第十八話 王都という名の巨大な迷宮
門を抜けた瞬間、世界が広がった。
石畳の大通りの向こうには、人、馬車、露店、荷を背負った旅人、鎧を着た衛兵、華やかな衣装の貴婦人——色とりどりの喧騒が、まるで潮のように押し寄せてくる。
「うわ……!」
思わず足を止めて、私は見上げる。
大通りの先、遥か彼方にそびえるのは白亜の尖塔——王都の象徴である王城。その周囲を囲むように、美しい装飾が施された貴族街の高い塀が連なり、さらにその外側には、活気あふれる商業区の賑わいが広がっていた。
そのまた外側、私たちが今いる一般区画には、木組みと石造りが混在した家屋が立ち並び、ちょうど日が差し込んで石畳に影を落としている。
そして、さらに都市の外縁には、瓦礫と貧しさが入り交じるスラム街が存在するという。王都は、栄光と現実が幾重にも層をなす巨大な迷宮だった。
「……すごい、人の数。村や町とは桁が違うね」
ミルフィが目をぱちぱちさせながら言う。
「この辺でこれなら、中心部に行けば歩く隙間すらねぇかもな」
カイルが周囲を見渡しながら肩をすくめた。
私はといえば——
心がざわついて仕方なかった。
壁に描かれた看板の動物たち、旗に描かれた紋章、塔の装飾、通行人の衣装、店先に並ぶ工芸品や魔道具……どれもこれもが、視覚と感覚を刺激してくる。
頭の中に、次々と新しい「絵」が浮かび上がる。
(……この街だけで、何百枚も描けそう)
思わずスケッチブックを取り出しそうになって、あわてて手を止めた。ここで立ち止まって描き始めたら、何時間あっても足りない。
——そのとき。
「さて。俺の仕事はここまでだな」
ふいに聞こえた声に振り返ると、グレックが馬車の手綱を降ろしてこちらを見ていた。
もう何日も一緒にいたのに、いつの間にか馬車の荷が減っていたのに気づく。きっと途中で商談や荷降ろしを終えていたのだろう。
「ここで別れるってこと?」
「そ。商業区で取引先に顔出さねえと。ま、こっからはあんたらの冒険ってやつだな」
グレックはそう言って、荷台から一つ小袋を放り投げてよこす。
「最後にこれ。礼ってほどでもねぇが、例の薬はこっちで預かってたからな」
「……ありがとう、グレックさん」
私は小袋を受け取ると、ほんの少しだけ名残惜しさを覚えた。
ガサツでぶっきらぼうだけど、根は優しい——そんな人だった。
「じゃあな。王都でも変なもん爆発させるなよ!」
そう言って、グレックは馬車を回し、喧騒の中へと消えていった。
その背中に、私はこっそり手を振った。
——さあ、ここからが本当の始まりだ。
しばらく無言で座り込んでいた私たちだったが、ミルフィがふと顔を上げた。
「……あ、そういえば。王都の北区に“冒険者の広場”って場所があったはず。駆け出しの人たちがテント張って寝泊まりしてるって、昔読んだ本に書いてあったよ」
「冒険者の……広場?」
私が首をかしげると、カイルが立ち上がりながら頷いた。
「確かに聞いたことあるな。公的な施設ってわけじゃないが、広場として開放されてて、水場と焚き火用の炉が整備されてるって話だった。物騒な奴もいるけど、衛兵の巡回もあるから、まあ安心できる方だろ」
「テント生活かぁ……王都まで来てそれは想像してなかったけど」
私は立ち上がって服のホコリを払う。
「野宿よりマシでしょ。水も使えるし、炊事もできる。……あ、でも荷物の管理は自己責任だからね」
ミルフィが指を立てて忠告する。
「問題ない。俺の荷物はほとんど武器だし、狙われても売り物にならん」
「ジウイの荷物は?」
「うちのアニマたちが見張ってくれるよ」
「……うん、なら大丈夫そうね」
そうと決まれば早い。私たちは夕暮れの王都の通りを北へと進み、冒険者の広場へ向かった。
広場はちょうど商業区と城壁の間に位置しており、瓦礫のない整地された一角に、簡易テントや荷車が点々と並んでいた。人々はそれぞれ焚き火を囲んで夕食を作ったり、仲間と情報を交換したりと、雑多でにぎやかな雰囲気だ。
「おお……なんか、これはこれで“旅の途中感”あるな」
カイルが目を細めてあたりを見回す。
「ま、変な奴に近づかなきゃ平和そうだしね」
ミルフィが小声でつぶやきつつ、水場の場所やかまどの位置を確認している。
私たちは人通りの少ない端の方に、なんとかテントを張れるスペースを確保し、荷物を下ろした。
「ふう、落ち着いた……」
「夕飯どうする? なんか買ってくる?」
「ちょっとした飯くらいなら、ここで作れるよ。材料買ってくれば……」
夜の帳が下りる王都の空の下、小さな焚き火の明かりに照らされながら、私たちはようやく一日の終わりを迎える準備を始めた。
冒険者広場に設営したテントの前で、私たちはそれぞれ荷物を広げていた。
あたりには同じように旅人や冒険者が何組もいて、煮炊きの煙があちこちから立ちのぼっている。焚き火のはぜる音と、人々の笑い声が、ようやく落ち着いた夜の空気に混じっていた。
「とりあえず食材を買ってこようか。なんだかお腹が空いたし」
ミルフィが言うと、カイルがうなずいた。
「広場の外れに露店があった。安い野菜と干し肉、それにパンくらいなら手に入るぞ。調味料も、まぁ最低限は」
「じゃあ、お願いしてもいい? 私も手伝うけど……」
私たちは分担して買い出しに出かけた。干し肉、にんじん、玉ねぎ、干しトマト……ささやかだけど、スープにすればなんとかなりそうな顔ぶれだった。
広場に戻ってくると、カイルが焚き火の準備をもう整えていた。
「水はあの共同井戸から汲める。鍋もあそこの棚に共用のがあったから借りてきたぞ」
「……あなた、段取り良すぎじゃない?」
ミルフィが少し呆れたように言うと、カイルは小さく笑った。
「昔、野営ばかりしてたからな。どこでも下っ端ってのは、戦うだけじゃ食えないんだよ」
そう言って、カイルは鍋に水を張り、野菜を手際よく刻みはじめる。にんじんの皮むきから、玉ねぎのみじん切り、干し肉の下処理まで、まるで料理人のような無駄のない動きだった。
「……あれ、ジウイ。私たち、なにかやることあるかしら?」
ミルフィがぽつりとつぶやく。
「え? あ、いや、たぶん……」
私は持っていたスプーンを手持ちぶさたに握りしめたまま、カイルの動きを見つめてしまう。
「じゃがいも、あとで入れてくれ。火が通りすぎると崩れるからな」
「えっ、う、うん!」
思わず返事をして、あわてて袋からじゃがいもを取り出す。でも皮をむいている間に、気がつけばカイルが慣れた手つきでさっさと別の二つ目の鍋を用意し始めていた。
ミルフィと私は顔を見合わせる。
「……なにか、役立たずっぽくない?」
「うん、私たちも冒険者なのにね」
二人で小さくため息をついたそのとき、カイルが顔を上げてこちらを見た。
「気にすんな。こういうのは手が早いほうがやるのが一番だ。それに——」
彼はほんの少し、目を細めた。
「疲れてるだろ? 王都まで、よく頑張ったな」
その言葉に、私とミルフィは一瞬、言葉を失った。
——そっか。そうだよね。
今まで、気を張っていたけれど、ようやくたどり着いた王都。
ギフトの謎も、旅の目的も、これから明らかになっていくけれど。
とりあえず今夜は、温かいスープと焚き火と、仲間の言葉に、少しだけ甘えてもいいかもしれない。
湯気を立てるスープが煮上がる頃には、すっかり陽も落ちて、広場には焚き火の赤い光がちらほらと灯っていた。カイルは鍋の味見をして、満足げにうなずく。
「よし、食えるぞ」
そう言って、カイルは三つの器にスープをよそいはじめた。その手元を見ていた私は、ふと気づく。
——あれ? 私の器にだけ、あの赤い香辛料を入れてない……。
ミルフィの分には、スプーンで少しだけ赤い粉を振りかけながら、カイルが言う。
「辛くしていいか?」
「ん、大丈夫。むしろ辛いほうが味が引き締まって好きかも」
ミルフィが頷くと、カイルは「了解」と小さく返して、軽く混ぜていた。
そのあと、彼は私に目を向ける。
「ジウイ、お前は……まあ、要らないよな」
私の手元に置かれたスープは、彩りの中に赤の要素が一切ない。香辛料の匂いもなく、ほっとする優しい香りが広がっていた。
「……うん、ありがとう。私、辛いの苦手って、覚えててくれたんだ」
そう言うと、カイルは少しだけ肩をすくめて、目をそらした。
「前に一口だけで泣きそうになってたからな。あれは……忘れようとしても無理だろ」
思わず吹き出しそうになったけれど、心の奥のほうが、じんわり温かくなる。
——たったそれだけのことかもしれない。でも、たったそれだけの優しさが、すごく嬉しかった。
「ねぇカイル、見た目と違って、やさしいよね?」
ミルフィがくすっと笑いながらスープをすすった。
「見た目と違う、は余計だ」
カイルがむすっとした顔で返すと、焚き火の向こうから、どこかの冒険者たちの笑い声が聞こえた。
王都の夜はにぎやかだけど、今この瞬間だけは、三人だけの時間がゆっくりと流れていた。
読んでいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価・感想いただけますと大変励みになります。
---------------------------------------
毎日3回程度投稿しています。
最後まで書ききっておりますので、是非更新にお付き合いください。




