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36.再会2

 縦に何度か揺られたあたりで、あかりの手は「もうおしまい」と割って入った静に回収され――蒼真の手はぺしっとはたき落とされた。


「っ、何すんだよ!?」

「ごめん。なんだか腹が立って」

「素直か! つか前にもあったなこういうの!」

「蒼真が学習しないからね」

「今のは普通の範疇だろ!」


 あかりがぽかんとしている間にも、二人のテンポの良い応酬は続いていく。

 いろいろな意味で懐かしい気持ちになっていると、叩かれた手をひらひらさせた蒼真が、恨みがましい目を向けた。


「なあ静、お前この間引っ越しを手伝った時にした約束忘れてねーよな?」

「今度奢れって言ってたやつ?」

「そう、それ。それ今使うから」

「今?」


 静が意外そうな声をあげる。


「ここでいいの?」

「おう。良いレストランならもう行ったしな……」


 男四人で、と遠い目をしながら呟かれたセリフに、あかりはプロポーズをしてもらった店のことだとピンとくる。たしかに出てきた料理はどれも本当においしかった。

 しかし蒼真の目は料理の味を反芻しているようには見えず、どちらかと言えば哀愁を帯びている。考えてみれば、個室のない雰囲気の良いレストランで、成人男性四人が食事をする――その姿は、家族連れやカップルばかりの店内では少々目立ったのかもしれない。


 そんな蒼真の心境をわかっているのかいないのか、静は沈黙の後、眉をひそめた。


「……今の蒼真と二人きりにしたくないんだけど」

「いや、他の男と二人きりにしたくないのはいつものことだろ。それにオレは安パイじゃん。知っての通り彼女持ちだぞ」

「そういう意味じゃ……はあ」


 わかってて言ってるでしょ、と静が睨む。

 蒼真はそんな視線などどこ吹く風で、あらかじめ用意していたらしいスマホの画面を開いて見せた。


「てなわけで、オレはこの期間限定バーガーのセットな。あ、飲み物はいつもの炭酸で。あかりちゃんは?」

「えっ?」


 急に話を振られ、戸惑う。


「静の奢りだから遠慮なく頼んじゃいなよ。ナゲットとかどう?」


 どう、と聞かれても、静の奢りならなおさら頼めない。

 そう返されるのが予想できたのか、静はあかりが返事をする前に、「あかりが好きそうなものも買ってくる」と言って一階へと降りていってしまった。


「……よし! 今のうちに最初に戻るぞ!」

「!?」


 おずおずと手を振って見送っていたあかりの前から、ぱっとアルバムが消える。

 反射的に目で追いかけると、蒼真が焦ったようにページを変えていた。


「ど、どうしたの? 蒼真くん」

「どうしたもこうしたも、早くしないと静が戻って来ちゃうだろ? アイツあかりちゃんに関しては極端に心が狭くなるから、一緒にいると迂闊なこと言えなくなるん……はいここ。見て」


 蒼真の勢いに押されていると、主にブレザーを着た静が載っているページをずいと出された。

 先ほども見た、出会った頃の静のようだ。


「静って今はあの出来だけど、転入したての頃はまあちょいイケメンかなーくらいだったろ?」

「……ちょい……?」


 意味がわからず、瞬きが増える。


「あ、そこひっかかっちゃう? いや顔はもともと良いんだけど、なんつーか雰囲気がさ。暗くて辛気くさ――」

「くないよ!? 静くんは最初からずっと格好いいよ」


 なんてことを言うのだ。

 もちろん今は今で最高に素敵だけれど、四月に会った静だって、思考を奪われるほどに魅力的だった。それを静の一番近くにいた蒼真がわかっていないなんて。


 つい責めるような視線を送ると、蒼真は天井を仰いで何かを呟いた。


「あー、そういやこの子静馬鹿だったわ……いやでもほら、こっちの静はどうよ!」


 指差されたのは、高二の夏の静だ。


「さっきのより外見に気を使ってるのがわかるだろ? 鍛え始めてからちょっと経ってるし、春に比べれば暗い雰囲気が薄れてきてる。こっちの方が……じゃなくて、こっちの静もカッコいいよな?」

「……うん」


 前髪に変化をつけたり、日に焼けてワイルドさを増した時期だ。暗い雰囲気云々はともかく、春より楽しそうである。

 写真の中の生き生きとした目に、自然と顔が綻んだ。


「で、だ。……これが冬」


 そう言いながら、蒼真は自分の鞄から、むき出しの写真を数枚取り出した。


(アルバムに入れてない写真……?)


 不思議に思ったのも束の間。

 そこに何が写っているのかを目にした瞬間、あかりはそれらがアルバムに『入れられなかった』のだと理解した。


 今までの写真と違い、静が小さかったりまったく別の方向を向いていたりと、明らかに偶然写り込んでしまったものだったから――ではない。


 静の表情が、まるで人形のように凍りついていたからだ。


 それまでは無表情の中にも感情が垣間見えたり、うっすら笑っている場面だってあった。それなのに、あの穏やかだった目が、ひどく暗い色をしてどこかへ向けられていた。


(どうして、……あっ)


 どくん、と心臓が嫌な音を立てる。

 冬、つまりその前の秋にあったことといえば。



 ――そう、これはあかりがさよならを告げた後の静だった。



「顔、ヤバいだろ。つってもこれはたまたま撮れただけで、普段からこんな感じだったわけじゃない。普通にしてたよ……少なくとも、表面上は」


 蒼真の指につられて、アルバムに視線が戻る。

 同時期のページが開かれると、蒼真の言う通り、暗い目をしている静はいなかった。


 春や夏に比べれば、その表情の差は歴然だったけれど。


「だから、こうやってふとした時に出る暗い顔に気づくたびに、オレらはいつも『なんとかしてやりたい』気持ちになった」

「……っ」


 共感して、すぐさま同意したくなる。

 しかし原因であるあかりにそんな資格はなく、うるさく胸を叩く鼓動で蒼真の言葉を聞き逃さないよう、注意深く呼吸することしかできない。


「それでもあかりちゃんが消えてすぐよりは、ずいぶんマシになってるんだからな。あんな……抜け殻みたいな静を見たの、後にも先にもあの時だけだ」


 詠史からも聞いた話を思い出す。コーラーになりかけたという、今の静からは想像もできない姿。

 頭ではわかっていたつもりでも、こうしてはっきり目の前に提示されると、あかりが静に与えた影響がどれだけ大きかったのかを強く実感させられる。


 蒼真はあかりの反応を見つつ、さらにページをめくった。


「んじゃ次、深澄たちと戦ったあたり。……こっちは進級して、勉強に打ち込んでるとこ」

「……」

「高三になって、静は深澄の面倒を見るようになった。もちろん受験勉強もしてたし、変わらず体も鍛えてた。それも全部、あかりちゃんを探しながら」

「わ、たしを……」

「要領がいいのは知ってたけど、それにしたってオーバーワーク気味でさ。あんま寝たくないからっつって睡眠時間削ってアレコレ詰め込むもんだから、ガス抜きさせなきゃヤベェってオレらの方がなった。この辺見てわかる通り、無理やり遊びに連れ出してたよ」


 お花見や海、お祭りに、誕生日などのイベント。

 きっと楽しかったはずなのに、そのどれにも、静が心から笑っている姿がない。


(違う、笑えないんだ。私のせいで)


 疑いようのない事実に胸が苦しくなる。

 もしこうなると先にわかっていたら、例えあかりにどんな代償が待っていたとしても、静を残して去る選択なんてできなかっただろう。

 涙がせり上がって、でも泣いてはいけなくて。あかりは必死で溢れそうになる悲しみを堪えた。


 震えるあかりを見て、蒼真は目を細める。


「……あかりちゃんはさ。なんで静がいろんなことを頑張ってるのか、わかる?」

「え……」

「あー、質問が悪いか。そうだな……じゃあ、あかりちゃんが消えた後、アイツがどうやって立ち直ったかわかる?」

「……それは、蒼真くんたちが、支えて……」


 言いかけたセリフに、蒼真が食い気味で首を横に振る。


「オレは『今のままであかりちゃんの前に立てんのか』って発破かけただけだ。憧れの女の子に、釣り合う男になりたかったんじゃねーのかってな」

「!」


 憧れ? 釣り合う?

 予想外のセリフに目が丸くなる。


 あかりが静に対して抱くならともかく、静があかりに対して抱くなんてことがあるだろうか。

 それも、絶望に近い場所から、立ち直れるくらいの威力を持って。


 よほど信じられないという顔をしていたのだろう、蒼真がムッとして続けた。


「勉強を頑張ってたのはあかりちゃんに教える側になりたかったからだし、外見に気を使ってるのはあかりちゃんの隣にいてもおかしくないヤツになりたかったから。毎日体を鍛えてんのだって……っつーか、そもそも覚醒したのだって! きっかけは、あかりちゃんなんだよ」

「え……」


 つい音量が大きくなってしまったことに気がついた蒼真が、慌てて周りを見回して声をひそめる。


「静が初めて異形と遭遇したのは、あかりちゃんといる時だった。もちろん最初はビビったけど、あかりちゃんが攻撃されそうになった瞬間、怖いとかそういう感情が吹っ飛んだ。……そう聞いてる」


 知らない。

 覚えていない。

 四月に静と会ってから、五月に蒼真と会うまでの、一体いつの出来事だろうか。


「あー、もう。ここまで来たらもう片っ端から暴露するけど、アイツあかりちゃんに誤解されたくない一心で、できるだけ女の子と二人っきりにならないようにしてんの。知ってた?」

「……し、知らない、です」

「じゃあ、あかりちゃん以外に呼ばれたくないから、人にくん付けされるの断ってんのは?」

「っ、それも、初めて聞きました」


 蒼真の口からは、大小問わずあかりの知らない静ばかりが飛び出してくる。


 あかりだって、何もかもを話してほしいとは思っていない。言えない秘密の一つや二つ誰にだってあるだろう。

 それでも、あかり自身に関することでさえこれほど打ち明けてもらえていなかったのは、さすがに衝撃だった。

 どれだけ静があかりの見えないところで頑張ってくれていたのか、そして誠実であってくれたのか。あかりは静にこの上なく大事にされながらも、誰よりも静の努力を見逃していたことになる。


「……たしかに、黙ってたのは静だよ。でも、あかりちゃんは……あかりちゃんだけは、そういう静の想いとか頑張りを、知ってなきゃダメだと思う」


 ぐしゃり。

 心のうちを表すように、蒼真の手の中であの数枚の写真がひしゃげた。


 そして、ここでようやくわかった。

 蒼真がどうして今日アルバムを持ってきたのかを。


 見せてくれようとしたのではなく――突きつけようとしていたのだ。

 あかりがどれほど無知なのか。


(蒼真くんは、私に、怒ってるんだ)


 その確信が見当違いでないことを裏付けるように、ついに蒼真の目にあかりを責める色が滲んだ。


「もうわかるだろ。静はずっと、どこにいても何をしてても、何年経っても、あかりちゃんのことばっか考えてきた」

「……はい」

「っ、そうさせたのはあかりちゃんじゃんか。なのに、なんでいつか離れなきゃいけないってわかってて、静を好きにさせたんだ。勝手に現れて、勝手に心を奪って、勝手に消えて。静がどんだけ傷ついたと思ってんだよ!」


 あかりを射抜く視線に、反射的に萎縮する。


 目を逸らしたい。

 けれど、これはあかりが受け止めなければならない感情だった。だから俯いては駄目だと、心の中で自分に言い聞かせる。


「わかってんだよ、そんなつもりじゃなかったってことは。消えたくて消えたんじゃないってことも。でも、でもさ」


 蒼真の顔が泣きそうに歪んだ。


「静がどんなヤツかわかって好きになったくせに、そのあかりちゃんが、アイツに一番寂しい思いさせてんなよ……っ」


 ぽろ、と抑えきれなかった涙が落ちる。


 限界だった。

 蒼真の気持ちが痛いほどに伝わって、あかりの心が悲鳴を上げた。




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