第10話 この映像は実に良い
ここは階層主が迷宮の攻略をする冒険者達を迎え撃つ場所として、大きな空間がとられていた。
蒼穹聖職者が発動している『フィールド属性』により、地下2階層内であるにもかかわらず、高い天井には『青空』が広がっており、アリーナ状の設計された部屋が昼間のように明るく照らされていた。
室内な静まり返り、換気のために流れる風が冷たく感じる。
俺は腰が抜けてしまい、土で固められた地面に尻もちを付いたままの体勢から動けないでいた。
更に付け加えると、全身の毛穴がゆるみきっており、不覚にも小便を漏らしてしまっていたのだ。
そのズボンには、濡れた痕跡がしっかり残っており、美少女である奈韻が、汚い物を見るような視線を俺に送ってくれていた。
有難うございます。
『ご褒美』をいただきました。
だが、俺の欲求はこんなものではない。
満足度はまだ1%くらいのもの。
俺は命をかけて迷宮を護ってきたんだ。
まだまだ、『ご褒美』を貰っていい権利が俺にはあるはず。
そう。俺はまだまだまだ絶対に死ねないのだ。
俺は、正騎士候補達と戦うべく、闘技場内の中央へ向かってゆっくりと歩いていく美少女の後ろ姿を眺めていた。
この映像。実に良い。
線が細い背中に、後ろで束ねている長い黒髪が、馬の尻尾が揺れるようリズミカルに跳ねているのだ。
もう一度言っておこう。実に良い映像だ。
長くまとめられている黒髪が、ピョンピョンと揺れる姿はまさに神様からの贈り物。
砂漠を放浪し意識朦朧としていた際、オアシスを見つけた時の気分だぜ。
だが実際には、そんな経験はした事がないのだろうがな。
とにかくだ。乾ききった俺の体に、生命の元となる生きる活力が補給されていく。
この映像は脳内に永久保存させてもらいました。
俺が生まれてきた意味がここにありました。
奈韻様。有難うごぜぇます。
その美少女の両手には『魔銃』が握られていた。
職業は『銃士』。
この時点でその戦闘力はLevel30以上が確定する。
老練なる人狼は、黒髪令嬢に対し2m以上ある体を丸め、膝を地面に付き頭を下げていた。
人狼は、Level29の正騎士候補達と戦闘中であるにもかかわらず、無防備な体勢をとっていられる理由とは。
おそらくそれは、奈韻が正騎士候補達を圧倒する戦闘力をもっているからで間違いないのだろう。
黒髪令嬢のLevelは、もしかしたら『40』近くあるのではないかと俺は推測していた。
闘技場内には、純白の装備品で武装した正騎士候補の4人が立っていた。
全員がLevel29で『ネームド職』であることより、Level30と同等の実力があると考えてもいいような奴等だ。
・黄金聖盾 Level29(D+)
・蒼穹聖職者 Level29(D+)
・龍狩槍使Level29(D+)
・雷剣士 Level29(D+)
これまで余裕綽々にしていたそれとは違い、表情を強張らせ身構えている。
奈韻のことを自分達と同格、もしくはそれ以上のLevelの者が『銃士』であるという事実が、正騎士候補達を警戒させているのだ。
処刑台に立たされているような気分になっているのだろうと予想がつく。
マジで、腹の底から笑いが込み上げてくるぜ。
虎の威を借りる狐ということわざがあるが、その言葉の意味を、身をもって実感する。
奈韻の恐怖から解放された俺がようやく立ち上がった頃。
切断された両腕の治癒が終わった黄金盾士が、地面から起き上がり、大きな声を張り上げてきた。
「第一級戦闘体勢だ。密集体系をとるんだ。」
他3人と正騎士候補達がその声に反応し、一斉に動き出す。
停止していた時間が動き出した感覚だ。
一気に緊張感が高まっていく。
奈韻はいうと、一定の距離まで詰めると足をとめ、静止していた。
両手の『魔銃』は下げたまま。
相手が体勢を整えるのを待っているかのようだ。
戦術的にいうと、ここは先制攻撃を加えるのが鉄則だ。
そう。『銃士』にはそれができるはず。
おいおいおい。もしかしてだけど、奈韻は戦闘経験に乏しい戦いの素人ではないかという疑惑が生まれてきたぞ。
この状況。かなり不味くないか。
人狼が黄金盾士に勝利したように、油断していたらLevel差の違いなんて、簡単にひっくり返される。
戦いとは決して油断をしてはいけないものなのだ。
いまだに無防備にしている黒髪麗嬢を見ていると不安がどんどん大きくなってくる。
とはいうものの、奈韻が恐ろし過ぎて、村人Aのような存在である俺には、アドバイスや叱咤するような勇気は当然ない。
正騎士候補達はというと、2mを超える体格をした黄金騎士が自身の全身が隠れるほどの大盾を構えると、その背後に3人の正騎士候補が集まっていた。
密集体系とは、防御に優れ、敵の包囲網を突破することに適した陣形。
個人を相手に敷くようなものではないのだが、黒髪の魔人から発せられる圧力が、奴等にそう選択させたのだろう。
正騎士候補達から、奈韻への対策に関する情報交換が交わされる声が聞こえてくる。
「あの女が両手に持っているもの。あれは『魔銃』なのだろうか。」
「そうだ。『魔銃』と考えて間違いない。」
「やはり『銃士』ということか。」
「この中で誰か『銃士』と戦ったことがある者はいるのか?」
「いや。俺はない。」
「かなり特殊な職業らしいからな。」
「話によると、発射される『魔弾』の速度は、人が回避できるものではないと聞く。」
「『銃士』か。対人戦の特化した職業だという話だぜ。」
「魔弾の貫通力はLevel30の『C』級にまで達するらしいぞ。」
「俺は、今しがた光の障壁を展開させた。お前達。この障壁内から、絶対に出るんじゃないぞ。」
「その障壁。大丈夫なのか。」
「Level30以上の攻撃に耐えられることが出来るのかよ。」
「その件なら心配ない。今、このフィールドは俺が支配しているからな。黄金盾士が発動している結界は、俺の『バフ』の効果により、Level40の者からの攻撃にも耐えられるほどに防御力は上がっているはずだ。」
盾から発せられる光のオーラが正騎士候補達を包み込んでいる。
そのオーラには『フィールド属性』を発動している蒼穹聖職者が『バフ』を掛けているということか。
そして人類の最高到達点の言われるLevel40の攻撃を跳ね返すって、実質的に攻略が不可能だということになる。
その話。本当なのかよ。
だとしたら、奈韻に勝ち筋は無いってことになるではないか。
ボーっとした様子で見ている奈韻を見ていると、策があるようには思えない。
何だか、物凄く不安になってきた。
これは俺達に敗北フラグが立ってしまっているんじゃないのか。
俺の経験則に当て嵌めると、奈韻の状態は至極危険。
格下相手に足をすくわれる雰囲気がプンプンとにおってくる。
落ち着いてきた様子の騎士候補達が、敵に攻略法について話しをつづけていた。
「俺の『鑑定』が無効になったことを考えると、あの女のLevelは『30』以上だと思って間違いないだろう。」
「どちらにせよ。女は『銃士』だ。その時点でLevel30以上は確定している。」
「展開させている結界内にいる限り防御については完璧だ。俺達の安全は保証されているということだ。」
「となると、あの女をどう攻略するかだな。」
「おいおいおい。俺のことを忘れていないか。一対一の対人戦なら、俺に任せるっていうのが王道だろ。」
1番背が低く、軽装備で浅黒い肌をした男が前に出てきた。
奴はLevel29の雷剣士だ。
容姿のレベルも背丈も、俺のスペックの比べてさほど変わらない。
にもかかわらず、どうして自信満々な顔つきをしているんだ。
お前。こちら側の人間なんじゃないのかよ。
上位カースト達が醸し出す、独特の嫌なオーラを漂わしている。
もう一度言う。底辺の住人である俺のスペックとはさほど変わらないくせに、マジでムカつくぜ。
軽装備の男は、鞘から剣を抜くと、蝶が舞うように軽いステップを踏み、闘技場内を動き始めた。
速いというよりも、機敏だ。
楽に動いているように見えるが、その動きは既にに速すぎる。
そして、戦闘前にお馬鹿が絶対にする定番の自己紹介を勝手に始めてきた。
「俺の職業は雷剣士。だからといって雷を使う魔法剣士というわけではない。じゃあ、どうしてそう呼ばれているか教えてやる。見てのとおり、俺は雷のように速いんだよ。対人戦において最も大事な能力は『速』だ。バフの効果もあり、今の俺は、速値が50を超えている。」
軽口を叩きながら、奈韻の周りをローリングしている。
マジか。速値が50超えだと。
俺の5倍以上の数字じゃないか。
細かく変則的な動きをしていることもあり、既に一瞬その姿が見えなくなることが何度かあった。
奴のいうとおり、速値は対人戦において最も重要度が高い。
つまり、罠を仕掛けるとか何か対策をとらなければ、奴に通常の攻撃は当たることは無いだろう。
それほどまでに素早いと見て分かる。
浅黒い肌の男にいたっては、奈韻を倒してしまいそうな気配が十分ある。
雷剣士の戦闘力は相当やばい。
俺の横でその様子を眺めている人狼には、特段焦る様子は見られない。
俺と違い、黒髪麗嬢に不安要素がないように見受けられるのであるが、マジで大丈夫なのかよ。
奈韻に関しても、何ら焦る様子はなく両手に持つ魔銃は下げたままだ。
その様子に違和感があったのか、軽快に動く雷剣士は更に自身の強さについて説明を続けてきた。
「対人戦でいえば、おそらく俺は世界最強。人類の最高到達地点と言われているLevel40の者でさえも、倒すことができる男だってことだ。」
その言葉を聞いていた人狼が笑っている。
おいおいおい。なんで笑っていられるんだ。
普通に考えて、速値『50』超えの奴に勝つことは出来ないだろ。
いくら『魔弾』が速いといっても当たらなければ意味がないはず。
そう。照準を絞るどころか、引き金を引く間もなくやられてしまうのではなかろうか。
おそらくだが、雷剣士は『銃士』にとって最悪の相性だ。
奈韻と人狼は、対人戦において『速』値が最も重要性であることを分かっていない可能性がある。
だからといって、俺がどうこう出来る次元を遥かに超えており、それでも何かアドバイスすることがあるとすれば、油断大敵みたいな言葉しかないだろう。
その時である。
奈韻が『魔銃』を構えないまま、耳を疑うような言葉を口にした。
「自分のことばかり、話しをする男。自慢話ばかりをする男。それは女にもてない男の典型だよ。君はその代表のようだな。」
え。そうなのか。
それは俺の認識と全然違うぞ。
女は面白い男が好きだって言うじゃないか。
男が喋り、女は媚びへつらいながらそれに笑顔で相槌をうつっていう関係が、世界共通の理想のはず。
奈韻の言葉を聞き困惑していた俺を置き去りにして、軽いステップを踏んでいた雷剣士の姿が消えた。
次の瞬間。
―――――――――雷剣士の体が、奈韻の足元、地面にめり込んでいた。
続けて大爆発が起きたような轟音が鳴り響き、その衝撃波に俺の内蔵がブルブルと震える。
地面には、蜘蛛の巣のような割れ目が走り、粉塵が、舞い上がってきた。
訳がわからない恐怖に襲われた俺は、両手を地面につき周囲を見渡していた。
一連の動作は全く見えなかった。
結果だけ見ると、攻撃を仕掛けてきた雷剣士の体が奈韻の足元の地面にめり込んでいたのだ。
つまり、特攻を仕掛けたものの、黒髪の美少女にあっさりと地面に叩きつけられたのだろう。
雷剣士は白目をむき、戦闘不能に陥っている。
奈韻はというと、何事もなく立っていた。
そう。何事もなく超余裕そうな感じでだ。
人狼についても、全く驚いた様子はない。
訳が分からない。
だが、一つ確信したことがある。
奈韻には絶対に逆らってはいけないということだ。
俺の本能は間違えてなかった。
それにしてもだが、雷剣士の奴。
可愛すぎる美少女に投げ飛ばされた感想はどうなんだろう。
至福の喜びを感じているのだろうか。
俺が『ご褒美』について考え始めていると、隣に立っていた人狼が、一瞬で終わった戦いについての疑問を口にしていた。
「陛下の両手には『魔銃』が握られたまま。どうやって、あの男を地面に叩き付けたのだろうか。」
確かに奈韻は両手に『魔銃』が握られたままだ。
どうやって地面に叩き付けたかは謎である。
だが、それは、さして重要なことではない。
一般的な男が気にするところは、そこじゃない。
人狼は、俺達平民とは視点が違う。
あの映像を見せられた時、普通に気にするところといえば、美少女に地面に叩き付けられたことが『ご褒美』に該当するのか、どうかである。
俺としては、やはり踏まれるのが最高だ。
蹴られるのも、罵倒されるものいい。
地面に叩き付けられるのが有か無しかと言えば、無しの方だ。
雷剣士の奴もどうせ倒されるのなら、蹴られたかっただろうに。
俺が言うのも何なんだけど、残念だったな。