第九話 街道の町と北の森
石畳が続く街道沿い、朝の光が町の門を照らしていた。
木組みの家々が並び、煙突からは朝の煙が立ちのぼっている。
交易路の要衝として、旅人や商人で賑わうやや大きめの町だ。
「久しぶりに、ちゃんとしたベッドで寝られそうね」
ミルフィがうれしそうに言いながら、門をくぐる。
「獣道じゃ寝返り打つたびに背中が痛くてさ……」
カイルも続く。
その後ろでジウイは、あまり喋らず黙々と歩いていた。
(街かぁ……ちゃんとアニマたち、隠しておかないと。街の人たちに見られたら、また変な目で見られるかも)
描き出した鳥とネズミ、もふもふウサギはそれぞれジウイの絵に戻され、紙の中へと消えていく。
「さて、宿を探しますか」
ミルフィが通りに面した掲示板の地図を確認しようとしたときだった。
「おい、そこの絵描き女」
町の脇道から現れた二人組の男が、ジウイの前に立ちはだかった。
片方はあごに古い傷があり、もう片方は小柄で目つきが悪い。
「さっき描いてたやつ、見たぜ。あれ、魔導か? 黒魔術か?」
「絵を描いてただけだけど?」
「そんなこと言って、呪いを町に撒いたやつがいたんだよなぁ、前に」
傷のある男が嘲るように笑った。
ミルフィとカイルが一歩前に出る。
「俺たち急いでるんだ。勘違いなら勘違いでいい。でも、邪魔するなら——」
だが、先に口を開いたのはジウイだった。
「……へえ。勘違いで因縁つけて、三人旅の中で一番小さくて女の子っぽいのを狙うのね。
わかりやすいなあ、“弱そうな相手”しか相手にできない、雑魚ムーブ」
男たちが一瞬ひるむ。
「……なに?」
「いやだって、旅の仲間がいるの見えてるでしょ?
なのに、わざわざわたしだけに声かけてくるって、そういうことでしょ?
へぇー、そういうのを“田舎者の勇気”って言うの?」
ミルフィが吹き出しそうになり、カイルがむせた。
「こ、この子、こんな毒舌だったのね……」
「おい、てめぇ、誰に向かって——」
「うんうん、こわーいこわーい。
じゃあ、こっちはどうかな?」
ジウイはさっとポーチからスケッチブックを取り出し、何かを描き始める。
あっという間に線が踊り、紙の上には獰猛そうな虎の絵が完成する。
男たちは一歩引いた。
「さ、こいつが飛び出す前に、どいてもらえる?
別に“描いただけ”だしねぇ? まさか、絵に脅されて逃げるような腰抜けじゃないよね?」
男たちは舌打ちしながら後ずさり、逃げていった。
ジウイは、虎の絵をくしゃっと丸め、ポーチに戻すと、ふんっと鼻を鳴らした。
そもそも獰猛な虎なんて絵から出せないんだけどね。
「やっと、いつものジウイに戻ったな」
カイルが笑いながら言った。
「ちょっとムカついただけだよ。バカにされて我慢するのって、損じゃん」
ジウイはそっけなく言ったが、どこか少しだけ照れていた。
宿に荷物を預けたあと、三人は町の広場を起点に情報収集を行うことにした。
「俺は道具屋とか鍛冶屋の連中から話を聞いてみる」
カイルが手綱を握るように拳をきゅっと握る。
「私は図書館や町の記録所。……こういうとき、役に立つのが“探求の一族”ですから」
ミルフィはちょっと誇らしげに言って、ジウイのほうを見た。
「……わたしは……」
ジウイは何か言いかけたが、すぐに口を閉じてしまった。
「ジウイはジウイでいいよ。無理に人の話を聞かなくても、町の雰囲気を見て回るだけでも充分」
「じゃあ、勝手にフラつくね。宿の場所は覚えたから」
ジウイはくるっと踵を返して歩き出す。
「……ふふ、元気そうでよかった」
その背を見送りながら、ミルフィはスカートのすそをひるがえして、石畳を歩き出した。
図書館は町の中心部から少し奥、教会の裏手に建っていた。
木の棚には古い旅人の記録や交易路の記述、そして病の広がりを記した報告書が並ぶ。
カウンターの前で係員が紙に何かを記入している。
ミルフィはその横に、ふわりと腰を下ろした。
その隣には——
「……こら、書物に手を出しちゃだめよ」
もふもふの小さなウサギが、前足で棚をぺしぺしと叩いていた。
ぬいぐるみのようにふわふわなその姿に、近くの女司書が思わず微笑む。
「かわいらしいウサギですね……どこから?」
「旅のお供です。ちょっと毛が多いだけで、すごくお利口なんです」
ミルフィが微笑むと、ウサギは得意げに胸を張って座った(ように見えた)。
「……ところで、この町で最近奇妙な噂とかって聞いたことありますか?」
司書の女性は少し思案顔になる
「……そうね、北の森の動物ですごく獰猛な個体がいるとか、やけに黒ずんだような動物がいるって話があるわね、猟師の中には怪我をした人もいるようで、治療院で数人治療をうけていたわね」
「治療院、ですね。ありがとうございます」
ミルフィは立ち上がって、もふもふウサギの背を軽く叩いた。
「さ、次はそっちよ。あまり騒がないでね」
ウサギはぴょん、と一度跳ねて、まるで「任せて」とでも言うように胸を張って進み出した。
その後ろ姿を見つめながら、ミルフィはふと微笑む。
(絵のアニマたちが“普通”じゃないことくらい、ジウイもわかってるはず。
でも——この子たちは、ジウイの“心のかたち”でもあるのよね)
風が窓のすき間から吹き込んで、紙の端をぱらぱらと揺らした。
カイルは町の広場を抜けて、工具屋や鍛冶屋が集まる通りに向かっていた。
ギルドの掲示板は特に新しい依頼もなく、通りすがりの旅人や商人がちらちらと張り紙を見ては去っていく。
道具屋の親父とひとしきり話してから、ふと背後で聞きなれた音がした。
「みゃー……ぅぅ……」
見上げると、古い町家の二階の庇に、猫が一匹、うずくまっていた。
その下では、小さな子供が涙をこらえながら、必死に呼びかけている。
「ナナ……降りてきて……ナナぁ……」
母親らしい女性が後ろから声をかけているが、子供は動かない。
猫も不安げに、上から鳴き声を繰り返している。
「……ったく、これだよ」
カイルは頭をかきながら、にやりと口元を緩めた。
すっと深く息を吸い込み、足の裏に意識を集中する。
次の瞬間、彼の身体がふっと宙に浮いたかと思うと、ほとんど助走なしに屋根の庇へと飛び上がった。
「お、お兄ちゃんが……とんだ……!」
子供の驚いた声が聞こえたが、カイルは軽く手を振って応える。
「よーしよし、もう大丈夫だ」
猫に手を差し伸べると、ナナと呼ばれた猫は怯えながらもカイルの腕にすり寄る。
そのままふわりと着地するように、カイルは屋根から地面に降りた。
「はい、ナナちゃん、返すぞ」
「……ありがとぉ……!」
子供が猫をぎゅっと抱きしめ、母親もぺこりと頭を下げる。
「ギフトの“跳躍”かい。助かったよ」
通りすがりの老人が声をかけてきた。
「へぇ、最近じゃ珍しいな。あんた、視ない顔だがよそから来た冒険者かい? 北の森には行かない方がいいって噂だぞ」
「詳しく聞かせてくれますか?」
猫騒動のあと、カイルは自然な流れで情報を得ることができた。
宿の食堂は、夜の帳が降りるとともに旅人や町の職人で賑わいを見せていた。
焚き火の代わりに、灯されたランタンが卓を照らし、焼き立てのパンと香草のスープの香りがほのかに漂う。
「そっちはどうだった?」
ミルフィが、小さなもふもふウサギを膝にのせたまま、湯気の立つマグを片手にジウイに問いかける。
「ぼちぼち。役所の書きつけに、変な“失踪報告”が増えてるって話があった。北の森を越えたあたりの村で、畑仕事してた人がいなくなったとか」
「同じ方向だな」
カイルが腰を下ろすと、どこか重たい雰囲気をまとっていた。
「さっき、ちょっといいことしてさ。そしたら通りすがりのじいさんに、“北の森が危険だって聞いたんだよ」
「……それ、うちの村にあった古い地図と合うかもしれない」
ジウイが、パンをちぎりながらぼそりと呟く。
「北の森の東、丘を越えたあたりに、かつて“境界の門”があった。昔の神殿と、その先に入っちゃいけない“死の谷”があるって、絵の師匠が言ってた」
「なんか不穏すぎるワード出てきたな」
カイルがスプーンを止め、眉をひそめた。
「……境界の門に死の谷、ね。どちらも物々しい名前」
ミルフィはマグを傾け、思案顔になる。
「うちの一族には伝承が残ってる。『神が最初に穢れを封じた土地』があるって。そこには、触れてはいけない祝福が眠ってるって――」
「触れてはいけない祝福?」
ジウイの声がわずかに高くなる。
ミルフィは、ちらとジウイの瞳を見る。
焚き火に似た赤みを宿したその目に、どこか焦点が合わないような、不安定な光があった。
ミルフィはすっと視線を戻し、テーブルの上の地図を広げる。
「ともかく、北の森には行ってみる価値はありそうね」
「だな」
カイルがうなずき、スープを飲み干す。
「朝一で出発しよう。まだ陽が高いうちにたどり着けば、引き返す余裕もある」
ジウイは静かにうなずいた。
その足元では、リスでもネズミでもない鳥のアニマが、くちばしで床をつつきながら、彼女の椅子の陰でぴたりと寄り添っていた。
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