第二六話 親の祈り
リューンの隠れ家——それはスラムの外れ、廃墟のような煉瓦造りの建物。
蝋燭に照らされた部屋。古びた書棚と、小さな祭壇のようなもの。まるで時間さえ、ここには立ち止まっているかのようだった。
私はその中心で、言葉を失っていた。
「ジウイくん。あなたのご両親は、まぎれもなく血のつながった、実の親御さんです。そして——いまも生きておられます」
リューンの柔らかな声が、しかし確かな重みを持って響いた。
私の胸の奥で、なにかが微かに揺れる。
「けれどなぜ、君のそばにいないのか。それには、深い理由があります」
リューンは少し間を置き、私の目をまっすぐに見据えた。
「最初の数年……9歳になるまで、君の力はまだ正しく“封印の制御下”にありました。
そのときは、専門の術者たちが封印の維持を担っていました。
けれど——君が成長するにつれて、力の波動が徐々に強まり、
術者たちでは安定を保てなくなってきた」
「……それって、私が強くなりすぎたってこと……?」
リューンは、首を横に振った。
「強い、というより“繊細すぎた”のです。君の力は、ただ魔力が大きいという話ではない。
“創造”とは、内面のイメージと感情が、そのまま現実に反映される力。
君自身の波長と共鳴できる者でなければ、封印は逆に力を乱してしまう」
言葉の先に、私の両親の影が浮かび上がる。
「——だから、君の両親が、自らその役目を引き継ぎました」
私は、息をのんだ。
「封印の中に入るということは、君の傍にはいられないということ。
物理的な距離も、感情的な関わりも、一定以上あってはならない。
それでも、ご両親は迷わなかった。
君の命と未来を守るために、“親”であることを引き換えにしたのです」
まるで、心にしまっていた扉が、少しずつ軋みながら開いていくようだった。
9歳のあの日、突然姿を消した二人。
私に何も言わず、ただ「迎えが来る」とだけ言い残して。
「村に残された君の記憶が、曖昧なのも無理はありません。
封印術式は、力の発露を防ぐだけでなく、過剰な感情の波を抑えるため、記憶にも干渉していた。
思い出さなかったのではない。君の心が、それを受け止める準備が整っていなかったのです」
私は、自分の手を見つめた。
何もかもを描き出せる力。
だけどそれは、無邪気に使っていいものじゃなかった。
「村の廃屋にあった封印は、君の内側の力を抑えるための術式でした。
そして、協会の森の地下にあった封印は、君の存在そのものを外の世界から隠すための結界」
リューンは指先で宙に図を描く。二つの封印が、まるで“繭”のように私を包んでいた。
「これらは完全に連動していた。そしてそれを支えていたのが——君の父と母です。
母君は廃屋の封印に身を置き、内なる力の震えを鎮め続け、
父君は協会の森の封印結界の維持にあたり、外敵から君を守っていた」
「じゃあ……私が、知らない間に……二人は……」
声がうまく出ない。喉が詰まり、言葉にならない感情がこみ上げる。
「ご両親が“いない”のではない。
——ずっと、君の近くにいた。ただ、君のために“名乗れなかった”だけです」
私は膝に力が入らず、床に手をついた。
知らず知らずのうちに、涙がこぼれていた。
「君を悲しませないために。君が“ふつうの子供”として過ごせるように。
それが、彼らの祈りだった。……君にとって何が最善かを、信じていたのです」
リューンは、小さな石板を手渡してくる。
「これは、母君が封印術式に入る前に残した言葉です。
いつか、君が真実を知る日が来ると信じて——」
私は、震える手で石板を受け取る。
そこに刻まれていたのは、柔らかく、そして切実な言葉だった。
「ジウイへ。
あなたの手が描いたものは、いつもやさしく、あたたかかったね。
いつかあなたが、自分の力を恐れず、誰かのために使える日が来ると、私は信じています。
離れてしまっても、あなたを想わなかった日は一日もありません。
この祈りが届くころ、あなたが笑っていてくれますように——」
私は、石板を胸に抱き締めた。
ずっと心のどこかで信じたかったもの。
それが、やっと届いた気がした。
リューンは、一度目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……そして、君のご両親は今、王都にいます」
私は目を見開いた。
「えっ……? じゃあ……今も封印を?」
「それが——違うのです。二人は、それぞれの封印が限界に近づいていることに気づきました。
ジウイくんの力は日に日に強まり、かつてのような抑え込みだけでは、もはや維持が困難になった」
リューンの言葉に、私は無意識に自分の手を見つめた。
最近、力が前よりも強くなっている感覚があった。アニマが、どこか“自分の意思”を持つように感じられたことも。
「だからこそ、君のご両親は“役目”を封印から、王都での準備へと切り替えたのです。
敵が動き出す兆候を察知し、王都に潜り込んで、背後の陰謀を探ることを選んだ」
私の胸に、熱いものが湧いてくる。
「二人は、今でも君のために戦っている。
王家の一部——正確には、古くから創造の力と関わってきた“守り人の血筋”が、
ご両親に協力し、王都の安全な場所に匿っています」
私は思わず身を乗り出した。
「じゃあ……生きてるんだ。敵に捕まってるとかじゃなくて、無事で、味方のところにいるんだね?」
「ええ、もちろんです。むしろ今、ご両親は“君に会う日”を心から待ち望んでいます。
もちろん再会のお手伝いをさせていただきます」
涙がまた頬をつたう。けれど、それはもう悲しみの涙じゃなかった。
胸に染み込んでいた孤独の染みが、ゆっくりと溶けていく。
「ジウイくん。今、君に必要なのは恐れではなく、理解です。
自分の力を知り、それを選び、どう使うかを決めること。
——それができるのは、世界で君ただ一人です」
私は静かにうなずいた。
今度こそ、逃げない。怖くても、真実を受け止めてみせる。
——会いたい。あの手に、もう一度ふれたい。
その想いが、胸の奥で確かな光となって、私の中で灯った。
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