第一話 落ちこぼれギフトと、モフモフ出動
モルン村のギルド支部は、驚くほど小さい。
石造りの外壁は長年の風雨でくすみ、扉の軋む音はもう「名物」と言っていい。掲示板に張られた依頼書は数えるほどしかなく、その多くが「行方不明のニワトリ」や「畑に現れた謎の足跡」など、都市部では即ボツになるような些細な内容ばかりだ。
そんな寂れたギルドの一角、擦り切れたベンチの上に、わたしは脚を組んで座っていた。
陽射しを避けるように窓辺に腰掛け、愛用のスケッチブックを片手に。膝の上では、黒インクで描かれた小さなリスが、丸まって尻尾を揺らしている。
わたしのアニマ。絵から呼び出された、命を持たない小動物だ。
ふさふさと揺れる尻尾の先が、時折こちらを気にするように動いた。命を持たぬはずのアニマが、まるで意志を持っているかのように。
わたしが描いたものだけれど、このリスのアニマは、呼び出された瞬間から、まるで本当の命を持っているかのように見えた。
今までのアニマたちは、確かに賢くはあったけど──感情、なんてものを感じたことは一度もなかったのに。
「おーい、ジウイー! また絵描いてサボってんのか?」
ギルドの裏手から元気な声が響く。土ぼこりを蹴り上げて走ってきたのは、カイル・バズレイ。茶色の髪がぐしゃぐしゃで、ギルドの制服もどきのような上着は今日も前が開けっ放し。陽の下で笑うその姿は、まるで大型犬だ。
「サボってないが。観察と準備は、芸術家の第一歩よ」
「ははっ、また理屈っぽいこと言って。ったくよー、こっちはもう依頼受けてきたんだからな!」
カイルがひらひらと紙を振って見せる。茶色く日焼けした依頼書。
内容は、「村はずれの廃屋から変な音がするので調べてほしい」……また、どうせネズミだろう。
「その程度、アニマ一匹描けば終わりだが。よし、このリスもまだいるしモフモフ出動の時間だな」
「ほらな? やっぱサボってたじゃねえか」
「うるさいバカ犬。吠えるなら、私のアニマのように役に立ってからにするのね。」
言い返すと、カイルはまったく悪びれもせずににかっと笑った。
そしてお約束のように、手を胸に当てて言う。
「じゃあ、この依頼が終わったら結婚してくれ!」
「お前のギフトは跳躍かもしれんが、話の展開を飛ばしすぎ。そもそも結婚せんがっ!」
……村で受けられる依頼なんて、たかが知れている。でも、今日の依頼には何か、ほんの少しだけ、胸騒ぎのような違和感があった。
アニマのリスも、やっぱりなぜだか妙に落ち着きがない気がする。
絵に描いたものが現実になるギフト。それは平和的で、戦場向きじゃないとよく言われる。
だけど、わたしのアニマたちは、賢くて忠実な大切なパートナーなのだ。
「じゃ、行くか!」
カイルが依頼書を丸めて腰の袋に突っ込むと、土の匂いが立ちこめるギルドの扉を蹴って開け放った。
「わざわざ、そんな豪快な開け方しなくても・・・。壊れたら弁償されられるわよ。」
外に広がるのは、モルン村らしいのんびりした風景。遠くに牛の鳴き声、近くに風鈴の音。道の端では、少年たちが木の棒を振り回して剣ごっこをしている。
わたしはスケッチブックを閉じて、膝の上にいるアニマのリスを手のひらに乗せた。
「さあ、行くわよ」
そう声をかけたのに、リスは動かなかった。
いつもなら、ぴょんと飛び跳ねて先を歩こうとするのに。
今は、わたしの掌の上でじっとして、尻尾だけをゆっくり揺らしている。どこか……警戒しているような、そんな仕草。
「……なに? 外、行きたくないの?」
小さな目が、じっとわたしを見ている。もちろん、声は出さない。ただの絵だったものが形になっただけ。
でもその視線は、まるで——何かを知っているかのようだった。
今までこんなことなかったよね?
「おいジウイー、置いてくぞー?」
カイルが石段の下から叫ぶ。わたしはリスをそっと肩に乗せた。ほんの少し、動きに抵抗を感じた。
風が吹いて、リスの尾がわたしの頬をかすめた。やわらかく、でもどこか、冷たい感触だった。
「……そんな顔しないで。わたしが描いたくせに、わたしより先に何かに気づくなんて、反則だと思うのだけれど」
冗談めかしてつぶやいても、リスは応えない。
静かなまま、わたしの肩にしがみついていた。
ギルドを出ると、足元には、ほこりの舞う土の道。
道の両脇には野の花が咲き、柵越しに牛やヤギがのんびりと草を食んでいる。舗装などされているわけもなく、時おり車輪の跡と馬の蹄の痕が、泥混じりの凹みに残っていた。
わたしとカイルは並んで歩きながら、陽射しを避けて帽子のつばを少し傾ける。
「この道、いつになっても舗装されないよなー。村長が魔導石の道にするって言ってたの、三年前だっけ?」
「魔導石よりも、まず村長の椅子を更新すべきね。あのギシギシ音、年々ひどくなってる気がするわ」
「はは、確かに!」
そんな他愛もないやり取りをしながら歩く。
道端では、農夫たちが鍬を振るい、木の台車を押す子どもが土埃を立てて走っていく。遠くの空では鳥が高く鳴いていた。
小さな村の、のどかな午後。
――のはずなのに。
わたしの肩に乗ったアニマのリスは、ずっと落ち着かない様子だった。
ピクリ、ピクリと耳を動かし、後ろを振り返ったかと思えば、前方を凝視し、尻尾を肩越しに巻きつけてくる。
時折、小さく震えるように身体をこわばらせて。
「やっぱり、何か感じてるの……?」
わたしがそっとつぶやくと、カイルが片眉を上げた。
「ん? なんか言ったか?」
「……ううん、なんでもない。ただの気まぐれよ」
描いたはずの絵に、気まぐれなんて感情があるのかは知らないけれど。
でも、アニマはときどき“自分で考えている”ような仕草を見せる。
それが、ギフトの仕様なのか、それとも……もっと別の何かなのか。
それは、わたしにもまだ、わからない。
「さ、もうちょっと歩いたら、廃屋だぞー。あの丘の向こう、雑木林の小さな窪地だったはずだ。」
カイルが指差した先に、木々が小さくざわめいているのが見えた。
陽の差す午後の空の下、ただそこだけが、ぽっかりと影を落としているように見えた。
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