第二十話 失われた頁、視られる記憶
静寂と紙の匂いが満ちる王都中央図書館の奥深くで、私たちは知の断片を追い求めていた。
カイルが、古ぼけた革張りの分厚い書物をめくりながら、突然声を上げる。
「これだ……! “創造の力”って書いてある!」
ミルフィが隣で顔を上げる。
カイルは興奮を抑えきれない様子で、開いたページを指さして見せた。
「……やっぱり王家の記録に近い棚の本だったな。『全勝録』……戦や儀式の記録かと思ったら、こんなことまで……」
ミルフィも身を乗り出してその記述を見る。そこには、こう記されていた。
「創造の力は、選ばれし神祝福の中でも極めて例外的なものであり、封印との関係があると……」
——そこで、文が唐突に途切れていた。
「……ん?」
カイルの指がページをめくろうとして、動きを止めた。
「……ページが、ない」
数枚分、まるごと破られている。切り取られた断面は古びて茶色く変色しているが、明らかに故意の破損だ。
「嘘だろ……。ここからが一番知りたかったのに……!」
カイルが顔をしかめて天を仰ぐ。
ミルフィはしばらく黙って破れたページの端を見つめていたが、静かに言った。
「ちょっと待って。視てみる……」
「……視る?」
カイルが聞き返すと、ミルフィは小さく頷いた。
「本の“記憶”を。ページの記憶じゃなくて、書物としての存在が保持してる“情報の痕跡”……残ってるかもしれない」
その瞬間、足音が近づいてきた。
「やっほー、スケッチ終わったよ……あれ、なにかあった?」
ジウイがスケッチブックを抱えて現れる。鼻先には少し鉛筆の粉がついていて、まだ絵描きの熱が冷めやらぬ様子だ。
ミルフィは軽く笑った。
「いいタイミング。ちょっと静かにしてて。今から“本の中身を視る”から」
ミルフィは視線を周囲に走らせ、急に声を低くして言った。
「お願い。——ちょっと、二人とも人払いお願い。私がギフトを使ってるって知られると、何を勘ぐられるかわからないから」
「了解」
カイルが即答し、図書館の通路の両端を見張るように位置を変える。
「もし誰か近づいてきたら、私の手を引っ張って。いい?」
ミルフィは私をまっすぐに見た。
「う、うん。わかった……!」
彼女は小さく深呼吸すると、両手を本の表紙にそっと添え、目を閉じた。
——その瞬間、空気が震えたような錯覚があった。
ミルフィの周囲の空間が、わずかにきらめいた気がした。
私は息を飲んで、彼女の手元を見つめる。彼女はもう、目を閉じたまま動かない。
彼女の意識は、今——
別の次元に潜っている。
***
暗闇でも光でもない、ざらついた空間。
紙の質感、インクの匂い、手触り、そして、書かれていた文字や図形、挿絵、記号、筆跡までもが、視覚だけでなく五感に流れ込んでくる。
ミルフィは、その中を泳ぐように進んでいく。
文字が渦巻くように彼女の周囲を旋回する。断片的な映像が次々と流れては消えていく。
(これは……過去の閲覧者たちの印象……いや、もっと深い)
目当ての箇所、破り取られたページの記憶へと焦点を絞っていく。
誰かがペンを走らせている手元の映像。
「創造の力」と書かれた行。
そして、その下にあったはずの——
(ここ……!)
とつぜん、映像がぶれた。
紙が裂ける音。誰かの荒い呼吸。
視界が揺れる。怒りとも焦りともつかない感情の断片が流れ込んでくる。
(誰かが……意図的に破った?)
そして、破り取られた直前——かすかに映っていた図が、ミルフィの意識に焼き付いた。
——輪の中に封じられた何か。
その中央に、明らかに描かれた「眼」のような文様。
(……あれは、“黒ずみ”? それとも……)
その瞬間、誰かが背後に近づいてくる気配がした——
突然、私の手がひっぱられた。
「ミルフィ、誰か来てる……!」
——ジウイの声だ。
ミルフィの身体がかすかに震えたかと思うと、目を閉じたまま小さく頷いた。
次の瞬間、彼女のまわりの空気がふっと解けるように軽くなり、深い静寂が破られた。
そして——
ミルフィの意識に、最後の映像がまるでフラッシュバックのように焼き付いた。
——黒い靄が渦を巻きながら、世界の輪郭を侵食していく。
それが、ぽたり、ぽたりと創造された瞬間。
意図されず、制御されず、生まれてしまった“副産物”。
その黒ずみの中心に、ひとつの「目」が浮かぶ。
それは静かに開き、周囲へと光を放つ。
黒ずみは、光の粒子となって霧散していく。
まるで許しを乞うかのように。
浄化——いや、還元。
(……創造の力が、黒ずみを生む。だがそれを浄化する力も、同じ根から生まれている……?)
その両方が、——ジウイの中にある。
ミルフィの心に、確信めいた直感が鋭く刺さった。
けれど、それをすぐに口にすることはできなかった。
今のところ、それはまだ「想像」だ。確たる証拠はない。
言ってしまえば、ジウイを不安にさせてしまうだけかもしれない。
ミルフィは、そっと息をついて目を開けた。
目の前には、心配そうに覗き込むジウイの顔があった。
「ミルフィ、大丈夫? すごい汗……」
「うん、ありがと。ちょっと、集中しすぎちゃっただけ」
ミルフィは苦笑して立ち上がり、本の背表紙をそっと撫でた。
「中身、何かわかった?」
カイルが声をひそめて近づいてくる。
「——うん、少しだけ」
ミルフィは周囲を見回し、人の気配が遠のいたのを確認してから、小声で続けた。
「破られる前に“創造の力”に関する記述があった。どうも、“副作用”のようなものが生まれるらしい……ただ、詳細はわからなかった」
「副作用?」
ジウイが首をかしげる。
「まだ確証はないけど、そういう力は危うい一面も持っている……ってこと」
ミルフィは、やわらかく笑ってごまかした。
「でも、誰かがそれを読まれたくなくて、ページを破り取ったのは間違いない。そこに“何か”があるはず」
「……そうか」
カイルは険しい表情でうなずいた。
ミルフィの視線は一瞬だけジウイに向かい、そしてすぐに逸らされた。
それに気づかぬふりをしながら、ジウイは静かに笑う。
「じゃあ、次は——?」
「できるだけ詳しく、王家にどこまで情報が伝わってるか探したいわね。図書館にそれがなければ、別の手を使うしかない」
ミルフィがそう言って前を向いたとき、すでに彼女の中では、次の覚悟が芽生えつつあった。
——真実を知るには、もっと深く潜らなければならない。
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