第十三話 封印のかけら
神殿跡に立つのは、これで二度目だった。
乾いた石段を踏みしめながら、ジウイたちは再びあの廃墟へと戻ってきた。崩れた屋根、ひび割れた柱、祈りの痕跡だけが風にさらされて残っている。前回と同じく、周囲には結界の痕も、黒ずみの気配も、何もない。
「やっぱり……何も変わったことはないね」
ジウイがぽつりとつぶやいた。アニマたちも、少し緊張した様子ながら、警戒というほどではない。もふもふウサギは足元で座り込み、小鳥はジウイの肩に止まったまま、無言で羽繕いを続けている。
「ここが“そもそもここが封印していた場所”じゃない、って可能性はないかしら?」
突然、ミルフィがつぶやいた。
「……というと?」
カイルが眉をひそめる。
ミルフィは神殿跡の石造りの床をしゃがみこんで眺めながら、土に触れ、石を叩き、何度か地面の起伏を確かめた。
「地脈がずれてるの。魔力の流れが、この真下にあるわけじゃなくて——そうもう少し西のほうを通ってるみたい。しかも、人工的にその西の先に集められて、そこでまとめてせき止められてる感じがする」
「そんなことまで、わかるの?」
ジウイが驚いた顔をすると、ミルフィは得意げに笑った。
「視る力を持った探求の一族ですもの。地脈のような大きな魔力の流れを読むのはお手のものよ」
「じゃあ……本当の“封印”は、こことは別のところか?」
三人は顔を見合わせた。次の瞬間、カイルが身を翻して、西側にあたる神殿跡の裏手へとドンドンと進み出す。
「行ってみよう」
西の斜面を越え、しばらく進むと、そこにはずっと時間が止まってしまって忘れ去られたような祠があった。草木に覆われ、いたるところが苔むした小さな石の建造物。
入口はなく、代わりに前面に立つ石碑に、かすれた古代文字のようなものが刻まれていた。
「……これは、昔の文字? 読めないけど、魔力の痕跡がある」
ミルフィが手を翳すと、祠の奥から、わずかに黒ずんだ風が吹いたような気がした。ジウイは違和感が生じた左目を抑える。なにかが、そこにいる——。
「……うすい、けど。なにか残ってる」
ジウイがつぶやいた。アニマたちがさっと身を引く。
それは、あの廃屋で感じた「黒ずみ」に、どこか似ていた。ただしあの時よりも遥かに弱く、そして……どこか悲しげな、祈りの残響のようでもあった。
祠を後にして、あらに小道ともいえないような、獣道のような道を進んでいく。
地図には載っていない。だが、ミルフィは確信していた。資料の中にあった、かつて神殿と対になるように記された「副座」。それが森の奥にあったという記述が、どうしても頭から離れなかった。
「もう少し先……この辺のはずだけど」
木々の切れ間から、先ほどの祠よりもかなり大きい、苔むした石積みが姿を現す。
斜面に寄り添うように建てられた、大きな祠。石の鳥居は折れ、祠の屋根は落ちかけている。それでも、確かにここに“なにか”があった痕跡が残っていた。
「これも……祠?」
「ずいぶん荒れてるな」カイルが慎重に足元の枝を払う。「誰も手入れしてないって感じだ」
ジウイは、何も言わずに祠に近づいた。アニマたちは、距離を取るように一歩下がる。ジウイの左目がかすかに疼いた。
――ひとすじ、光。
視界の端に、光の糸のようなものが浮かび上がる。空間の“ひび”のようなそれは、かつて大小の祠を覆っていた結界の残響。ジウイが瞬きをしたその一瞬で、光はふっと掻き消えた。
ミルフィが近づいてきて、そっと言う。
「……見えたのね。結界の残り香。普通の人じゃ、まず感じられないはず」
「たしかに何かが……一瞬、光った気がする。でも、もう消えちゃった」
「やっぱり、ここに何かあったんだわ。神殿本体じゃなくて……さっきの小さな祠とこの祠こそが対となって、封印の本体だった可能性がある」
「気のせいかもしれないが、少し空気が軽くなった気はするな。ジウイが見たからなのか?」
カイルが眉をひそめた。「でも、どうして放置されたんだ? 重要ならもっと警護されててもおかしくないだろ」
ミルフィは答えず、唇をかすかに噛んだ。──図書館で見た、いくつかの文書の断片が頭をよぎる。
王都の大司教の名で出された命令。
神殿の放棄。
祠の記述だけが削除された報告書。
「……もしかしたら、意図的に放棄されたのかもしれない。図書館で見た報告書の改ざん、それに、いくつかの命令書には日付が合わない矛盾があった」
「どういう意味?」ジウイが振り向く。
「大聖堂の封印を……わざと、解こうとしてる。黒ずみの力を、制御して“使う”ために」
言葉を聞いた瞬間、ジウイの胸に冷たいものが走った。
黒ずみ。
命を蝕む呪い。
焼かれた廃屋。
──そして、突然姿を消した両親。
ジウイの左目が、再びわずかに光った。
「ここは、もうすぐ壊れる。封印の力は、ほとんど残っていない。……誰かがそれを、望んでる」
沈黙が落ちた。鳥の鳴き声すら、遠くに消えていた。
ミルフィがそっと頷く。「このまま放っておいたら、ここ境界の森の封印は完全に解けてしまったと思う。でもジウイが見たことで黒ずみの気配自体がなくなった」
「村の廃屋も封印がつながっているのなら、村もどうなっていたかわからない」
ジウイは静かに言った。まるで、その未来を予見しているかのように。
カイルが、拳を握る。「ここを止められたなら、他も止めよう。今すぐじゃなくても、手がかりを集めて、王都に行ってでも、止めなきゃいけない」
ジウイは、もう一度祠を振り返った。かすかに風が吹き、崩れかけた屋根の下、見えない何かが去っていくように空気が動いた。
──父と母は、何を見ていたのだろう。
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