第二八話 わたしたちの時間
「いただきます」——という言葉が、思ったよりも部屋に響いた。
ここは王都・貴族街の一角にあるリューンの拠点。元は貴族の館だったというのもうなずける、広々とした談話室に隣接した食堂には、大テーブルの横に四人掛けのテーブルがぽつんと置かれ、その上には湯気と香りを漂わせる、見たこともないような料理がずらりと並んでいた。
正直、心から食事を楽しめるほどには、わたしたちの心は落ち着いていない。
両親が生きているとわかったこと、力の真実を知ったこと、隠れ家を移動し、ようやく一息つけたこと。どれも事実だけど、それで心が落ち着いたとは到底言えない。
——だけど。
「うっまっ……!」
隣で、カイルが口いっぱいに肉の煮込みを頬張って、言葉にならない声を漏らした。まるで大型犬のようにわしわしとパンをちぎっては皿に浸し、無邪気な子どもみたいに笑っている。
向かいでは、ミルフィがナイフとフォークをきちんと使って、おそろしく優雅に食事を進めていた。けれど、ひとくち食べるたびにその瞳がきらきらと見開かれたり、ふわりと細められたりしているのを、私は見逃さなかった。
「次は、あれね……ふふふ……」
そんな彼女の呟きが聞こえてきて、なんだか少し笑ってしまった。
思えば、こんな“ちゃんとした”食事なんて、ほとんど初めてだったかもしれない。
貴族の館とはいえ、ここは隠れ家だし、ましてや非常時なのだから、もっと簡素な食事を想像していた。だけど、目の前に出されたものは、温かくて、丁寧で、どこか「もてなし」の気持ちが込められているような気がした。
(……これが、コース料理ってやつ、なのかもしれない)
もちろん食べたことなんてない。でも、なんとなくそんな雰囲気だった。たぶん。
ふいに胃が動いた気がして、わたしもそっと手を伸ばす。
ひとくち口に運んだ瞬間、目の奥がじんとした。
「……おいしい」
誰に言うでもなく、自然にそう呟いていた。
思えば、追跡されてから、こうして肩の力を抜けたのは初めてだったのかもしれない。
温かな部屋、安心できる仲間、そして目の前にある確かな“食事”。
それだけのことで、こんなにも心がほぐれていくなんて——。
「うまっ……これ、なんだ……? なんか……ぶにぶにしてて、甘くて、冷たくて……!」
カイルがむしゃむしゃと口いっぱいにフルーツを放り込みながら、わけのわからない感想を漏らしている。どうやら、今しがた口に運んだのは、氷菓と果実をあわせた贅沢なデザートだったようだ。
「それはたぶん、コンポートっていうのよ。きっと……高級なやつ」
ミルフィが、うっとりと呟いた。
その表情は、目尻がとろんと下がって、ほんのり頬が赤くなっている。手元には小さな一皿に美しく盛られたケーキがあり、それを一口ごとにまるで宝物でも味わうように食べているのだった。
「おいしすぎて、もう……なんか……生きててよかったって……」
「そこまで!?」
思わず笑ってしまう。けれど、たぶん私も似たようなことを思っていた。
すべてを食べ終えたあと、最後に出てきたのは、湯気の立つ紅茶だった。
ほんのり花の香りが混ざった温かな一杯を手のひらで包み込むと、心の奥までじんわりと解けていくような気がした。
「はぁ……これは、もう……幸せの味」
わたしが呟くと、ミルフィもこくこくと頷き、カイルに至っては机に突っ伏して満足げに唸っていた。
そんな和やかな空気のなか、紅茶を飲み終える頃、リューンがそっと口を開いた。
「さて、君たちが少し落ち着けたようで良かった。……ジウイくん。今、君がもっとも知りたいことは何かな?」
穏やかな声。けれど、その眼差しは真剣だった。
その問いに、私はすぐに答えようとしたのだけど——
「私が、訊いてもいいかしら?」
静かに、けれど真っ直ぐに、ミルフィが手を挙げた。
目が冴えている。あの美味しいケーキで夢心地だった彼女とはまるで違う表情。
“視る”一族としての使命と、知るべきことを見定める意志が、その言葉の奥にあった。
リューンは軽く頷いた。
「もちろん。どうぞ」
「リューンさんの……その、立場と、王家との関係について、詳しく教えてほしいの」
私とカイルは顔を見合わせた。確かに、今まで助けられてばかりで、その背景を詳しく聞いていなかった。
リューンはしばらく紅茶を見つめたあと、そっとカップを置いて、穏やかに口を開いた。
「私はかつて、大聖堂と王家の両方に仕えた者です。『銀の神官』と呼ばれていた時代もありました」
「……じゃあ、なぜ今は?」
「創造の力を巡って、考えが分かれたのです」
リューンは静かに語り始めた。
創造の力は、制御を誤れば黒ずみを生む危険をはらんだ力。だが一方で、それは世界の希望にもなり得る。
「私は、“その力を護るべきだ”という立場です」
だが、大聖堂の一部には、異なる思想を持つ者たちがいた。創造の力をあくまで“利用”しようとし、時にはそれを“支配”の手段と考える者すらいたのだ。
「力を恐れるあまり、封じ込め、あるいはそれを奪い、都合のいい形で“管理”しようとする一派がいます」
その派閥との対立の末、リューンは大聖堂を離れた。
では王家はどうなのか。
「王家は、大聖堂の過剰な権力拡大を望んでいません。それに……王家の血筋には、創造の一族の血が強く流れています」
「……!」
ミルフィが小さく息を呑む。わたしも内心驚いた。王族が、創造の一族と……?
「だからこそ、王家は私に手を貸してくれています。創造の力の保護者として、私はその支援を受けている」
だが——と、リューンは目を細めた。
「王家の中にも、“大聖堂原理主義”を信奉する者がいます。全員が味方とは言えません。だからこの拠点も、完全に安全とは言えない」
その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まった。
けれど、敵の中に味方がいるように、味方の中に敵がいるのは、それは組織が大きくなれば当たり前のことなのだろう。
私は静かに頷いた。
「それでも……ここにいられてよかったです。今日くらい、ちゃんと、ごはん食べられて、よかった」
そう言った瞬間、またお腹が鳴った。
今度は空腹ではなく、ただの名残惜しさ。
ミルフィとカイルが吹き出し、リューンも優しく笑った。
——食卓は、やっぱり少しの間だけでも、心を救ってくれる場所だった。
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