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これで君は猫になるんだ

 脳の髄まで蕩けて流れだしてしまいそうな、真夏の灼熱の太陽が照りつける中、そこを歩く者のほとんどが暑さにやられ息も絶え絶えな様子だが、異彩を放つひときわ元気な一団がいた。

 その少年たちは周りと文字通りの温度差を感じさせる様な溌剌とした態度で会話に花を咲かせていた。その様子に周囲の者たちは奇異の目や鬱陶しそうな侮蔑混じりの視線を送るのだった。


「それでさぁ、昨日よんだ新しい小説なんだけどさ。まぁた転生トラックが出てくるわけ。テンプレすぎて冒頭から吹きだしちまってよぉ。マジ爆笑! 笑いすぎてその後は話に集中できなくてよ。って! おい、にゃつ! 聞いてんのかよ!? まぁた、そんな道端で一人でしゃがみ込んで! 輻射熱で死んじまうぞ!?」


 声をかけられた少年は丁度、街路樹の陰となる位置に背を向けてしゃがみ込み、振り返りもせずに答えた。


「聞いてたよ。にしても、死んだら異世界に転生するって所はまだ分かるけど、どうしてトラックに跳ねられる必要があるんだ? 理解できないね」


 冷めた様子で返すが、その瞳には他者にはない熱が宿っていた。


「おぉい。またそんな近所の『お姫様』にご執心で人間にはちっとも興味ないんですかねぇ? にゃつ君よ」


 からかう様な調子の言葉が投げ掛けられるが、少年は気にする素振りも見せず独り言の様に答えた。


「夏雄。お前はさっき、僕が輻射熱で倒れるんじゃないかって言ったよな? そんな心配は必要ないぞ。何故なら猫様が居るって事は、そこは他と比べて涼しい所だからなぁ!」


 目を爛々と輝かせながら振り返り力説するが、その言葉は少々からまわっている様だ。


「ぶふっ! なぁに、言ってんだよ! 猫は冷房の効いた涼しい家の窓から外を見てて、お前がいんのはこの灼熱の大地だろうが!」


 ばつが悪そうに頭をかきながら立ち上がる。


「う、うるさいなぁ。こんな道路の側の壁面に大きな窓があって塀もない家なんてここらじゃほとんどないし、絶好の猫様観察ポイントなんだよ! この家は!」


 そう答えた少年は、少しふらつく様な怪しい動きを見せ伏し目がちになる。


「お、おい大丈夫かよ!? やっぱ熱でやられてんじゃ?」


 友人の心配を片手を上げて制して見せる。


「心配ない。ちょっとした立ちくらみだ。……大体、まだ家で猫と暮らすと言う野望を果たしてない僕がこんな所でくたばる訳ないだろ?」


 その返答に安心した様子を見せながら、友人たちは笑い声を上げながらはやし立てる。


「ほっんとに猫バカだなぁ。にゃつはさぁ! 俺たちの付けたあだなもぴったりすぎて笑えるよ! ……さっきの小説の話だけど、お前ならトラックじゃなくて猫に轢かれて転生するんじゃねぇか!?」


 茶化された事を気にする様子もなく、少年はこう返す。


「ふん。僕なら猫様に惹かれて転生してしまう事はあるかもな。いや、むしろ大歓迎だ! 同じ『ひく』でも大違いさ」


 「はははは」と大きな声で笑う友人たちの元へ少年が向かおうと歩き出した時、立ち並ぶ街路樹の向こう側から現れた小さな影がこちらへと疾走する姿が見えた。


「ん? 何だ、あれ?」


 影はとどまることなく加速を続けていき、やがて――飛び上がり、少年の頭部へ弾丸の様に衝突するのだった――。




※ ※ ※ 





 最後に聞こえたのは……、肉が潰れ、骨が砕ける様な不快な音と、頭の中心を揺らす様な残響だった。

 天地が逆さになり、自分がどんな状況に置かれているのかも分からなくなる。五感の働きを知覚できないが、真っ暗な世界の中で自分の身体が渦に呑まれた様に激しく回転しているのだけは分かった。

 いや、分かったと言うべきなのか。何も感じられないはずなのに、激しく揺さぶられているイメージだけが浮かんでくるのだ。

 その回転は徐々に速度を落として行き、やがて世界は静止した。


 しばらくして落ち着いて来たのか、思考が戻って来ていた。自らの状態を訝しみつつ、身体の状態を確認していく。


 まずは肺だな。呼吸ができないと大変だ。

 痛む胸を抑えながら確かめる様に少しずつ息を吸いこむ。

 吸える。さっきまで何も分からなかったけど、今は確かに身体は動いているみたいだ。……それに、痛覚が戻ってる。僕は――どうなっているんだ?


 ぷにっ。


 んん? そういえば胸が痛いと思ったけど、本当に胸だったのか? 何か――違和感が――、そうだ。何か柔らかいモノを押し潰す感覚が――。


 ふにふに。


 ああ、そうか。手で押さえたのなら皮膚の感覚も戻っているのか。次々と頭に浮かぶ疑問に押し流されて、思考の整理がつかず、ひとつひとつの問いが曖昧になってしまう。

 先ほどから気になっていたが、ここはとても暗い。周りが暗いのは――。僕が、目を瞑っているからなのか?


 両目の辺りを意識しながら、徐々に固まっていた瞼を押し開けた――。


「まぶしっ!」


 開かれた目に飛び込んできたのは、周りの風景などではなく、ただひたすらに眩しい光の洪水だった。その状態に耐えられずに思わず目を瞑る。

 何だ!? 目が慣れてないからか? 何も見えなかった。あ、あれ? そういえば今、僕は無意識の内に声を出していたな。だけど――、何かが、おかしかった。何が――?


 とにかく深呼吸してもう一度、目を開けてみよう。

 目を開くという動作がまるで大事でもあるかの様に、心の中で入念な準備をしていく。

 そして――再び開かれた瞳には――。


「ここは……森? なのか?」


 開かれた瞳には鬱蒼とした木々が映り込み。丁度、視野の中央辺りに木々の先端が見える空間があった。眩しい光の正体はそこの明かりだったのだろう。わずかに緑や黄を帯びた光が中心の空間の周囲を煌々と照らしている。


「どうなってる? こんな森、見たことないぞ? 大体、僕は通学路の帰り道で猫様を観察していて――」


 思考は意外なほどクリアだな。だけど自分の状態は中々、掴めない。だが何度か声を出している内に先ほどの違和感の正体にたどり着いた。


「声……。声がおかしいぞ!? 僕の声じゃない! 何か高くなってる!? こ、これは――。まるで、まるで――。女子の声みたいじゃないか!?」


 自分の声を聴きながら絶叫しそうになる。そ、それもテレビからたまに聞こえて来る、アニメのキャラみたいな声だ!

 混乱に呑まれそうになる裏で意外と冷静なもう一人の自分がいて、声が聞こえるのだから耳もきちんと働いているのだな、と確認を進めていた。


「そ、そうだった! 声も問題だけど、さっきの胸を触った時の違和感! 確認しないと――!」


 そう言って胸をみやった瞬間に思考は真っ白になり、全身が硬直する。

 そこには――あるはずのないモノがあった。

 そう、正確にはふたつ並んでいた。


「な、なんだこれぇ!?」


 胸を見たはいいが、本来ならそれと同時にその先の開けた光景も目に入るはずなのだが、見えないのだ。まるで――巨大な山脈に阻まれた様に――!


「う、嘘だろ? 何だよこれぇ!? お、女の胸、みたいな!? それも、めちゃくちゃデカい!?」


 訳も分からず両手を伸ばし、恐る恐る触って確かめる。


「や、柔らかい……。ほんとに何だこれぇ!?」


 僕は、興奮しているのか? そ、そりゃこんなの触ったの初めてだからな。

 だが、何も感じなかった。

いや、思考は熱を帯びて揺らめいているのだが、以前なら感じたはずのあるモノが全く反応しないのだ。


 そう、それは――。


「そうだ! 十七年間、片時も離れた事のない我が友! 真の相棒だ! か、彼の存在を感じない……!」


 それはまことに奇妙な話だった。男に生まれたのなら誰もが当然もっている。時には親しみ、時にはその蛮行に困らせられて来た、唯一無二の相棒。その存在を感知できないのは、まるで半身を失ったかの様な衝撃だった。先ほどまで熱を帯びていた脳も一気に冷えて目を醒ましていた。


「くそ! この『馬鹿デカいの』のせいで目じゃ確認できないぞ! 何とか手探りで確認するんだ……! あいつがいないと……、僕は、僕は――!」


 その後に続く言葉は心の中で声にならない悲鳴として虚空に消えて行った。


 両手で胸の下、腹あたりをまさぐりながら徐々に目指す地点に近づいて行く。


「今のはへそか……服越しだから分かりにくい。うぐ、くそお、腕の動きも制限されてて上手く動かせない……。こ! ここだ! この下、ここに手を伸ばせば! 真偽が分かるはずだ!」


 まだ全てを諦めた訳ではない。いくら巨大な胸の様なモノがはえていても、それだけで半身が失われたと確定はしない。胸が膨らむ何らかの異常に見舞われただけかもしれないからだ。


「あ、諦めないぞ……! きっと、そこに――!」


 もう少しで真実が手に出来ると確信した瞬間――爆発の様な途轍もない音量が響いた。


(にゃあああああああああ!!)


 その衝撃に伸ばしていた手を引っ込めて両手で頭を覆ってしまった。い、今、何か変なモノが――!? いや、それどころじゃ――。


「うぐっ! な、何だ!? まるで頭の中に直接ひびいた様な――!」


 あまりのことに朦朧とする意識の中へ言葉が続けられる。


(お、女の子の大事にゃ部分にそんにゃ無遠慮に触っちゃダメにゃ! 許されにゃいのにゃ!)


「はあっ!? だ、誰だお前は!? てか、今の、僕と同じ声!?」


 正確にはおかしくなった自分の声と重なる、だが。

 謎の声の主は先ほどの頓狂な様子とは打って変わり申し訳なさそうな沈んだ声で話し始めた。


(にゃあ。にゃあは『猫族ニャルヴ』の『ニャリスティア』にゃ。ニャリスって呼んでにゃ)


 理解できない言葉の羅列に混乱する。

 何だって? にゃあって何だ。にゃあ、にゃあ、にゃ――。あ! 一人称!? 語尾となまりが混じってんのか!? 紛らわしい! 猫族だか何だか知らんが安い猫アピールも大概にしろ!


(うん、うん、そうにゃ! にゃあはにゃあの事をにゃあと言うのにゃ)


 謎の声は遠慮なく解読不能な言葉で話しかけて来る。

 だあああ! 意味わかんないからちょっと黙ってくれ! てか、何で考えただけで会話になってるんだよ!? 僕は一言も喋ってないぞ!?


(そ、それは……とても言いにくいんだけど、にゃあが『君の世界』で事故を起こしちゃって、今、君とにゃあの魂はにゃあの身体を二人で共有してるのにゃ)


 突然つげられた驚愕の事実に思考どころかすべてが置いてけぼりになる。非常識の塊、埒外の事象。何ひとつ理解できる言葉はなかった。


「し! 信じられるもんか! こ、こんな胸にある変な塊なんかじゃ僕は騙し通せないぞ! さ、さっき触り損ねた部分! 僕は! そこの開示を断固要求する!」


 謎の声は困った様に答える。


(だ、だからぁ。そこは触っちゃダメにゃ……。い、今。にゃあの身体の主導権は君が握っているのにゃ。身体を共有しているけど、も、元々、男の子だった人にそんなとこ触らせられにゃいにゃ)


 くそぉ、完全にペースを握られているな。僕には何ひとつ真実を教える気はないのか?

 憤慨する思考も相手には筒抜けだったのか、すぐに答えが返って来る。


(鏡があれば良かったんだけど……。あ、そうにゃ! にゃあの頭を触ってみるといいにゃ! そこには君の想像してたのとは違う結果が待ってるはずにゃ!)


 謎の声の提案を疑いつつも頭に両手を伸ばした。

 待てよ? どこを確かめればいいんだ? 耳? 歯? 鼻? 目? まあ、とにかく触ってたし――!


 ない!?


 みみ! 耳がない!?

 手を伸ばした時に一番ふれやすかった耳辺りを触ってみたが、そこにあったはずの人の耳はなかった。柔らかな毛の感触があるだけだ。強く押してみても、その下には堅い骨が主張していて、探していた対象はなかった。

 むむむ? 僕の髪質はこんなに柔らかくなかったはずだぞ。くそ、どんどん近づきたくない真実へ誘導されている気分になる!


 両手を少し上に動かすと代わりに柔らかな毛に包まれた何かに触れた。

 ここ、髪の毛とは少し感触が違うな。そう、猫様の身体に触れた時の様な――。


 ああ!?


 その瞬間に、あるビジョンが雷光の様に脳裏をよぎる。ゲームや漫画などで当然の様に登場する。獣耳の種族。ま、まさか――。


(そのまさかにゃっ)


 思考がその事実を認める前に肯定の声が響いた。


(さっきも言ったにゃ? にゃあは猫族にゃ。猫の特徴を持った獣人にゃのにゃ)


 ああああ!?


 心の中で絶叫しながら毛で覆われた大きな耳を確かめる様に触り倒す。


(にゃ!? く、くすぐったいにゃ! やめるのにゃ)


 何だ? 感覚を共有してるのか?


(そ、そうにゃ! だからこれから君が変な所を触ろうとしたら、また大声で叫ぶのにゃ! 覚悟するにゃ!)


 先ほどの脳を震わす様な奇声を思い出して全身が泡立つ。あれを何度も経験するのは御免だな。出来るだけ妙な事は考えない様にしよう。


(にゃ。物分かりのいい人は好きにゃ。……ところで意図せず身体を共有してはいるものの、にゃあは君の事をにゃにも知らにゃいにゃ。教えて欲しいにゃ)


 その要求は当然のモノだった。元々、自分の身体だったモノに赤の他人が入っていて動作の主導権を握っているなんて身の毛もよだつ凶事だ。ここは素直に答えるべきだろう。

 まずは名前からだろうか……。


「僕の名前は……。にゃつだ」


 身体の主は不思議そうに答えた。


(人間のにゃまえにしては変わっているにゃ? ほんとのにゃまえにゃ?)


 うぐ。こ、これは友人たちがつけたあだなで本当の名前じゃない。しかし、本名はあまり好きじゃないんだ。だが、答えない訳にもいかないか。


「はあ、本名は『勇納滅』(ゆうのうめつ)。親が中二病って散々からかわれたんだぜ?」


 いや、両親の事は別に嫌いじゃない。でもこの名前だけは納得いかない。


「んで、親しい連中が僕が猫好きなのを見て。にゃつって呼ぶ様になったのさ」


 身体の主は感嘆の声を上げている様だ。


(メツ! にゃんだかカッコイイ響きにゃ。いいにゃまえだと思うのにゃ)


 だからその『にゃまり』止めろよ! すぐに理解できなくて一瞬、思考が止まるんだよ! って移ってるじゃないか!?


 この名前を他人に褒められたのなんて初めてだったか? 少し……、悪くない気分かもな。

 だが、二人が打ち解けるきっかけとも言える出来事に水を差す事態が近づいて来た様だ。

 身体の主は警戒した様子で声を荒げた。


(メツ! 今すぐ起き上がって、構えて!)


 状況が飲み込めず、すぐには動けない。か、構え? って何だ。


(メツ。もしかして喧嘩とかした事にゃいの?)


 十七年間の人生を振り返ってみても、喧嘩もないし、そもそも運動もそんなに得意ではなかった。格闘技の類に興味を持った事もない。


(はあ、今更だけど、自分が少し不運にゃ気がしてきた)


 上体を起こし、周囲を見渡してみる。良く見ると森に生える低木の葉がざわめいているのが見えた。その奥に何かが潜んでいるのだろうか? 突然の危機に放り込まれた二人の運命はどうなる――!?

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