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美酒

 ざわめく低木を呆然と見つめていたが、思い出した様に、おもむろに立ち上がる。するとまた身体の主が話かけてきた。


(メツ、あんまり期待はしてにゃいけど、君の世界での体育の成績は幾つだったかにゃ?)


 何だよ、不躾に。失礼にゃ奴だにゃ。


(似合ってるにゃあ。とか言ってる場合じゃにゃいのにゃ!)


 三だよ三。当たり障りないだろう?


(ほんとにゃ?)


 くっ……! 二だよ、悪かったな! 運動には興味ないんだ! あ、猫様の運動には興味あるけど……!


(はあ、やっぱりついてにゃいにゃあ)


 心から残念そうな声が頭の中に響き渡る。

 お前、身体の主だからって言って良い事と悪い事があるぞ?


(あそこでガサガサやってる連中が手に負える相手にゃ事を祈ってるにゃ)


 間を置かず、枝葉をかき分けて一人の男が姿を現した。

 その両目がこちらを捉える。


(メツ。まだいるよ。あそこと、あっちからも音が聞こえてるにゃ)


 そう言われても、身体は動かないからどの辺りを指しているのかいまいち分からない。目の前の男は身長は百八十センチくらいだろうか? 僕より十五センチは高い……! いや、待てよ。癖で自分の身長と比べて測ろうとしていたけど、こいつの身体だと大きさが分からないぞ!


(にゃんにゃ? メツ。相手の大きさが分かるとにゃにか良い事があるのにゃ? まあ、にゃあの背丈はメツとあんまり変わらにゃいと思うにゃ。……これで満足かにゃ?)


 お前、何処か険があるな。僕を良く思っていないのは当然かもしれないけど、今この状況でそんな態度でいていいのかな?


(にゃ? この緊急事態ににゃにを言っているのにゃ!?)


 ふひひっ。さっきみたいにこの脂肪とかをつねったり、出しちゃいけないとこに手を伸ばしちゃうぞ!


(にゃ!? こんにゃ非常識にゃヘンタイだったにゃんて、一生の不覚にゃ)


 ふん、言っておくが、僕はニンゲンの胸の脂肪になんて興味はない!


(にゃあ!? 断言しちゃうのにゃ!?)


 だけど、イタズラするとお前にダメージがあるのなら喜んでしよう!


(くっ! ヘンタイにゃあ! 心からそう思うにゃあ! こんにゃ男に身体の主導権を握られるにゃんて、にゃあはにゃんて不運にゃのにゃ……。しくしくにゃ)


 何とでも言え。僕の意志は石よりも固い。


 それよりも目の前のあいつ、服の上に何か色々と付けているな。腰には何かぶら下げてるし。


(メツの世界じゃ見慣れにゃいものかにゃ。あれは革製の鎧だにゃ。腰のは短めの剣みたいだにゃ。一見すると冒険者風の身にゃりだけど……)


 そこで言葉は途切れる。何かあるのか?

 男はゆっくりとした足取りでにやついた表情を崩さずこちらへ近づいてくるが、視線は不審者の様に揺れ動く。

 うん? あいつ、こっちの胸と顔を交互に見てないか?


(はあ、あいつはメツと違ってにゃあの魅力に気付いているみたいにゃ。ちっとも嬉しくにゃいけど)


 魅力って、嫌らしい目で見てるって事か……!

 男はおもむろに立ち止まり、余裕ぶった態度を崩さずに両腕を開いて見せた。


「こんにちはぁ。美しいお嬢さん。こんな所に一人でいたら危ないですよぉ? 良かったら僕たちが街までエスコートしてさしあげましょうかぁ? くくっ」


 その言葉を合図にしたかの様に、左右の茂みからも二人の男が現れた。

 いや、右側の男。随分とワイルドと言うか……。まるで獣みたいな外見だぞ!? 出てきた時に、左の男は身体についた葉を払ったが、右はそのままだ。外見には無頓着なタイプか。


(下卑た嫌らしい声にゃ、聞いてるだけで吐きそう! ……それに、酷い匂いがするにゃ! メツ! こいつらは多分、狼族ウルヴィンにゃ。匂いで分かるけど、右側のバカは姿も隠し忘れてるみたいにゃ!)


 そのバカは、長く伸び始めた口元から涎を垂らしていた。それが、地面へと伸び、途切れて落ちた。

 うわぁ。あれは引く。僕でも。落ちた位置に生えてる草が可哀想だ。


(いいセンスしてるにゃ、メツ)


 最初に話した真ん中の男は、右側の半狼のバカを叱りつけた。


「お前! お嬢さんが怖がってるじゃねぇか! 身なりはきちんとしとけって、いつも言ってんだろうが! そのなげぇマズルしまえバカ!」


 うわぁ。仲間にもバカって言われちゃってるよ。何かちょっと可哀想だな。

 ほぼ狼型の獣人へと変身していた男が、目の前で怒鳴りつけられる姿を少しだけ気の毒に思う。左に位置したもう一人も真ん中と同じ様な格好だが、細部が少しずつ違う様だ。そいつはにやつきながら叱られるバカの様子を眺めていた。


(メツ。あんにゃのに同情しにゃくてもいいにゃ! あいつらはまとめてにゃあ達の敵にゃ!)


 そうなのか? 敵って事は……。

 ここで一つ悪い想像が頭をよぎる。猫様を愛でながら平和に暮らして来た人生には縁遠い事柄だった。


 まさか――戦うのか!?


(そのまさかにゃ。メツ! 戦いは避けられにゃいにゃ。そして勝たにゃければ、にゃあの純潔は汚されてしまうはずにゃ)


 おまっ! さらっと凄い事いって、僕を脅してるのか!? 逃げる選択肢もあるはずだろ?

 身体の主の言う、戦闘と言うモノにまったく想像が及ばなかった。大体、三対一で勝てるのなら逃走も容易なはずだ。


(メツは敗北主義者にゃ? 最初から逃げる事を考えるにゃんて! あいつらのせいで、にゃあの祖国は……!)


 そこでまた声は途切れる、身体の主には逃げてはいけない重大な理由があるのかもしれない。

 その間にも事態は進行していて、右側の男のほぼ狼顔が徐々にニンゲンのモノへと戻っていく。長く密集していた毛も伸びた口と鼻も一瞬で骨格ごと吸い込まれる様に、引っ込んでいた。

 そして、そのバカも、にやついた嫌らしい目つきでこちらを見た。


 何か凄いモノを見てしまったな。狼男ってあんな風に変身してるのか。


 三人の視線が同時にこちらを刺す様にとらえ、真ん中の男が口を開く。


「お待たせしましたね。お嬢さん。さあ、僕の手を取ってくださぁい。すぐに街までお連れしますよ。くくっ」


 真ん中の男が右手を伸ばしながら、徐々に近づいてくる。先ほどまでは感じていなかった生臭い匂いが漂って来る。


(メツ。黙っている時間は終わりだよ。ここからはお互いに血を見ずには済まにゃいにゃ!)


 身体の主の血気盛んな声が響く。


(いいにゃ? 相手が武器を抜く前に殴り倒してしまうにゃ! 右の奴は変身した時に、装備が外れて半裸ににゃってる! 全身弱点だらけにゃ、まずはあいつからやるにゃ!)


 簡単な作戦を提示されるが、とても出来そうには思えなかった。

 なあ、右を狙うにしても、また変身されたらどうするんだ?


(狼型に戻ったら飛躍的に戦闘能力が上がるにゃ! その前にのすのにゃ! にゃあ達は武器を持ってにゃいからスピードが命だよっ!)


 まくしたてる身体の主に心の中で頷き返しながら、前の男を厳しく見据え、男が怪訝な表情を作り、構えを取ろうとした所で右側へ全力で走り出した!

 精一杯のフェイントだ!


 何だ? 身体が軽い! まるで風みたいに動ける!? って! ああ、石ころにつまず――!


「うがぁぁぁ!」


 気が付いたら、右の男は胴体を押されて後方に吹っ飛んでいて、身体をしこたま打ち付けた様だ。

 情けない悲鳴と共に、ぐったりとして幹の根元に転がっている。


 ははは、転ぶかと思って、慌てて出した手が一人やっつけた。こ、殺してないよな?


(いきなり転びそうになるなんて大した運動神経だよ、メツは! 多分いきてるし、今はそんな事を考えてる場合じゃないよ!)


 後方からは乱暴な怒声が響く。


「お前! なんて事してくれたんだ。ぶっ殺してやる!」


 素早く振り向くと、真ん中にいた男は剣に手をやっていた。


(メツ。抜かせないで!)


 そんな事を言われてもなぁ! どうすればいいのか、まったく分からないぞ!


 とにかく手を狙ってやる!


 その場で跳び上がり、地面を蹴った左足の反対側で男の右手首あたりを蹴りつけた!

 男は短い悲鳴と共に、剣を抜くのは諦めたが、反動で後ろに跳び上がった僕に向かって、左手を振りかぶりながら接近してくる!

 空中で脚を振り上げた状態で、後方に回転していく身体を止められない。このままでは、あの左手の餌食になってしまうだろう。


「このクソアマァ! ぐへへ、そのデケェけつに一発ぶちこんでやるぜぇ――! オラァ!」


 回転は続き、男の姿も視界から消えてしまった。


(メツ! 今すぐ振り上げた右脚を左側に急激に捻って、身体ごと横回転に切り替えて!)


 それは的確な指示だったのかもしれないが。

 いきなり言われても、なあ!?


「ふぐおおお!」


 とても女の子とは思えないはしたない掛け声と共に、無理矢理に身体を捻り倒し、身体ひとつ分のスペースを空けて着地した。うぐ、今ので脇腹の筋肉ひねったかも? 後で痛むかな?


 男の左拳は空いた場所を目指して突き出され、見事に空を切る。男の目線も前を向いたままだった。

 こちらに攻撃してくださいと言わんばかりに空いた右の脇腹を眺める。


(もう、メツ! ぼっとしないで、そこを全力で攻撃して!)


「分かったよ! もう!」


 着地とともにしゃがみ込んでいた身体を両脚に力を込めて、そのまま横にスライドする様に動き、男の無防備な脇腹を一発、右拳で殴りつけた。


「ほぐぉぉぉ!?」


 男は情けない声を上げ、涎を散らしながら後方へと吹っ飛んでいった。こちらへ飛び散ってきた涎の波を無意識の嫌悪感から必死で躱す。


 そして、左へ移動したのが不味かった。


 そう――そこには、残っていた一人が剣を抜いて立っていたのだ。

 男の目には燃え上がる怒りが見て取れた。許してくれそうにはない。


「テメ、よくもやってくれたなぁ、このクソアマがよぉ。ああ!? 兄貴と弟の分、きっちり耳を揃えて返してもらうぜッ!! 動くなよ? もう一振りでお前の身体をズタズタに切り裂けるんだ」


 どうする? 武器を抜かれたぞ!?


「ぐひひっ。お前、いい乳してんよなぁ、オレぁよぉ、いっぺん女のデケェ乳をこいつで刻んでみたかったんだよなぁ……。いつもはよぉ。兄貴たちが『普通』に楽しんじまった後に殺しちまうからよぉ。生きたのは初めてなんだぁ」


 そう言って剣を二三回ふりまわし、その刃に舌を伸ばし舐めて見せた。


 男は自身の陰鬱な欲望を曝け出し始めた。その顔には狂気が見え、瞳は白目を剥きそうで、口元からは涎が一筋ながれた。開いた口には不揃いで黄ばんだ醜い歯が見える。

 行為を想像して、良い気分に浸ってるのか? 僕の常識じゃ考えられないドヘンタイ野郎だな。


(メツ! 今すぐしゃがみ込んで、右手の爪で私の身体をなぞってそのまま地面を引っかいて!)


 何だ!? 何のまじないだ!? 絶体絶命の状況じゃないのか!?

 とにかくやるしかない!


 素早くしゃがみ込みながら服の表面を撫で、足元の地面をひっかいた。

 こちらの動きに気付いた男が怒声を上げながら剣を振りかぶった!


(次は、地面の土をありったけ手に持ってあいつにぶつけて!)


 言われた通りに、ぶつけると盛大な土煙が起こった。

 男は、砂を吸い込まない様に、鼻と口元を塞いでいるが、目は必死にこちらを捉えていた。何があっても見逃す気はないらしい。

 目くらましか!? この間に殴りつければいいのか!?


(ダメだよ! あいつは執念深くこっちを見てて隙はない! もう一度、土を投げつけて今度は目を狙って!)


 分かった!


 すぐさま土の二撃目を用意し、相手の目元へとぶつけた。

 見事に命中!

 ふぅ。体育の成績が悪くてもコントロールはなんとかなるもんだな!


「くそがぁ! だがなあ、まだ残ってるオレの耳と鼻がお前の動きを逃さず捉える。隙を狙おうなんて無駄だぞ! 音か匂いがした瞬間にその方向を刻んでやる!」


 男は咳き込みながら激しく怒りをぶつけて来る。

 こいつ、狼の獣人だからニンゲン形態でも耳と鼻は相当に良いのかもしれないな。

 このままじゃここから動けないぞ。


 そうだ! 逃げれば!


(ダメだよ、メツ。逃げたって、こいつが変身したら私たちの足じゃ逃げきれない! それに、自慢の鼻を使ってどこまでも追跡される!)


 狼と猫じゃ身体能力の差は歴然って事か!?


(今のうちに足元の石を一つ拾って、あいつの後ろ側の地面へそっと転がすんだ!)


 何か分からないけど、言われた通りにするよ!

 目についた手ごろな石を一つつまみあげ、ボーリングの様に、地面に沿わせて男の後ろへと転がす。不思議な事に石が転がる音は聞こえなかった。


(準備は整った! 勝機は今しかないよ! 跳んで! 上空へ高く、そしてあいつの後ろに着地するんだ!)


 そんな事をしたら大きな音が鳴って、気付かれる上に、こっちは着地の硬直でしばらく動けないんじゃ!?


 そしたら――、動けない間に切り裂かれて無残な死体となるだろう。

 最悪の想像が動きを止める。


(信じて! そうすれば必ず勝てるから!)


 分かった――! お前の言う通りにするよ! 正直なとこ、信じるなんてまだまだ無理だけどな!


 腰を落とし、両脚に全力を込める。


 そして――。


 空へと跳び上がった!


 森の木々がまるで縮んで行く様に、身体は浮き上がり、強い光を感じた。眩しさに目を細めながら、周囲を見渡す。木々の上空の世界からは周りの風景が手に取る様に見えて、広がっている森の中に幾つかの建造物があるのが確認できた。


 うおおお!? すごい! 何メートル跳んだ!?


(メツ、観光してるんじゃないんだから! 驚いてる場合じゃないよ! ちゃんと着地点を見極めて! あの石を転がした辺りに降りるんだ!)


 そういうのは先に言ってくれぇ!


 それに、今気づいたけど、凄い風を感じて音も耳をつんざく様だ! こんな速度で落下すれば巻き起こる風だけで僕らの位置がバレるんじゃないか!?


(大丈夫だよ! あそこの空間には今、風を遮る仕掛けが施してある! 考えてる暇はないよ! 落下点に集中して!)


 うおおおおお!?


 頭から高速で落下していくが、猫の本能なのだろうか? 地面に激突する瞬間に半回転し、足からまるで羽の様に着地していた。

 

 何だ!? もっと凄い衝撃が来るかと思ったが、羽毛の様に軽やかだったぞ!?


(ふふん。身軽さは猫の特権だよ! さあ、前を見て! 匂いは消せないからすぐに気付かれるよ!)


 言葉の通り、背中を見せていた男の顔が半分こちらを向き、鼻が動いたと思ったら、すぐさま身体ごと反転しようとする!


 武器を持ってるのは右手だ。なら反転しながら右手で斬りつければ、動きのロスが少ない。だったらその裏をかいて、こっちは左へ移動すれば!


「動きは見えてるのはお互いさまだっ! でも、瞬間の速度なら負けはしないぞ!」


 雷光の様に、素早く相手の左側へ回り込み、隙だらけの首筋へ鋭い手刀を叩き込んだ!


「うぶへぇぇぇ!?」


 斜め上から強烈に首筋を打たれた男は、地面へ向けて、頭から叩きつけられ、そのまま徐々に回転しながらバウンドしていき、二番目に倒した男の身体にかぶさって止まった。


(やったね! メツ。これで全員たおしたよ! それに――、最後のセリフかっこよかったにゃ)


 その言葉に今まで眠っていた違和感が働き始める。

 にゃ?

 ああ!? お前、今まで口調がおかしくなかったか!? 普通に話せるのかよ!?


(にゃ、にゃんの事かにゃあ? にゃあには分からないのにゃ)


 その態度の落差に思わず吹き出してしまう。


「あはは! いいよ。今は、まあ、その真実はいずれ明らかにしてもらうけど……」


(にゃ!? メツはしつこい性格にゃ!?)


 初めての戦いの勝利の歓喜と、この身体の主のおかしな性分に、心からの笑いがこみ上げてきた。こんな気分、初めて味わった気がするな。

 勝つって事はこんなに気持ち良い事なのか――。


 初めてもたらされた勝利は確かに心地よく満たされる、しかし、音もなく着実に少年の心を変容させて行くのだった――。

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