第十四話 王都への出発
夜の帳が降りていた。宿の一室、テーブルの上には質素な食事と、小さな地図が広げられている。三人は囲むようにして座り、それぞれに疲れた顔をしていた。
だが、言葉はすぐには出てこなかった。
先に口を開いたのはミルフィだった。
「……やっぱり、祠が鍵だった。でも、あれじゃ……王都の封印への影響はほとんど残ってない」
ジウイは頷きながら、指先で地図をなぞった。
「王都の封印が壊れかけてるなら、止めなきゃ。でも……どうやって?」
「止めるには、黒ずみの力を解こうとしている連中を突き止めるしかない」
カイルが静かに言った。
「大聖堂の上層部が関わってるってことは、王都に行くしかないよな」
ミルフィはゆっくりと頷いた。
「記録は、ほとんど封じられてる。でも、王都の中央図書館か、大聖堂の秘文書庫には……あるかもしれない」
「勝手に入れるような場所じゃないよ」
ジウイが、そっとため息を吐く。
「でも、放っておいたら、また廃屋みたいになる」
あのときの炎の光景が脳裏をよぎる。
焦げた空気、焼けた家の残響、そして──自分の左目が見た“浄化の痕跡”。
ジウイは椅子の背にもたれながら、天井を見上げた。
「だったら行くしかない。私も、もっと知りたいから。……私の目と、アニマのことも」
その声に、もふもふのウサギが「ぷすぅ」と鳴いて膝に寄ってきた。
「それに」
ジウイはふっと笑う。
「大聖堂の偉い人が悪さしてるなら、モデルにして“とんでも男色陰謀物語”でも書いてやろうかな」
ミルフィが笑いを噛み殺すように肩を震わせ、カイルも思わず苦笑いする。
「……じゃあ決まりだな。明日には出発しよう。王都までは一週間くらいかかるけど、道中の村でも何か聞けるかもしれない」
「道のりは長いよ」
ミルフィが微笑む。
「でも、たぶん――必要な旅になる」
ジウイは、うなずいた。
「このギフトは、神様のくれたものだからね。だったら……ちゃんと向き合わないと」
テーブルの上、燭台の火が、三人の影を揺らした。
ジウイの決意の言葉が空気を引き締めたところで、カイルがふと地図から顔を上げた。
「……で、実際のところ、封印が解かれるとどうなるんだ?」
その問いかけに、ミルフィの表情が曇る。言葉を選びながら、静かに語り始めた。
「――正確なことはわからない。記録はほとんど改ざんされてるし、封印そのものが“なかったこと”にされてる。でも、断片的に残された文献や、探求の一族の伝承にはこうあるの」
彼女は指先で、祠のあった森の北側を示す。
「“黒ずみ”は、生き物の内側に入り込む。そして意志を飲み込み、他者の意志で動く殻にしてしまう。つまり……人も、獣も、操られてしまう」
ジウイの背筋に冷たいものが走った。
「数百年前、戦争である国がこの“黒ずみ”の力を兵器として使った。生きたまま兵士を操る、抵抗できない“人形”の軍隊が生まれたの。だけど……その力は制御できなくなって、敵味方の区別なく広がった」
ミルフィの声は低く、ゆっくりとした調子になった。
「最後は、神殿と祠の封印術師たちが命と引き換えに封印した――というのが、私たちが受け継いできた記憶」
「だからこそ、王都の上層部にとっては“触れちゃいけない過去”なわけか」カイルが顎に手をやる。「……でも、その力をまた使おうとしてる連中がいる」
「うん。大聖堂の権威を拡大するために、“神の力”を演出しようとしてるのかもしれない。神の奇跡のように見せかけて、黒ずみの支配の力を……」
「なんで、そんなものを……」ジウイが呟いた。
ミルフィは、そっとジウイのほうを見た。「理由は、欲と恐れと、権力。……でもそれ以上に、たぶん彼らも、真の危険を知らないんだと思う。封印を軽く見てる」
しん、と部屋の空気が沈む。
ジウイは口を結んだまま、小さくうなずいた。
「……じゃあやっぱり、行くしかないね。王都に」
ミルフィが語り終えると、再び沈黙が落ちた。
カイルが眉をひそめながら、ぽつりと呟いた。
「でも、神殿が破棄されたのって……三十年くらい前だよな?」
「ええ、ちょうど私の祖父の世代ね」ミルフィは頷く。「大司教が“神の教えは王都に集約されるべきだ”って言って、地方の神殿の多くを閉じさせたの。祠だけが、かろうじて残った」
「ってことはさ――」カイルが腕を組んだ。「もう三十年も前から、やつらは動いてたってことか」
「封印をじわじわ削るには、それくらいの年月が必要だったのかもしれない」ミルフィの声はどこか遠くを見つめるようだった。
ジウイは少し考えてから口を開いた。「……で、今、周期的に封印が弱くなる時期と重なってる?」
「たぶん、そう」ミルフィは真剣なまなざしでジウイを見た。「周期は完全には解明されてないけど、文献には『およそ数世代に一度、大地が吐息するように封印が揺らぐ』ってあるわ」
ジウイはその言葉を繰り返すように呟く。「……大地が、吐息をする」
「いずれにしても、今が“その時”なのは間違いない。だからこそ、あの廃屋が現れて、黒ずみが流れ込んできた。ジウイ、あなたの目が反応したのも、偶然じゃない」
宿屋の一室。
質素な木の床に、古ぼけたテーブルと椅子がひとつずつ。カイルの部屋に三人が集まり、蝋燭の灯りがゆらゆらと壁を照らしていた。
「……なあ」
沈黙を破ったのはカイルだった。ベッドの縁に腰をかけ、腕を組んだまま、低く呟くように言った。
「これ、俺たち三人でどうにかなる話なのか?」
その声には、軽口ではない重みがあった。
ジウイが椅子の背に腕をかけたまま、ちらりとカイルを見やる。ミルフィもテーブル越しに顔を上げた。
「王都の大司教が、黒ずみの封印を意図的に解こうとしてて、封印そのものは数百年前のものだろ? それを俺たちだけで止められるってのか? ……無理があるだろ、さすがに」
しばらく誰も答えなかった。
静かな蝋燭の灯りが揺れ、窓の外からは遠くの街の喧騒がかすかに聞こえる。
やがて、ミルフィが口を開いた。
「……正直に言えば、三人だけじゃどうにもならないかもしれない」
彼女はまっすぐにカイルを見て言う。「でも、私たちには見てきたものがある。確かに感じた“異変”がある。それを伝える責任はあると思うの」
「王都に?」ジウイが眉をひそめる。「でも、黒ずみの力を使おうとしてるのが王都の大司教なんでしょ? 伝えたって、握り潰されるだけじゃないの?」
「その可能性はある」ミルフィはうなずいた。
「でも、封印がここまで弱ってるってことは、向こうも何かしら動いてるはず。……この封印がなぜ、数百年も前に“王都の外”で維持されてきたのか。
王の権威と大聖堂の思惑がぶつかって、神殿が捨てられたのが30年前。もしそこから彼らが動いていたとすれば――今こそ、決定的な局面なのかもしれない」
「……それにしても、ずいぶん長い仕込みだな」
カイルが息を吐く。「三十年、だろ? そんな前から仕込んで、ようやく今、封印が緩んできてるってことか」
「周期的に、封印の力が弱まる時期があるのよ。おそらく、その周期に合わせて動いてる」
ミルフィの声音は低く、真剣だった。
しばし沈黙。
「……ああ、もう」カイルは立ち上がって、後頭部をがしがしと掻いた。「わかったよ。無理でも、やるしかねえってことだろ? 誰かが動かなきゃ、どうにもならない」
「ふん、最初からそのつもりだったくせに」
ジウイが鼻で笑う。「そんな深刻そうな顔してたら、寝起きの顔と見分けがつかないわよ」
「うるせぇな……」
宿の部屋には、笑いと覚悟が同居する静かな空気が流れていた。
翌朝。
まだ日が昇りきらないうちに、三人は宿を出た。
冷えた空気のなか、街道の石畳に靴音が三つ、規則正しく鳴る。小鳥とネズミのアニマはすでに帰しており、残るはふわふわのウサギだけが、ジウイの横をぴょこぴょこと跳ねている。
「……王都までは、街道を南に約一週間。途中の宿場町に泊まれば安全だけど、あんまりゆっくりもしてられないわね」
ミルフィが地図をしまいながら言う。
「そもそも俺たちのことって、向こうには察知されてると思うか?」
カイルが荷物を背負い直して、前を見やった。道の先には、薄明の空に霞む山並みが連なっている。
「正直わからないわね。ジウイの目の力で、結界の残響に与えた影響がどこまで伝わっているか次第ね。」
「ま、何があっても、わたしのアニマたちがいるし?」
ジウイはいつもの調子で言いながら、かがんで普通サイズのウサギのもふもふを撫でる。「それに、あんたたちがついてるんだし。……なんとかなるでしょ?」
ミルフィが笑った。
「ジウイがそう言うなら、きっと大丈夫ね」
カイルも、わずかに頬を緩めて言う。
「じゃあ行くか。王都へ。……真っ黒な大聖堂の内側を、覗きに行こうぜ」
三人は顔を見合わせ、小さくうなずいた。
そして、朝の冷気のなかを、ゆっくりと歩き出した。
王都――神と黒ずみとが交錯する、すべての始まりの場所へと。
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