第十二話 酒場にて毒舌
町の夕暮れ時は、まだほんのりと赤みを残していた。三人は、地元の人々が集う賑やかな酒場に足を踏み入れていた。
樽を並べたカウンター、木の椅子が軋む音。酔客たちのざわめきと笑い声のなかで、ミルフィとカイルはそれぞれ情報収集に動いていた。
ジウイはと言えば、カウンターの隅に腰掛け、もふもふのウサギと鳥のアニマを傍らに置き、リンゴのジュースを啜っていた。ネズミのアニマはテーブルの下でチーズの欠片をかじっている。
「おやおや、小さなお姫様じゃねえか」
ふいに背後から、下卑た笑いとともに声がかかった。振り返ると、三人組の男たちが立っていた。どこか仕事明けの労働者風で、酒の勢いも手伝って、気が大きくなっている様子だった。
「こんなとこで迷子かい? お兄さんたちが宿まで送ってってやるよ〜」
「お菓子は持ってないけど、楽しい話ならたっぷりできるぜ?」
男たちはにやにやしながら、ジウイの前に立ちはだかるようにしてきた。だが、ジウイはジュースを一口飲んでから、ゆっくりとカップを置いた。
「……あー、はいはい。小さいからって、舐めるのもたいがいにしといたら?」
「おや、怒った怒った。かわいいなあ~」
ジウイはくるりと椅子を回転させ、正面から男たちを見上げた。その目は冷たく、口元には小さな笑みが浮かんでいる。
「じゃあさ、こうしよっか。今夜、あなたたち三人をモデルにして──」
言葉を切ってから、ジウイは小首をかしげ、甘ったるい声で続けた。
「“筋骨隆々・年増の冒険者三兄弟が酒場で恋に落ちる、男色絵物語”でも描いてみようかな。タイトルは──そうね、『泡沫の夜、三人は抱き合う』……なんてどう?」
「……は?」
「朝には宿の前に百部くらい配ってあげる。子ども扱いしてくれたお礼に」
静まり返る一瞬。
そして、男たちは顔を真っ赤にして逃げ出した。
「な、なんだあの子……」
ジウイは肩をすくめて、再びジュースを一口。
「まったく、下品な酔っ払いは退治が楽で助かる」
もふもふのウサギがごろりと寝転がり、小鳥がくすくすと笑うように羽をばたつかせた。
その後、ミルフィとカイルがそれぞれの情報を持って戻ってくると、ジウイは何事もなかったように言った。
「なんか、酔っ払いどもが真っ赤な顔して出て行ったが、ジウイ何か知ってるか?」
「あらもう帰ってきたの? ちょっとした創作活動をしてただけだが?」
三人は先ほどの騒ぎ?には触れずに各自が手に入れた情報を、テーブルの上で静かに突き合わせていた。
「こっちは、町の年寄りから聞けたんだけど……」とカイルが言った。
「ずっと昔、この近くの森にあった神殿は、“死の谷”って場所を封じるために建てられたらしい。谷には『穢れ』とか『黒ずみ』とか呼ばれる、よくない力が溜まりやすい土地だったってさ」
ミルフィも頷いて続ける。
「でもその神殿、今は放棄されてるの。王都の大司教が決めたらしいわ。『その地に神の気配はもうない』ってね」
「神の気配って……ずいぶん主観的だな」とジウイが眉をひそめる。
「まあ、政治的な何かが絡んでたのかもしれないけど」とミルフィは肩をすくめた。
「それがいつの話?」
「三十年くらい前かな」
「……じゃあ、わたし達が生まれるずーっと前か」
ジウイはぼんやりと空のグラスを回しながら考え込んだ。
「放棄されたあと、神殿はどうなったの?」
「盗掘されたとか、信徒が散って誰も手入れしなくなったとか、噂はいろいろ。けど、少なくとも今はまともに機能してない。遺跡みたいなもんだね」
カイルが腕を組んでつぶやいた。
「でもおかしくない? “黒ずみ”は今も出てきてる。つまり、“封印”は本当に解かれてるか、あるいは……」
「神殿が、まだかろうじて働いてる?」
「あるいは、何かがそこに居座っているのかもな」
ジウイの目がわずかに光を映した。焚火の炎ではない、もっと冷たいなにかの予感を。
「明日、もう一度見に行こう。神殿跡」
ジウイの言葉に、二人は無言で頷いた。
宿の部屋は、小さくて、静かだった。灯りをひとつだけつけて、ジウイはベッドの上に腰を下ろす。
窓の外では、夜のざわめきがゆるやかに流れている。町の人々の笑い声、遠くの楽器の音色、誰かが通りで口ずさむ歌。それらがまるで、自分の知らない時間の中を歩いているように思えた。
アニマたちは、床の上で丸くなっていた。ネズミも小鳥も、そしてもふもふのウサギも。そっと目を閉じ、安心しきったように寝息を立てている。
スケッチブックに戻しても良いのだけれど、このままがいいかな。
ジウイは、あの光の感触を思い返した。自分の左目からふわりと紋章が浮かび、結界の残響が跡形もなく消した。
そして黒ずみに取りつかれた鹿から黒ずみを引きはがした。
あれは、なんだったのだろう。
(目から出た、浄化の光線……? あれもギフト? だとしたら、どうしてわたしが……?)
ギフトは、ひとつだけ。神様がひとりにたった一つだけくれる大切な「祝福」。それがこの世界の理であり、疑う者はいなかった。
多重ギフトは禁忌、異端、恐れられる存在。そんな話を、昔どこかで聞いたことがある。
自分のギフトは「絵」。小動物のアニマを生み出し、彼らを使役する、そんなささやかで、やさしい力のはずだった。
でも……。
(あの目の力が、本当にわたしの中にあるのだとしたら——)
ジウイは、自分の手を見つめた。指の一本一本に、アニマを描くときの感触がよみがえる。なのに、左目の奥にあの冷たい光を思い出すたび、胸の奥がざらりとする。
そっと目を閉じる。
浮かぶのは、両親の記憶だ。
笑っていた。優しく、そして、どこか遠くを見つめていた。ジウイがまだほんの幼い頃、両親はよく家を留守にした。ときどき、知らない人たちが訪れてきて、父と母は声を潜めて話をしていた。
そして——ある日を境に、ふたりは消えた。
理由も、行き先もわからないまま。
(なにか……なにか、あの人たちの中に、答えがある気がする)
ジウイのまぶたの裏に、一瞬だけ、黒ずみに満ちた廃屋の光景がよぎった。あの空間、あの気配、あの結界。まるで、そこにかつて誰かがいたような——。
(あれは……まさか)
ふるふると頭を振って、思考を追い払う。
答えはまだ出ない。でも、感じている。自分の中に、なにかが目覚めつつある。
アニマたちの寝息に包まれながら、ジウイはぽつりとつぶやいた。
「わたし……何者なんだろうね」
返事はない。ただ夜が、静かに更けていくばかりだった。
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