笑む。「今回の目的は“目立つこと”じゃなくて、“敵に存在を気取らせること”なんだから。アニマそのものの強さは関係ないわ」
「でもさ、小動物だと街の中にいても自然で、逆に目立たなくないか?」カイルが口を挟む。「やっぱ、遠くからでも目につくようなヤツがいいんじゃねーの?」
「……なるほど」ジウイがぽつりと呟いた。「たしかに、空を飛んでたら、人目につきやすいかも」
ミルフィの視線がぱっと輝いた。「あっ、それいいかも。たとえば……鳥のアニマ。鮮やかな羽の、目を引くようなの」
「空を飛べるなら、移動範囲も広いしな」カイルもうなずいた。「高い建物の上からでも見えるし、広場に降りたら一発で目立つ。……敵が監視してるなら、見逃すはずないな」
ジウイはしばらく黙って考えていたが、ふと顔を上げた。
「……やってみる。鳥なら、色も羽の形も自由だし、描きながら調整できそう」
「おお、それっぽい! ジウイっぽいな」
カイルが楽しげに笑うと、ジウイもつられて笑ってしまった。
ミルフィはカイルに目をやりつつ、「でも、描くのは王城に行ってから。今ここで試すのは……危険よ」と念を押した。
「うん、わかってる」ジウイがうなずく。「今日はスケッチだけしておく。イメージをはっきりさせておけば、実際に描くときに迷わないと思うから」
「いい心構えだね」とミルフィが微笑んだ。
窓の外には、遠く高く、青空を横切る鳥の影。
ジウイは思わず見上げて、それを目で追った。
――自分の絵が、誰かの目に届く。
そんなことが、まるで運命を揺らすようなきっかけになるなんて。
数日前までは、考えたこともなかった。
でも今は違う。
たとえ自分が“戦う”ことはできなくても、
この力を、誰かを守るために使うことはできる。
「……よし、描いてみよう。目立つ、綺麗な鳥のアニマを」
その声に、二人の仲間がうなずいた。
やがて訪れる“動く”日のために、準備は着々と進んでいた。
「鳥のアニマなら、街の上空を自由に飛べるし、目立つ。しかもジウイが描けば、魔力の“痕”も残せる。囮としては理想的だな」
カイルが腕を組んでうなずくと、ミルフィも同意するように口を開いた。
「ただ、どこにどう飛ばすかは慎重に決めないと。やみくもに飛ばしても、敵が“反応する場所”を見逃しかねないわ」
「それは……飛ばすルートを計画するってこと?」ジウイが確認する。
「そう。人の出入りが多い場所や、大聖堂の影響力が強い区域――逆に、普段は静かすぎる場所にアニマを飛ばすのもアリかも。何も起きないように見えて、逆に不自然なこともあるから」
ミルフィの目は真剣だった。彼女は視る力だけでなく、思考の深さでも皆の先を行っているように見えた。
「そのためには、リューンさんの仲間――監視役の配置が重要だな」カイルが続けた。「何人動かせるんだろう?」
「たしか、王家に協力している諜報の一団がいるって言ってたわよね。貴族の使用人に偽装してるとか」
「でも、その人たちに危険が及んだら……」ジウイが不安げに口をつぐむ。
ミルフィがすぐに補足する。
「だから監視は遠距離で。建物の陰や高所から“観察”する形にするのが理想よ。何か異常があってもすぐ逃げられるよう、連携をとって」
「それで敵が動いた時に、位置や特徴を記録できればいい……ってことか」
カイルの表情が引き締まる。
「うん。そうなれば、リューンさんの言ってた“個人を特定する証拠”になる可能性がある」
ジウイは黙って、指先を組んだ。
自分のアニマを出す。それだけで誰かが危険にさらされるかもしれない。
けれどそれが、前に進むための一歩になるのなら。
「……私は、王城に残るって言われた。じゃあ、ミルフィとカイルはどうするの?」
二人は顔を見合わせた後、ミルフィが口を開いた。
「私はアニマが描かれた時の“波”を感知できる。どこかで何かが起きた時、いち早く察知できる可能性があるわ。ジウイと一緒に、王城からアニマの動きを見守るのが良いと思う」
「おれは現場だな」カイルが笑った。「騒ぎが起きた時、すぐに助けにいける場所にいた方がいい。護衛の補助として動く」
「カイルは目立つから、完全に監視役は無理よ?」ミルフィがジト目で釘を刺すと、カイルは肩をすくめた。
「だから“補助”って言ってるじゃん。いざって時の要員だよ」
ジウイはふっと笑い、少し気が楽になるのを感じた。
心強い仲間がそばにいる。それだけで、ほんの少し、自分の力に自信が持てる気がした。
「じゃあ……作戦の詳細は、リューンさんが戻ってからね」
「ええ。それまでに、アニマの描き方も考えておきましょう。いつ、どこに、どんな鳥を描くのか」
「うわ、絵の宿題だ……」
そう言ってジウイが苦笑すると、部屋に柔らかな空気が流れた。
それからしばらくして、リューンが屋敷へ戻ってきた。
相変わらず落ち着いた足取りだったが、いつもよりどこか軽やかで、表情もわずかにやわらかい。
「ただいま。進展があったよ」
「おかえりなさい、リューンさん」ミルフィがすぐに立ち上がる。
「王城への移動は、三日後に決まった。警備の入れ替えに合わせて、最も目立たずに中へ入れる日だ」
「三日後かぁ……」カイルが天井を見上げてつぶやく。「まだちょっと先だな」
「安全な移動を優先した。焦りは禁物だからね」
ジウイはリューンの言葉を聞きながら、何気なく彼の表情を観察していた。
いつもどおりの口調。けれど――どこか、機嫌が良さそうだ。理由はよくわからないが、ほんの少しだけ顔がほころんでいる気がする。
「……何か、いいことでもあった?」
ふとジウイが聞くと、リューンは一瞬だけ視線を外し、すぐに穏やかな笑みを返した。
「どうかな? 良い風が吹いている、というだけかもしれないね」
その答えは曖昧で、けれど、どこか優しい響きを持っていた。
ジウイは首を傾げながらも、それ以上は尋ねなかった。
自分の中にも不安や期待が混じる中で、誰かがほんの少しでも前向きな表情をしてくれることが、救いに感じられた。
リューンの脳裏には、今日交わしたひとつの約束が残っていた。
――三日後、王城で。
あの子が最も会いたがっていた人たちとの再会の場を、ようやく整えることができたのだ。
だが、ジウイに伝えるにはまだ早い。
感情の波がアニマに影響する彼女にとって、喜びですら制御を乱す可能性がある。
(だから、会うその瞬間まで――)
リューンは静かに目を伏せる。けれど口元は自然とほころんでいた。
きっとあの子は、笑ってくれる。
ほんの少しだけ早く、未来にその笑顔を思い描いて。




