不和
勝利の余韻に浸るのをやめ、倒れた男たちを見ながら思案する。
全員まだ息はあるみたいだけど、このまま放っておくわけには行かないな。
「なあ? こいつらの処遇、どうするんだ?」
身体の主からはすぐに返答が来た。答える前から決まっていた様だ。
(この辺りに衛兵が詰めている街があったら、そこへ引き渡すのが一番かんたんだけど……)
ふむ? そういう警察官みたいな役目の奴もいるのか。
(この森の周辺を上空からみた感じじゃその選択肢はにゃさそうにゃ。……メツ。あそこの木。弦が伸びてる。あれを引きちぎってたくさん集めるにゃ)
身体の主は何処かの木を指している様だが、相変わらずどれか判然としなかった。
指も目も僕の意志でしか動かないから良く分からないんだよな……。
あ! あれか!
少し離れた位置にあった木に、それらしき物を見つけたのでそちらへ向かう。
「ふんっ。ふんっ!」
樹上によじ登り、枝を足場に掛け声と共に弦を引きちぎりまとめて行く。
猫の身軽さはこういう所で役に立つ。地球にいた時に、木登りなど一度もした事がなかったが難なく枝へ上がれた。
まあ、猫ニンゲンであって厳密には猫様ではないんだろうけど!
(メツ。女の子にゃんだからもうちょっと可愛い声を出すにゃ)
苦言が来たが、無視して作業を続ける。一本の木から取り尽くしたら他の目立つ木も回った。しばらくして十分と思われる量の弦が集まった。恐らく、これであの男たちを縛り上げるつもりなのだろう。
短い分はお互いに結び付けてつないでしまうか。
「結構ふとくて堅い弦だったけど、簡単にちぎれたし、手も怪我をしてない……。お前の身体、丈夫なんだな……」
先ほどの戦闘でのパワーやスピードにも驚いたが、細くしなやかで柔らかそうな手指なのに、皮膚は鋼の様に頑丈だとでも言うのだろうか?
身体の主からすぐさま反論が来る。
(にゃあ! メツ! 女の子がそんな事を言われて嬉しいと思ってるのにゃ!?)
まあ、それは置いといて、あいつらを縛るんだろう? ……でも、今は生きてるとはいえ、ここに縛って放置したらいずれ死ぬんじゃ……?
身体の主はこちらを咎める様な口調になった。
(メツ。あいつらのやって来たこと……。口走った内容からも何とにゃく想像できてるにゃ? それでも、あいつらに生きてる価値があると思うにゃ?)
返答しづらい問いを躊躇なくぶつけて来る。声には苛立ちが感じられた。
いや、いきなり価値とか言われても……。僕はただ、人の命にそんなに簡単に裁定を下していいのかって思って……。
(メツの世界ではそうかも知れないにゃ。でも、ここは違うにゃ。とても残酷にゃ世界にゃんだよ? 倫理にゃんて言葉の意味が書き換わってしまうくらいに。)
しばし沈黙する。身体の主は憤慨している様だ。本当は今すぐにでも奴らを殺してしまいたいのかも知れないが、僕が主導権を握っているために出来ないのだろう。
もし反対の立場だったら僕は止める事も出来ずに、男たちが殺されるのを黙って見ているしかなかったのかも知れない。
(メツ。はっきり言って、にゃあはあいつらを許せないし、今すぐにでもトドメを刺したいと思ってるにゃ。でも、メツがにゃあの身体を動かしてるから、そんな事をしろとは言えにゃいにゃ。縛って放置するのは、最大限の譲歩にゃんだよ?)
確かに縛り上げて、放置するだけなら良心もそれ程いたまないかも知れないな。地球での常識を引きずる僕には、他の選択肢は重すぎる。
分かったよ。今すぐ縛り上げよう。
男たちの両手、両足を手首と足首の部分でつないできつく縛り上げる。気絶した身体を動かした時に、半裸のバカの腹部と背中に酷い痣が見えた。これは、突き飛ばした時の打撃と木の幹に打ち付けた痕か……。
触った時に、まだ温かかったし呼吸も感じた、間違いなく生きているのだろうが。普通のニンゲンだったらもう死んでるかもしれないな……。
さらに膝同士も結び、腕と胸部もつないでがんじがらめにしていく。指示された訳ではないが、一つの懸念があったため手を緩めずに対応する。
(それくらいでいいにゃ。じゃあ、三人ともあのおっきにゃ木の幹に縛り付けて終わりにゃ!)
なあ、一つ気になってたんだけど、こいつらが変身すると身に着けてた鎧も壊れちゃうくらいなんだろう? 弦が切れたりしないかな?
(大丈夫だよ。変身には身体エネルギーをたくさん消費するから、今の重傷を負った状態じゃ無理にゃ! 特に、現れた時に、既に一回、変身してたそのバカにはまず無理だし、他の二人も心配はいらにゃいと思うにゃ!)
木に縛り付けながら、答えを聞く。
それなら大丈夫かな? よし、縛り終えたぞ。
(こいつらが助かる可能性があるとしたら、他に仲間が居て、身を案じて探しに来た場合……。それくらいかにゃ。……もう叫ぶ体力も残っていにゃいだろうけど、匂いでにゃら探せると思うにゃ)
なるほど。じゃあ僕らは早くここから離れた方がいいのか?
(可能性としてはにゃくはにゃいけど――、そんにゃに焦らにゃくてもいいと思うにゃ)
なら聞きたい事があるんだ。いいかな?
ここで目覚めた時は、何がなんだか分からなかったが、落ち着いてみたら様々な疑問が頭の中を飛び回っていた。
(いいよ。にゃんにゃ?)
そもそもお前は、何が目的なんだ?
唐突な問いに困惑を隠せない様だ。
(にゃんにゃ? メツ。飛躍しすぎで要点が分からにゃいにゃ。にゃ? にゃあのにゃまえにゃらもう言ったにゃ?)
いや、名前とかじゃなくて、地球に居た僕が何故こんな場所でお前の身体の中にいるのかと、お前のここでの目的とか経緯を知りたいんだ。
沈黙が続いた。身体の主にとっては、あまり話したくない内容なのだろうか? やがて、重い口が開かれ、涙を滲ませた様な鼻声になっていた。
(うううう。メツ。にゃあは、にゃあはメツを殺してしまったのにゃあ! にゃあああん!)
最後は泣き声の様だが、わざとらしい猫アピールのせいでまったく重大さが感じられない。……ふざけている訳ではないのだろうが。
何だって!? 見逃せない発言だ! そんなにゃあああん何かで誤魔化されないぞ!
全て答えてもらおうか!
身体の主は呼吸を整える様に、少しずつ話はじめた。
(そもそもにゃあがメツの世界。地球に行ったのには、とても重要にゃ目的があったのにゃ)
そんな風に言うからにはやっぱりここは地球じゃないのか……。薄々かんじてはいたけど。
身体の主は泣きだしそうな声音で続ける。
(にゃあは人と猫の姿を行き来しながら社会に溶け込み、地球でしばらく暮らしていたのにゃ。……その目的は、にゃあの祖国を救ってくれる勇者を探す事だったのにゃ)
勇者!? これまた現実離れした言葉だな。……それで、みつかったのか? そいつは?
(見つかっていたにゃらその人と一緒にいるはずにゃ。メツは見かけたかにゃ?)
い、いや。
声からは落胆が感じられた。
(そうにゃ。……どれだけ時間が経ってもメツの世界で勇者にゃんてみつからにゃかったのにゃ。悲嘆にくれたにゃあは、あの日、にゃあの世界へ帰る決心をしたのにゃ……。その時だったにゃ――)
そこで一度、言葉は切られてまた沈黙が続いた。
やがて、震える言葉が細々と紡がれていく。
(元の世界に帰るには、超加速して転移門を開ける必要があったにゃ……。にゃあは、にゃあは――その加速の途中でメツを轢いてしまったのにゃ!)
ああ!
瞬間に、ここへ来る前の出来事が稲妻の様に、頭をよぎった。
あの小さな影! あれが、僕の頭にぶつかって! それから――!
「この世界へ来ていた……」
身体の主は心から申し訳なさそうに続けた。
(そうにゃ。その事故でメツの肉体は死に。魂は転移門ににゃあの魂と融合した状態で呑まれたのにゃ。それで、気付いた時には、にゃあ達の魂は身体を共有していたにゃ……)
呆然とする。言葉の意味も理解できなかったが、自分の肉体が死んだという事実だけは心を引き裂く鉤爪の様に、深く食い込んでいた。
でも――。
「はっきり言って、色々と実感が湧かないな。何せ、僕の意識は確かにここにある。魂が残り、肉体が滅んだって、現実離れした表現が飲み込めないんだ」
身体の主はこちらの真意を探る様に、言葉を続ける。
(にゃあ? じゃあメツ。にゃあの事を許してくれるのにゃ?)
それとこれとは話が別だ。それに、そんなに都合の良い事がある訳ないだろう?
(にゃ、にゃあ!?)
何せここは『残酷にゃ世界』――何だろう?
だったらそれ相応の処罰をしないとなぁ!
(にゃあ!? にゃにをするのにゃあ!? 許してにゃあ!?)
うるさいぞこの人殺しめ!
(にゃ! にゃあ!?)
大体、さっきから気になってたけど、何だこの服は! なんで見せびらかすみたいに胸の上部が開いてるんだ!? 非常識だろう! だからあんな奴らに絡まれるんだ!
(え、メツ。にゃに言って――にゃあ!?)
こんなものこうしてやる!
これ見よがしに開け放たれて、はみ出した脂肪を思い切りつねる。
(にゃあああ!? にゃ、にゃにして!? 痛いにゃあ!?)
こいつめ、こいつめ! これでもくらえ!
向ける先のない絶望、憎悪、怒りと言った感情をその脂肪に叩きつける。
(にゃあああ!?)
身体の主の悲愴な声が響き渡る。
ふぅ。こんなとこかな。
(にゃ、にゃ、にゃにするのにゃあ……。大体メツも身体を共有してるのに、痛くにゃいのにゃ……。ぐすっ)
あれ? そういえば、触覚はあるのに痛みを感じない……!?
今も自分の身体を触った感覚はあったが、無痛だった。
痛覚が消えてる!? おかしいぞ? 初めてこの身体で目覚めた時にはあったはずなのに!?
(にゃにそれ……。こんにゃ恐ろしい男に痛覚がにゃいにゃんて……!! にゃ、にゃあは絶望の未来を予見したにゃ……!)
僕を何だと思っているんだ……! 自分は人殺しのくせに……!
和やかな雰囲気も、先ほどの勝利への喜びも完全に消え失せていたが、不思議と鬱憤は晴らされた気がする。
「まあいいさ。今は、こうしているしかないんだ。ふふん。今だけお前の事を許してやる」
身体の主はその言葉に安堵したのか。緊張感が僅かに緩んだのが声から伝わって来た。
(それでいいにゃ。今すぐ全部ゆるして欲しいとは言わにゃいにゃ……。でも)
その後の言葉はなかった。
「ひとつだけ確かめておきたいんだけど、地球には帰れるのか?」
すぐに肯定が返ってくる。先ほどの話に出ていた、転移門とやらで行き来できるのだろうか?
(にゃあの姿でも良ければ帰る方法はあるよ……。でも……)
な、何だ? その沈黙は――?
(世界をまたいだ転移門の使用には膨大にゃ魔力がいるにゃあ。自然に充填されるのを待てば、百年はかかるにゃ……)
唖然とする。こいつの身体なのが癪に障るが口を開けたまま硬直してしまった。
「それじゃ、全然いみないだろ!? そもそもお前は百年も生きてられるのか!?」
身体の主は言葉を濁し、はっきりとは答えない。何か言いたくない事情がある……か?
(ニャルヴの秘密に関わる話にゃ、メツ相手じゃ話せにゃいにゃあ)
くそ、僕を殺したくせに! ああ、でも今、怒鳴り散らしたって結果は変わらないか……。
「いいよ。僕が信頼に足る人物だと証明すればいいのか? そうすれば話す気になるか?」
不審そうな疑いを隠さない声音が続く。
(にゃあの身体をつねって喜ぶ人を信頼にゃんて出来にゃいにゃ!)
くそ! ここは、肯定してとりあえず合意する所だろ! 大体、さっきの感情の原因を作ったのはお前のくせに!
(いいにゃ。メツと分かりあえにゃくても、にゃあは困らにゃいにゃ! べぇぇ)
先ほどの許しを求めた時のしおらしい雰囲気は何処へ行ったのか。舌を出して挑発しているつもりなのか。
前途多難を予感させるが、不和があろうが、ここで立ち止まっている事は出来ない。
ふひひっ。幸いこれは僕の身体じゃないからなぁ。問題の解決のためにいくら酷使したって、痛くもかゆくもない訳だ……!
(メツ! 聞こえてるにゃ! わざと言ってるにゃ!?)
その問いを無視して、提案をする。
「なあ、さっき空に跳び上がった時に、幾つかの建物が見えたけど、一つだけ小さな集落みたいな場所があったろ? あそこに行ってみないか?」
突然、何かを思い出した様な、驚いた声が聞こえる。
(そうだったにゃ! メツ! にゃあ達は今どこにいるのかも分からにゃいんだったにゃ!)
何だって!? 初耳だぞ!?
(転移の時の事故のせいか、本来でるはずの場所に帰れにゃかったみたいにゃ。まずは転移門の神殿がある、にゃあの祖国に帰る必要があるにゃ!)
ああもう! 全部おまえのせいじゃないか!
ここで頭を抱えてうずくまっても、こいつを責めて怒鳴り散らしても、どちらもいい結果は生まない。冷静になれ。それに、口喧嘩しても全部、自分の中で終始してしまうのは、何とも言えず滑稽だ。
(う、うるさいにゃ! メツのせいにゃ! ……でも、あの集落を目指すのは賛成にゃ! ここが、何処かを知るために情報がいるにゃ)
決まったな。善は急げだ。さっき跳び上がった時に、見えたのはあっちの方だったか? 森が続いているのなら目印がないと道に迷うかな?
(大丈夫にゃ。にゃふふぅ。……実はメツには秘密にしてたけど、身体の中ににゃあにも操れる部分が一つだけ残ってたにゃ! それを使えば、道に迷う事はにゃいにゃ!)
驚愕の事実を告げられる。僕の意志で動かせない身体の部位が存在するのか?
何だって!? ま、まさかそれを使って僕を陥れるつもりなんじゃ!?
(にゃふふ! それは秘密にゃ。メツも首を洗って待っているといいにゃ!)
問題は山積みで、心が軽くなる様な明るい話題もない。しかし、前に進むためには行動するしかなかった――。