第二話 静かな廃屋、動かぬ気配
廃屋は、村はずれのなだらかな丘を越えた先、木々に囲まれた小さな窪地にぽつんと立っていた。
木造の壁は陽に焼け、屋根の瓦は半分ほど落ちかけている。窓は板で打ちつけられていたが、その隙間から黒くうつろな影が覗く。玄関の扉はかろうじて形を保っていたものの、蝶番は錆びきっていて、触れただけで崩れ落ちそうだった。
「……誰も住んでないって話だけど、なんか、残ってそうな気がするな」
カイルがひと息ついて、廃屋を見上げた。
その声が、静かな林の中でやけに響いた。
「空気が重いわね。木が呼吸してないみたい」
小声で答える。肩の上のアニマ——リスは、今にも消えそうなほど小さく縮こまっていた。
普段なら、こういう場所には斥候さながら真っ先に鼻を突っ込むのに。
「おーい、誰かいませんかー?」
カイルが玄関の前で声をかける。もちろん返事はない。
だけどその瞬間、わたしの耳には、**どこかから“軋むような音”**が届いた気がした。
「……今、聞こえた?」
「なにが?」
「……いや、気のせい。たぶん、ね」
胸の奥がざわつく。
ギフトでは説明できない、もっとこう……直感に近い何か。それが、わたしをじわじわと締めつける。
「行こう。リス、警戒モード」
リスは一瞬、わたしの目をじっと見上げた。
そのリスの目には、恐れの表情が浮かんでいるように見えた。
そしてしぶしぶといった様子で、肩からぴょんと飛び降り、木の枝を伝って先に進み出す。
ぴし、と枝が鳴った音が、森の静けさを切り裂いた。
「そーっと開けるぞ……うおっ、軽っ!」
カイルが扉を引くと、予想外にあっさりと開いた。鍵はかかっていなかったようだ。
埃が巻き上がり、わたしたちは思わず顔をそむける。
中は、意外なほど整っていた。
家具は埃をかぶっているが倒れておらず、棚の上には乾いたハーブの束が吊るされ、壁には擦り切れた編み籠や古びた鏡が残されている。
人が去って久しいはずなのに、何かが……ここだけ時を止めているような、そんな奇妙な整然さがあった。
「……ほんとに、誰もいないのか?」
カイルがぼそりとつぶやく。
その言葉が、まるでここに棲む“何か”を刺激するかのように、空気が冷たく変わった気がした。
ギィ……と、古びた床が足音に応じて鳴る。
ギュっとスケッチブックを胸に抱え、部屋の中をそっと見渡した。
昼間とはいえ、光の届かない屋内は思った以上に薄暗い。
窓は板で打ちつけられており、隙間から漏れる細い光だけが、埃の舞う空気をかすかに照らしている。
「……えっと。じゃあ、右の部屋から調べる?」
何でもないように言ったつもりだったけど、声がほんの少しだけ上ずった。
カイルがちらとこちらを見たが、突っ込まれなくて済んだ。ありがたい。
「おーし、了解。こっちは左の扉を見てみるな」
カイルが軽い足取りで進んでいくのを横目で見ながら、わたしは一人、右の部屋の前に立った。
古い木の扉に手をかける。手のひらがうっすらと汗ばんでいるのを、自分でも意識する。
「……なによ、ただの空き家じゃない。人なんているはずないし、仮にいたとしても、まあ、アニマでどうとでもなるわ」
つぶやきながら、扉を押す。ギィ、と不吉な音が返ってくるたびに、心臓が跳ねた。
中は、どうということのない居室だった。
古びたベッド、倒れかけの本棚、割れた陶器の破片。
それだけのはず、なのに。
「……ぅ」
わたしは思わず一歩、後ずさった。
リスのアニマが、部屋の中央、何もない空間をじっと見つめている。
毛を逆立て、尻尾がふるふると震えていた。
「な、なによ……別に……べ、別に、見えないものなんていないですけど?」
誰に言い訳してるのかもわからないまま、スケッチブックを抱える手に力が入る。
わたしはお化けとか、幽霊とか、得体の知れない“なにか”が、ほんっっとうに苦手だ。
でもそれを誰かに知られるのはもっとイヤなので、なんとしても平常心を装う。
「ええい、アニマ、そっちはもう調査済みってことにして! 次行くから!」
リスは小さく鳴きもせずに、わたしの肩に飛び戻ってきた。
でも、やっぱり震えていた。
「……もうね。こういう時は、なんもかんも気のせいってことにするのが一番なのよ」
半ば自分に言い聞かせるようにして、廊下へ出た。
ちょうどカイルも戻ってくるところだった。
「おー、そっちはどうだった? なんかあった?」
「なにもないけど? ただちょっと埃がひどかっただけ。くしゃみが出るレベルね」
「くしゃみって……お前、鼻ひくひくしてたか?」
「見てたの? 変態か」
カイルは笑って肩をすくめた。
そして、お互いに無言で顔を見合わせたあと、ぽつりと彼が言った。
「……なあ、なんか、変じゃねえか?」
「変よ。空気が止まってる感じ、アニマの挙動、あとは……感覚的なものだけど、何かが“潜ってる”」
「“潜ってる”……か」
カイルはその言葉を繰り返しながら、腰の短剣にそっと手をかけた。
わたしはもう一度、肩のリスを見た。小さな目が、扉の奥の暗がりを見つめていた。
「なあ、ジウイ」
居間に戻ったカイルが、床の中央でしゃがみ込んだ。
その視線の先には、くすんだ色合いの古い絨毯。さっき、リスが妙に執着していた場所だ。
「やっぱ、ここ怪しいと思うんだよな。……見ろよ、この絨毯。ほかより妙に新しい」
「新しいっていうより、足跡ね。最近、誰かが頻繁にここを踏んでた」
わたしもしゃがみ込み、指で絨毯の縁をめくる。
すぐ下に、ほこりをかぶった木の板。そこには、明らかに人工的な四角い枠と、小さな取っ手が隠されていた。
「……あった。地下、ね。貯蔵庫かしらね。」
「誰も使ってないって話だったよな、ここ」
「“だった”ってことよ。村の噂なんて、しょせん伝聞にすぎないわ」
カイルは短剣の柄で慎重に取っ手を引き上げ、ギイィ……という重たく湿った音とともに、扉を開いた。
そこから立ちのぼる空気は、冷たく、土と鉄と、ほんのり焦げた匂いが混ざっていた。
「明かり、出すぞ」
そう言ってカイルが懐から取り出したのは、拳ほどの大きさの金属球だった。
くるりと上部を一度ひねると、淡い青白い光がふわりと浮かび上がる。村の雑貨屋でもたまに売っている、安価な探索用の魔道具だ。
「田舎の道具にしちゃ、けっこう使えるだろ? 一応、俺んちの予備」
「えらいじゃない。普段の脳筋っぷりからは想像できないわね」
「それ褒めてんのか?」
光の玉が地下室の奥へとじわりと沈んでいく。
狭く急な石の階段が続いていて、壁面には古びた木の棚がところどころに備え付けられていた。
地下室の地面に近づくにつれて、焦げ臭い空気がしっとりと重くなる。
わたしの肩の上では、リスが小さく身を縮めている。けれど、もう逃げようとはしていなかった。
怖いのはわたしの方なのに、ね。
「……行くわよ。変なモノが出てきたら、そのときはあんたは全力で跳ねて逃げなさい、カイル」
「俺だけ!? お前も逃げろよ!」
「わたしは芸術家だから。優雅に逃げる主義なの」
わたしはスケッチブックを抱え直し、深く息を吐いた。
鼓動が早まるのを無視して、第一歩を踏み出す。
──階下で、何が待っているかはわからない。
でも、感情とは縁のなかったはずのアニマがあれほど反応した以上、ただの地下貯蔵庫じゃないことだけは確かだ。
石段を下りきると、そこには思ったよりも広い地下室が広がっていた。
木の棚が左右の壁に並び、使いかけの瓶や割れた壺が散乱している。
棚の一つには、乾いた薬草の束。奥の方には、使われていないランタンや、封の破られた保存食。
「……ふつうの、貯蔵庫にしか見えないけど」
わたしが呟いたその時だった。
風もないのに、アニマのリスが突然、ピタリと動きを止めた。
肩の上で身を縮め、背中を硬く固めたまま、暗がりの一角をじっと見つめている。
「……いる、の?」
声を潜め、スケッチブックを握る手に力を込める。
けれど、そこに“見えるもの”は何もなかった。
音も、光も、気配さえもない──それなのに。
“何かが、いる”。
目を閉じるでもなく、見えないふりをしているでもなく、確かに「そこにある」。
けれど、それは動かない。動く必要がないかのように、まるで最初から“そこにあった”かのように。
「カイル……気をつけて。何か、いる。動かないけど、ただのモノじゃない」
「……了解。こっちはいつでも跳ねられる」
カイルが軽口で返してくるが、声が少し震えているので緊張しているのだろう。
再び肩のアニマを見ると、リスはじっと警戒の尾を張ったまま、暗がりから視線をそらそうとしない。
──静かな廃屋。
だがその地下には、確かに「動かぬ気配」が潜んでいた。
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