第二三話 迫る影と選ばれし者
王城へと向かう大通りを、私たちは駆けていた。 アニマを放った直後から、ミルフィの顔が強張っていた。
「まずいわ……見られてる、いや、探知された」
視る力で察知したのだろう、ミルフィの目は虚空を見据えるように細められていた。
「追ってきてるのか?」
「……ううん、それだけじゃない。道の先……王城への道筋のいくつかに、待ち伏せるように黒い影が潜んでる」
カイルが立ち止まり、いつの間にかその目を細めて上空を見上げた。
「久しぶりに跳ぶか……」
そう言うや否や、彼は軽く地を蹴って屋根へと跳躍した。人の目を避けるように身を翻しながら、建物の上に着地し、周囲を見渡す。
「確かにいるな……王城に向かう主だった道筋に黒い影、それに……明らかに操られてるっぽい奴もいる」
カイルが屋根から飛び降りてきた。
「黒ずみに乗っ取られた人間かもしれない。目の光が死んでた」
「……つまり、王城に向かう道はすでに封じられている」 ミルフィが唇を噛む。
「じゃあ、どうする? このまま突破するか?」
「無理。あの数じゃ、ジウイが狙われる前にこっちが潰される。迂回するしかない」
「こっちに!」 ミルフィが手を引いて走り出す。
私たちは人気の少ない裏路地へと足を踏み入れる。
道は細く、湿った空気とともに石畳が崩れかけている場所もある。
「……このままだと、スラム街に流れ込むわね」
ミルフィのつぶやきに、私は思わず立ち止まりかけた。
「でも、王城から離れちゃう……」
「仕方ない。こっちには敵の気配がないの。王城方面はもう包囲されてる」
ミルフィの視る力が導くままに、私たちは選択を強いられていた。 王家に託した希望の灯を胸に抱えながら、王都の片隅へと足を踏み入れていく。
それでも、ジウイのスケッチブックから生まれた小鳥は、まだ空を翔けていた。 彼女の創造の力が、導いてくれると信じて。
私たちは、王都の下層へ、下層へと逃げていた。
人通りがまばらになった通りを駆け抜け、迷路のように入り組んだ裏路地へ足を踏み入れる。木造の建物が肩を寄せ合うように軋む音。濁った水が溜まる路地の匂い。どこもかしこも、古びて湿っていた。
後ろを振り返るたび、視界の端にちらりと何かが動いた気がして、私は心臓を締めつけられたような気分になる。
「……誰か、ついてきてる気がする……」
そう呟いたのは私かミルフィか、もはや曖昧だった。
カイルが低く唸った。
「足音はしない。でも、黒ずみが直接姿を現すとも限らない。油断はできねぇ」
その言葉に、私はぎゅっとスケッチブックを胸に抱きしめた。頼りは、この力と、小鳥のアニマだけ。王家に届くかすら分からない。でも——信じるしかない。
カイルは時折背後を振り返り、剣の柄に手を添えながら、周囲を睨むように進む。ミルフィは無言で、先頭を切って走りながらも、時折ふらつく足取りを見せた。ギフトを使い過ぎているのだ。あれだけの視野を維持するには、相当な負担がかかっている。
「ミルフィ……無理しないで」
そう声をかけると、彼女は振り返らずに答えた。
「無理はしてない……これが、いま私にできることだから」
吐き捨てるような強い言葉だった。でも、その背中はどこか細く見えた。
建物の隙間を縫って、腐った木の階段を上り、屋根裏を抜け、壁の穴をくぐる。そんな逃走が続いた。
そして、視界が急に開けた。そこは、王都の最下層、スラム街だった。
崩れかけた建物と、瓦礫が積み上がった通り。人の姿はほとんどなく、犬の鳴き声すら遠い。さっきまでの王都の喧騒が嘘のようだった。
「ここまで来れば、ひとまず追手はいない」
ミルフィが壁にもたれかかり、深く息を吐いた。私はその肩にそっと手を置いた。
「でも、ここまで来ちゃったら……王家には、もう……」
そう呟いた私に、ミルフィは小さく首を振る。
「……まだ、終わってない。あの子が……小鳥が、導いてくれる。信じよう」
空を見上げる。夜が深くなりつつある。雲の切れ間から、うっすらと月が覗いていた。
その光の中に、小さな影がひとつ、遠ざかるように飛んでいくのが見えた。
ジウイの創造の力で生まれた、あのアニマが。
——飛んでいけ、小鳥。どうか、希望を連れて戻ってきて。
スラム街の建物を縫うように、私たちはさらに奥へと進んでいく。
だが、ミルフィの顔が再び強張った。
「……追ってきてる。また一団……別ルートから、こっちに回り込んできてる」
カイルが舌打ちする。
「この狭さじゃ、跳躍も難しい。正面突破か……!」
道は細く、周囲は崩れかけた木造家屋と瓦礫。行き止まりも多く、地図のように把握できるような構造ではない。
後ろの路地から、確かに足音が近づいてくる。重く、統率された動き。兵士のような、いや——もっと不気味な雰囲気がある。
「くっ……!」
ミルフィが苦悶の表情を浮かべる。もうギフトを維持する余力は残っていない。
このままじゃ追いつかれる——
そのとき、私はふいに思い出した。
「そうだ、あれ……!」
荷物の中から、急いで小瓶を取り出す。オリバーからもらった薬——煙幕用の特殊な薬だった。
瓶の封を噛み切って、路地の真ん中に投げる。
パァンッ!
乾いた音とともに、灰白色の煙が一気に広がった。視界を真っ白に染め上げる濃密な煙。息をするのも苦しいほどの刺激臭が鼻を突いた。
「ミルフィ、ジウイ、掴まれ!」
カイルが叫ぶ。私は咄嗟にミルフィの手を引き、カイルの背にしがみついた。ミルフィも一瞬ためらったが、カイルの肩に片腕を回す。
「跳ぶぞ……一か八か、まっすぐじゃねぇ。煙が切れるまで、俺も見えねぇ……でも、跳ぶしかねぇ!」
そして、カイルは叫びとともに地を蹴った。
屋根を飛び越え、瓦礫をすり抜け、白煙の海の中を跳ぶ。
視界はない。どこに着地するかも、何があるかも分からない。ただ、希望だけを胸に——跳ぶ。
風の音、衣服がなびく音、私たちの息遣いだけが耳に残る。
どれほど跳んだのか、時間の感覚すら消えかけたそのとき。
着地の衝撃が足元から伝わった。
地面に転がるように落ちた私たちは、しばらく動けなかった。
でも、足音はもう聞こえなかった。
——撒いた。撒けた。
「……無茶するなぁ、カイル……」
ミルフィが息を切らしながら呟いた。
カイルは大きく息を吸い込み、膝に手をついて笑った。
「なに、俺を誰だと思ってんだ。これでも、崖から落ちながら木に引っかかって助かった男だぜ」
私は、まだ震える手でスケッチブックを抱きしめた。
小鳥は、まだ空を飛んでいるだろうか。どこかで、希望に届こうとしているだろうか。
もし——ほんの少しの運が、私たちに残っているのなら。
「……もらってて、よかった。あの煙幕の薬……」
誰に言うでもなく、私はそっと呟いた。
深夜のスラムの片隅で、私たちはようやく息をついた。
だけどまだ、終わってなんかいない。
夜は、まだ深くなる。
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