プロローグ
君影祷の最愛は木蓮香織だ。
長く艶やかな黒髪はうっとりするほど綺麗だし、長いまつ毛に縁取られた大きなお月様のようなタレた瞳だって、何一つとってもため息が出るほどに綺麗な人だ。
だけどあの人の魅力はそれだけじゃない。昔、雪が降る中お母さんから家から追い出された私をただ一人助けてくれた命の恩人だ。もうあの時のことを思い出すだけでご飯三杯はいける。大好き。
あの人の成した偉業についてのお話は、一年かけても語りきれないほどあるが、どれを選択すれば、どんなにあの人が素敵な人と伝えられるのかわからない。悩ましいことである。
「ね?このことについてどう思う?」
「さすがに俺も七時間もぶっ続けで話された時は参ったよ……」
「え、嘘、ごめんね」
部活の隙間時間に相談すると、恋人から意外な答えが帰ってきた。なんと、あの時ちょっと引いていたらしい。
「それにその言い方だと、祷のお母さんが悪い人に思われるよ?」
「んー、最後まで聞けばお母さんの行動もわかってもらえると思うけどなぁ……」
あの時私の家は借金をしていて、生活に余裕がなかった。お父さんが死んでいたから、お母さんだけが働かないといけない。だから世間の人からは忌避される水商売でお金を稼いでいた。
……あの時は知らなかったけど、そんなに急いで働いて返す必要はなかったんだよ。
ただ、私の将来のために苦手なお酒も飲んで、必要以上に頑張って稼いでいただけだ。まぁ、お酒と体の相性が悪いせいで家に帰ると暴れ散らかして、挙句、当の本人である私をほっぽり出したから、不器用な人ではあるかもしれない。
「それに香織姉のおかげで仲直りできたし……、あ、まって好き」
「香織さん好きすぎない?」
「だって、あんなに綺麗で、可愛くて、いじっぱりなくせに嫉妬しまくって、それでいて自分のやったことを心から反省して泣いちゃうなんて、愛おしすぎるでしょ!?そうでしょ!?」
「俺はリィの方が愛おしいけど……」
「ねえやめて真正面から言わないで恥ずかしいあと愛称ここでは呼ばないでお願い」
クツクツと肩を小さく揺らしながら獅王が笑う。だがここは部室だ。つまり周りに人がいるのだ。そんな小っ恥ずかしいこと言わないで欲しい。
……まあ私も人のこと言えないんだけど。
「鼓ちょっとこっち来てー!」
「あ、はい今行きます!」
じゃ、と小さく手を降って獅王が去っていく。おそらく次の劇の打ち合わせだろう。主人公なので頑張らないと、と張り切っていたのを思い出し、思わず小さく笑ってしまった。
「……あれ?祷ちゃん、今日は香織さんと帰るって言ってなかったっけ?」
「あっ!」
……ああああ危なっ!五時半に校門の前で待ち合わせしてたのに、待たせるとこだった!
せかせかと帰り支度をすませ、急いで鞄を待つ。
「ごめん、教えてくれてありがと!」
「ん、いいよ」
「先輩方また明日お願いします!」
「あーさようならー」
部活の人達に挨拶をしながら、人混みを縫うように進む。途中、獅王と目があったので、バイバイと手を振った。笑って手を振りかえしてきたので、挨拶もそこそこに部室を飛び出し校門へと走る。
……ああもうっ、なんで演劇部の部室はこんなに校門から遠いの!?何これ試練!?
時間を忘れていたから自業自得だとか、知ったこっちゃない。香織お姉ちゃんを待たせてはいけない。これはこの世の真理だ。
……って、ああ゛ああぁぁあっ!そんなこと考えてる間に校門にすごく麗しい後ろ姿が見える!風にたなびく髪が綺麗!でも、待たせて申し訳ないっ!ごめんなさいっ!
「お、おね、ゔっ……、ねえちゃ…」
「リィ!?どうしたの、大丈夫!?」
全速力で走ったので、動悸と息切れがすごい。ゼェゼェと息が荒く、酸欠でクラクラする。
……あ、待って。お腹痛い。吐きそう。
「ま、待たせて、ごめん……」
「そんなに待ってないし、大丈夫よ。それより、リィこそ平気?しんどくない?」
待たされたのに怒らず、こちらの心配をしてくれるなんて、香織お姉ちゃんはきっと女神も霞むほどの聖者だ。そうに違いない。じゃなきゃ神が間違っている。
「ありがとう、もう大丈夫」
「そう?ならいいけど……」
心配そうに眉をよせた表情が可愛い。好き。
「……あれ?今日はアイツいないの?」
「ん?あぁ、そういえば今日はいないわね」
アイツ、と言うのは香織お姉ちゃんのストーカーのことである。何ヶ月か前に振ったっきり、行き道やら帰り道やらに現れてこちらをジーッと見てくるのだ。正直に言って気持ち悪い。
確かお姉ちゃんがアイツの落とした書類とか拾っただけで告白したのだ。もうすぐ京斗さんと結婚するって知っているはずなのに、なんであんな無謀なことするのかな甚だ不思議だ。
「あ、そうだ。お母さん、結婚式に参列できるって」
「あら、本当?よかったわ。よろしくお願いしますって伝えておいてね」
はーい、と返事をしながら香織お姉ちゃんと横並びで歩く。蝉がミンミン鳴いて、陽が少しずつ沈んでいくアスファルトの道のりを二人だけで歩くのは、何年経ったって幸せな気分になれる。
……ずっと一緒にいたいなぁ。
もちろんお姉ちゃんとずっと一緒になんていられるはずがない。もうすぐ結婚するし、そうしたら私がお姉ちゃんの家に行くことだってあまりできなくなるだろう。
でも別にそれでいい。お姉ちゃんは私のことが一生一番好きだと言ってくれた。それだけで十分幸せだ。
幸せな気分でお姉ちゃんと話していた私は、数分後、自分の望みが叶わなかったことをまだ、知らない。
「香織姉!香織姉ってばっ!……ねえっ!返事して!」
なんで、どうしてこんなことになったのか、わからない。
たしか、お姉ちゃんと話してたら、急に、あの、ストーカーが現れて、変なこと言って、私に、ナイフを向けて来て、そしてたらお姉ちゃんが……。
「な……なんでっ、庇ったの!?あ、嫌、やだ!ねえっ!お姉ちゃんっ!」
混乱する中、私はストーカークソ野郎に目を向けた。お姉ちゃんをアイツが刺したあと、私がナイフを奪って刺しかえした。お腹からドクドク血が出ていて、何やら呻いている。
「い、の……り」
「っ!あ、あ、ぁお姉ちゃ……」
すごくすごく痛そうにしながら、お姉ちゃんが私の頬に手を伸ばす。いつもはついていないベッタリとした血が私についた。思わず血の出血を抑えていた手を離し、ぎゅっと掴んだ。
「大丈夫だからね!助かるからね!い、今、皆んなが、きゅう、っ救車、呼んでるから!ね!?」
周りがザワザワとうるさい。でも、混乱している私に代わって救急車を呼んでくれている。
……確か救急車が来るまでにかかる時間は、約十分だったはず。
ドッドッドッ、と嫌な音がする。耳がキーンとなる。ガタガタ震えているお姉ちゃんを見て、どんどん嫌な思考になる。
こんなに、血が出て、それまでもつの……?あれ?
今までいろんな本を読んできたはずだ。なのに、役にたつ情報が沸いてこない。なんて、役立たずなのだろう。
「……る」
「へっ?な、なんて?」
グッと何かを堪えるように目を閉じたお姉ちゃんが、ゆっくりと目を開ける。ゆるく、淡く、顔に浮かぶ微笑は、鳥肌がたつほどに美しく儚い。血とのコントラストが、逆に妖艶さを掻き立てた。
「おね、お姉ちゃ……」
「あいしてる」
ヒュッと息を呑む。溢れ落ちる涙がお姉ちゃんの体に降り注ぐなか、周りの音が何一つとして聞こえなくなる。
「ぅえ……?あ、なん、で」
「だれよりも、なにより、も、あなたのこ、とが、せかいで、いちばん、だいすきよ……」
まるで本当にそう思っているかのように優しく笑うお姉ちゃんに、私は笑い返せない。
「しあわせ、に、なって、ね」
そう言ってお姉ちゃんは目を閉じてしまった。頰に添えられていた手がずるりと落ち、アスファルトに叩きつけられる。
「……あ、あっ、あっ、あぁぁあぇああああああああああぁぁぁぁぁぁあっ!」
泣き叫び、拳を地面に叩きつける私を周囲の人が押さえつける。強引にお姉ちゃんから引き剥がされた時、私の意識はパタリとなくなった。
それからのことはあまり覚えていない。ただ、警察からの事情聴取や、お母さんが泣きながら迎えに来てくれたことは覚えている。
そして、お姉ちゃんは死んで、ストーカーは生き残ったらしい。病院で噂話をしている看護師達が、そう言っていた。アイツはお金持ちの息子らしく、病院の特別室で護衛に囲まれ、療養しているらしい。
……なんで香織お姉ちゃんが死んで、アイツが生きてるの?意味がわからない。
人の口に戸は建てられない。噂話から、私は正当防衛になったこと、裁判が買収されそうで、アイツはそれほど長くは捕まりそうにないこと、この事件があまり広まっていないこと、そして、お姉ちゃんのお葬式が今日だと言うことを知った。
それを聞いた私は、こっそりと病院を出て葬式会場へ向かった。肩に下げてあるトートーバッグには、アイツを殺すために持ってきたけど、結局使わなかったカバー付きのナイフが入っている。
……次はいつ会えるのかな?それまでちゃんと持ち歩いておかないと。楽しみだな。
バスに乗り、携帯を開いてみると沢山の通知があった。友達などからも来てあり、一つ一つ確認していく。
……あ、獅王だ。
獅王も私に会いに来てくれていたが、連絡もしてくれていたらしい。内容は、『大丈夫?』だの『祷のせいじゃないよ』だの、私を心配することばかりだ。
……どう考えても私のせいでしょ。なんでこんなことばっか送ってくるのかな?
酷いことを考えている自覚はあるが、間違っているとは思わない。私を庇って死んだのに、私のせいじゃないなんておかしいと思う。でも、そういうふうに思っている人がいると知ると、ほんの少しだけ心が軽くなった。
……私のせいなことは変わらないけど、誠心誠意謝ろう。許してもらえなくてもいい。でも、ちゃんとごめんなさいってしないと。
お姉ちゃんとの結婚を楽しみにしていた京斗さんを思い出し、お腹がスゥーと冷たくなった。申し訳なさに、泣きたくなる。
でも京斗さんやお姉ちゃんの家族の方が、私なんかよりももっと泣きたいだろう。お姉ちゃんはいろんな人から愛されていた。きっとその人達は、私に怒っている。
ぎゅっと携帯を持つ手に力をこめて悶々と考えていると、葬式会場の近くでバスが停まった。
お金を払い降りると、ふわっと風吹き、髪がたなびいた。
……お姉ちゃんとおんなじ髪色、私のだと全然綺麗じゃない。
黒髪は比較的よくある色だが、あの人の艶やかな色彩の、思わず目で追ってしまう綺麗な髪と同色だとは到底思えない。お姉ちゃんは、私の髪が一番綺麗だと言ってくれたけど。
それに、瞳の色も一緒の金色だ。顔もよく似ているらしく、周りの人によく、「本当に血が繋がってないの?」と聞かれた。
……本当の家族ならよかったのに。そうしたら、無条件で一緒にいられたのに。
建物の中に入り、受付でお姉ちゃんの名前を告げると、一番奥の突き当たりですよ、と教えてくれた。
和風な廊下を歩き、待合室の扉の前に立つ。
ドクドクと心臓が早鐘のように身体中に鳴り響く。
……どうしよ、どうしよう。開けるのが怖い。
ブルブル震える手を抑え、恐怖ですくんだ身体を叱咤する。心を落ち着けるため、ナイフと携帯などが入ったトートバックを扉の近くに置き、大きく深呼吸をてからノックした。
「きっ、君影、祷……で、す……」
一瞬、シン……ッと無音になった。痛むお腹を抑えていると、すいっと扉が開いた。
「……へっ?」
開いた瞬間、ガシッと腕を掴まれ部屋の中に思い切りひきづりこまれた。バランスを崩し、床に強かに身体を打ち付けるのと、バタンッと大きな音をたてて扉が閉まるのは同時だった。
「……いっ、た……。あ、え、う……」
呻き声を出し顔を上げると、そこには能面の様な顔をして立っている京斗さんがいた。周りには、お姉ちゃんのお父さんとお母さん、そして三人の弟がいた。
「あっ……、ぁあ、あの!」
「……何?」
声も、空気も全部が冷たい。吸い込んだ酸素で肺が凍りそうになる。
じわりとわいてくる涙が溢れないように、ぐっと力をこめながら私はそのまま土下座をした。
「わ、私なんかを、庇ってっ、……、庇った、せいで、おねっ、香織姉、が、こ、殺さ、……っれて、ほんっ、本当にっ、ごめんなさいっ……!」
噛みまくって言った言葉はなんとも陳腐で、全く謝罪として機能していない。こんなのきちんと聞いてもらえるだけで御の字だ。
「……っ、ごめんなさいっ、ごめん、ごめっ、本当に、ごめんなさいっ、わ、わた、私っ……、私、のせいでっ……」
「……あぁ、本当にそうだよ」
今日会って初めて発せられた言葉に顔をあげると同時に、横から脇腹が蹴り上げられた。
「……ッグ!?」
何度か転がりようやく止まる。ゴホゴホと咳き込み、突然の痛みに困惑していると、頭上に影が落ちた。
「え、あ……、聡美さん……」
「……あんたのせいよ」
「え」
「あんたのせいよっ!」
お姉ちゃんのお母さんに、バシッと頬をビンタされる。頭で星がパチパチと煌めいた。
ビンタされたあとは胸ぐらを掴まれ、壁に思いっきり投げ飛ばされた。ドンッという音とともに身体に痛みが走る。
……いたい。
痛みに呻いていると、お姉ちゃんのお父さんである哲也さんがやって来た。こっちを睨みつけてくる目が恐い。
「もうすぐ、香織は、結婚する予定だったんだ。……こんなことになるはずじゃなかった!」
「いぎっ!?あ゛ぅっ……!」
メシリ、と何だか嫌な音をたてながらお腹を踏まれる。圧迫感と息のしずらさに涙が出てくる。
ようやく退けてもらったあとには、ゼーゼーと息が荒くなっていた。それでも痛みはまだやってくる。
今度は双子のうちの一人、淳太お兄ちゃんがやってきた。何も言わず、肩を掴まれ無理矢理立たされる。そして拳で殴られた。
「いぅ゛っ……、しゅ、しゅんたお兄ちゃ、……」
「うるさい!」
バゴっとまた殴られ、ドサリと尻餅をついた。たらりと鼻血が垂れてきて、ぽたぽたと床を汚す。髪を掴まれ、ドッと床に頭を叩きつけられた。
「なん、なんで、お前が、お前がっ!泣くんだよ!お前のせいだよ!さっさと死ねよ!」
ひぅっ、と喉の奥で上がった悲鳴を堪えた。ガタガタガタガタ震える身体は目の前の人たちが恐いと伝えてくる。
に、逃げなきゃ、逃げて、でも、コレって……。
振りかぶられた拳に目を瞑ると、「駄目だよ」と声がした。え、と思うと同時に両脇の間に腕が入り身体をガシッと拘束された。
「ひえっ」
「ほら、こうやってちゃんと固定して立たせないと、安心して殴らないよ?」
もう一人の双子の片割れである準太お兄ちゃんが私を立ち上がらせる。ゆらりと近づいてくる京斗さんから、私は逃げることができない。
「いっ……!?ゲホッ!ゴホッ……!ゔぅ……!」
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで、なんでなんだよッ!」
ゴリッと音がして口から歯が飛び出た。鼻血も止まらず、頭がクラクラする。
「うぅ……っ、や、め、やめ……」
「なんで?」
耳もとでねっとりと囁かれた声に、ビクッと身体をすくめる。後ろから聞こえてくる声に耳を塞ぐこともできない。
「……香織姉さんは祷のせいで死んだんだよ?なら、祷が殺したも同然だろ?祷を助けなきゃ、香織姉さんは生きてたのに。だから、これは祷への罰なのに、なんで嫌がるんだ?おかしいだろ?」
……あぁ、そうか。
すとんと何かが腑に落ちた。殴られたり、蹴られたり、罵られたりされながら私は考えた。
私なんかを拾ったから、香織お姉ちゃんは死んだ。
私なんかの面倒を見たから、香織お姉ちゃんは死んだ。
私なんかを助けたから、香織お姉ちゃんは死んだ。
なんだ。誰がどう見たって、私のせいじゃないか。考えなくてもわかるのに、なんで今まで気づかなかったんだろう。
痛い思いをしながら頭の中に入ってくる事実に、呪いのようなものを感じながら、耳を傾ける。
世界一特別な香織が死んだのはお前のせいだ。死んで償え。殴られて当前だ死ね。香織の友達もお前のことを憎んでいる。お前は皆んなから嫌われている。自分が優秀だから調子に乗ってたんだろ。香織の一番だなんて勘違いをするな。お前はもう香織から見放されている。さっさと死ね。いなくなれ。ふざけんな。ゴミが。生きている価値がない。なんでお前が。嫌い。謝れ。お前がこの世にいるから。存在自体が間違い。
「さっさと、死んで償えよ!目の前からいなくなれよッ!」
ぐわんぐわんする頭の中響く声に心臓がズキズキと痛む。視界の端に兄弟の中で一番下の依織お兄ちゃんが見えた。ゆっくりと手を伸ばしたが、ふいっとそらさらた。どうやら、関わりたくないらしい。
……ごめんなさい。
「ちょっと騒がし……、何してるんですか!?」
騒ぎ過ぎたのだろう、さっき受付にいた女性がやってきて血まみれの私を見て悲鳴をあげた。
「ちょっ……!ちょっと!先輩っ!先輩、来てください!……やめてくださいっ、何してるんですか!?」
すごい勢いでこっちにやってきた女性に、流石に怯んだのか、準太お兄ちゃんが私を離す。
支えを急に失ったことにより私の体はベシャリと床に落ちた。
「っぁ、はぁ、はぁ、ヴェ……いぐっぅ……っ」
「大丈夫!?……っこんな小さい子に何してるんですか!?さっきまでこんなんじゃなかったでしょう!?」
うっ、と睨まれた京斗さんがあとずさった。さっきまでの威勢はどうしたのだろうと考えていると、バタバタという音とともに扉から男の人が入ってきた。
「……なっ!?木蓮様!これはなんですか!?」
「あ、あの」
声をかけても聞こえていないのか、すごい剣幕で男の人は京斗さん達に詰め寄る。
「こんなになるまで殴ったのですか!?正気ですか!?警察を呼びますよ!?」
……え?
言われたことにヒュッと息を呑む。私は慌てて声をあげた。
「まっ、まって、まって!」
バッとこちらを向いた男の人が不可解そうな顔をした。ドキドキする心臓を押さえ私は言った。
「わ、私のせい、で、か……香織姉が死んだんですっ!だ、だから、こっ、れは!あたりまえの、ことなんです!」
「……はぁ?」
必死に言いつのる私に、京斗さんも便乗する。
「……そうです、コイツの、コイツ、が、ストーカーが、刺して、か、香織に、庇われたからっ!だから!死んで!コイツがっ!」
「ご、ごめ、っごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
ハッとしたように女の人が私の身体から手を離した。少し後退りそっと目をそらす。どうやらお姉ちゃんがどうして死んだのか知っていたらしい。男の人も黙って後退する。
「は、はやく!早く、出ていけ!二度と来るなっ!」
「……ひっ!あ、あの!そ、その、お、お花だ、けでもっ!添えさせてく、くださいっ!」
……お願い、これだけは、絶対に……っ。
「もうっ、香織に近づくな!」
バシィ、と思いきり叩かれた。女の人も男の人もこちらを見ようともしない。
「出てけっ、出ていけっ!」
「すいません、ちょっとこちらに……」
ぐぃっ、と引っ張られて部屋から出された。そのまま、別の部屋に連れていかれる。
外に置いてあったトートバックを無造作にわたされ、こう言われた。
「部屋から出ないでくださいね。お願いします。あと、悪く思わないでください。……だって、ねぇ?可哀想だとは思うけど、……お願いしますよ」
パシャリと扉が閉められる。呆然としていると身体中が痛いことに気づいた。
……ぜんぶいたい。
膝の部分は擦り切れて血が出ているし、腕も同じような状態だ。鼻血はまだ緩やかに出ており、唇の端が切れたのか、鉄の味がする。ついでに歯も欠けている。髪もボサボサだし、今は見えないが顔も悲惨なことになっているだろう。
「……い゛ぅっ!?」
ボーっと考えているとお腹が異様に痛いことに気づいた。そっと、服を捲ると鬱血した箇所が多々あり、目を背けたくなるような状態だ。
……もしかして、肋骨折れた?
内臓に刺さっていなくて良かったと思うべきなのか。ズキズキズキズキするお腹が、逆に頭を冷静にしてくれる。
……もうやだ、死にたい。生きてたくない。
ハッとした。そうだ死ねばいい。京斗さん達も言っていた。私のせいでお姉ちゃんが死んだなら、私が死んで償うべきだ。それに、あの人がいない世界なんていらない。
でも本当に?、と声がする。貴方だけが全部悪いの?、と。
……そうだよ、だって。
「じゃなきゃ、なんで、こんな目に、会わないといけないの?」
痛いことなんて好きじゃない。嫌いだ。大嫌いだ。私が全部全部悪いから、こんなに痛い思いをするのだ。そうでなければ、何故こんなに苦しい思いをするのかわからない。それに、なんでお姉ちゃんが死なないといけないのかも、理解できない。
ハハッと乾いた笑いとともに私は携帯を取り出す。皆んなに最後の連絡を送ったあと、そこら辺に放り投げ、ナイフを持った。
震える手が、きつく握りしめて白くなった指先が、死ぬことへの躊躇いと恐怖を表している。
……でも。
大きく振りかぶり、お腹に突き刺す。ぐふっ、と変な声を必死に抑え、引き抜き、また突き刺す。
痛くて痛くて堪らなくてもがむしゃらに刺しまくっていると力が入らなくなった。
「……っぁ」
バタリとその場に倒れる。ズクンズクンと身体中に音が鳴り響く。刺したところは、熱くて、痛い。クラクラするし、ぐわんぐわん頭が回る。
……よかった、これで。
どんどん暗くなっていくなか、私はお姉ちゃんに懺悔する。
恩を返せなくてごめんなさい。私が死ななくてごめんなさい。庇わせてごめんなさい。生きててごめんなさい。痛い思いをさせてごめんなさい。泣かせてごめんなさい。助けてもらってばかりでごめんなさい。約束守れなくてごめんなさい。好きってもっとたくさん言えなくてごめんなさい。
あぁ、なんでもっとちゃんと好きって言っておかなかったんだろう?
どれだけ沢山言ったって全然まったく足りないくらい愛してるのに。
大好きで、大切で、世界一愛している人の死は、クソ野郎共のせいで軽々しく扱われる。そんなの許せない。
……もし、まだ、私が生きるなら。
あのゴミ共を生きたまま地獄に叩き落としてやる。死んで償うなうで許せない。絶対に絶対に自らがした過ちを後悔させてやる。
……でも。
ボロボロボロボロ涙が溢れる。だって、きっと嫌われた。こんなこと思ってるのに、私自身が死んで償おうとしている。なんて罰当たりで愚かなんだろう。
あの時、誰かに助けて欲しかった。いつも苦しくて死にそうな時、助けてくれたのはお姉ちゃんだ。でも、今その人は私のせいでいない。私を助けてくれる人は、もういないのだ。
でも、でも、でも、それでも、
ゆっくりと瞼を閉じる。思い出すのはお姉ちゃんと過ごした穏やかで暖かな日々。
……せかい、で、いちばん、あいし、てます、……。
ふわっと意識が遠のく。視界の端に金色の瞳が見えた気がした。どこからか響く悲鳴も後悔の言葉も、もう私の頭には入らない。死んでいるからだ。
こうして、私、君影祷の人生は幕を閉じた。十四年しか生きられなかったが、お姉ちゃんと出会えたことはかけがえのない思い出だ。まあ、あのクソ野郎共は許さないけど。
クソ野郎共への憎しみとお姉ちゃんへの重すぎる愛情を募らせていた私は、これから先どんなことが起こるのか、まだ知らない。
お読みくださり、ありがとうございます。
とうとう始めてしまいました。できるだけ毎日更新したいです。
シスコンな祷をよろしくお願いします。