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32.特別と日常6

 ふと、あかりは喉の渇きを覚えて目が覚めた。


 まだ夜明け前なのかカーテンの隙間から射し込む光はなく、代わりにオレンジの常夜灯が室内の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 目に映る景色がいつもと違う。それを深く考えるべきなのに、布団のあまりの気持ち良さから思考は鈍り、このままもう一度眠りにつきたくなった。


(今なんじ……?)


 半分意識を夢に飛ばしながら手探りでスマホを探す。暖房がついていても布団の外の空気はずっと冷たく、自然と肌が粟立った。


 その途中で、あかりははっとする。


 もしかしなくても、この異常なまでの布団の気持ち良さは、あかりの横で寝ているもう一人の人物のおかげなのではないだろうか。


「……っ」


 気がついてしまえば緊張が戻ってくるのは一瞬だった。寝起きの顔を見られる前に、早急に身支度を整えたい衝動に駆られる。

 あかりは急に激しく鳴り出した鼓動が静に聞こえてしまわないかと心配しながら、そっとベッドを抜け出した――つもりが、後ろから伸びてきた腕にいともあっさり阻まれた。


「ひゃっ!?」


 お腹に回った力強いそれが、あっという間にあかりを布団の中へと引き戻す。

 そのまま腕枕をされ足までもが絡みつき、いつしか昨日の夜と同じような体勢になっていた。


「まだ、早いよ……もうちょっと、寝てよう」

「う、え」


 極めつけに、耳元への囁き。

 あかりの体はぞくぞくと震え、顔をほてらせることしかできなくなった。


 静はあかりを腕の中に納めて満足したのか、すぐに寝息をたて始める。

 少し経つと拘束も弱まり――あかりはなんとか人心地がついた。


(……うう。すっかり目が覚めちゃった)


 それにしても、静はどうして緊張しないのだろう。

 好きな人とこんなに近づいても、いっぱいいっぱいになるのはいつもあかりの方だ。あかりだって本当はもっと余裕を持って接したいのに。


 そんなことを考えていたからだろうか。

 ふと、今ならば何をしてもバレないのでは、といういたずら心が芽生えた。


 多少のためらいはありつつも、思い切って体の向きを変えてみる。急に動いたせいで起こしてしまっていないかを確認すると、すやすやとした寝息は変わっておらず、ひとまずは安心して良さそうだった。

 そうして目に入ったのは端正な顔。

 起きている時では静の甘い視線に耐えられず、あまりじっくり眺められない。あかりは嬉しくなり遠慮なく見つめた。


 眠っている静は無防備で、どこかあどけない。

 思えば寝ているところを見るのはこれが初めてだ。あかりは見られたことがあるけれど、静の寝顔を見る機会はなかった。主に家の外で会っているのだから当然だ。


 かわいいな、と思った。


 時折り震える長いまつ毛も、ほんのり開いたくちびるも、呼吸するたびに上下する体も。

 溢れてくる想いで胸が詰まって、あかりは思わず体を体を伸ばし、吸い寄せられるように顔を近づけた。


「……だいすき」


 小さな声はエアコンの音にかき消される。

 けれど高いリップ音だけは、早朝の静かな部屋によく響いた。






「あかり、起きて。ご飯できたよ」

「んう……?」


 ベッドが軋んで、あかりの体が傾いた。

 どこからか漂う良い匂いに誘われるように、まぶたが自然と開いていく。


「ご、はん……?」

「うん。和食でよかった? パンの方がいいならトーストにするけど」


 すでにできた食事にけちをつけるはずがない。あかりは「ごはんがいい……」と答えながら、とろけそうな笑みを浮かべた静を視界に入れた。


 瞬間、覚醒した。


「し、静くん……っ!?」

「うん。おはよう」


 飛び起きたあかりに刺さる、楽しそうな笑顔。

 途端に全力疾走の後のようになる情けない心臓を意味もなく布団で隠し、固まりかけた脳をなんとか動かして挨拶を返した。


「顔洗っておいで。あ、そうだ。ごはんは普通に盛っていい?」

「……ちょっと少なめでお願いします……」


 そこで、「了解」と言って背を向けてくれなければ、朝から静成分の供給過多で疲れきっていたかもしれない。


 静に言われた通り顔を洗いリビングに戻ると、テーブルの上には一汁三菜の理想的な朝食が用意されていた。


「おいしそう。ごめんね、私また手伝いもせず……」

「ううん。あかりが手伝えないように寝かせておいたのは僕の方だよ。それに用意してあったのを焼いたり温め直しただけだから、大した手間じゃない」

「……もう。また私を甘やかしてる」


 そんなやり取りがありつつ、無事に朝食と片付けを終える。二人で歯を磨いて、さて次は――というあたりで、静が唐突に切り出した。


「じゃあ、あの部屋を見に行こうか」


 あの部屋?

 何のことかわかっていないあかりに、静はリビングと廊下を仕切るドアを開ける。もう片方の手にはあかりの鞄が二つとも握られていた。


「ほら、そこの。昨日一ヶ所だけ案内してなかったでしょ」

「……あ!」


 そういえばそうだった。

 静と過ごしているうちに、気にしていたことすら頭から抜けていた。


「でも、いいの? 私に見せたくないものがあったんじゃ」

「? あかりに見せたくないものなんてないよ。ただ昨日はあんまり開けないでほしかっただけだから」


 思い返せば、昨日の静も同じようなことを言っていた。昨日と今日で一体何が変わったというのだろうか。


「はい、どうぞ。中を見てみて」

「お、おじゃまします」


 ドキドキしているあかりと違って、静はなんの感慨もなく扉を開けてしまう。

 促されるままにそうっと中を覗いてみると、そこにあったのはピンクのラグが敷かれた小ぢんまりとした部屋だった。


「ドレッサー……?」


 気になったのはラグの色だけではない。ドレッサーにクローゼット、全身鏡。まるで女の子のような部屋に、あかりは目を丸くさせた。


「あかりの部屋だよ。着替えたり、お化粧したり、物を置いたり……僕は掃除以外でほとんど入らないから、好きに使って」

「え、え?」

「そこのチェストは絶対開けないから、僕に見られたくないものは引き出しの中に入れて。クローゼットは中の服の手入れのために開けることもあるから……あ、もちろん嫌ならしないけど」


 待ってほしい。

 説明してくれるのは嬉しいけれど、そもそも前提がおかしい。


「な、なんで静くんのうちに私の部屋を作っちゃったの!?」

「え? 着替えたりする時に安心できるかと思って。あとあかりの服をまとめられる場所がほしかったから」

「まとめ……?」


 嫌な予感がして、中に入ってクローゼットを開けてみる。すると、なぜかすでに半分ほどが服で埋まっていた。しかも中には見覚えのあるものまである。


「ちょ、静くん、これっ」

「ああ、そのコート。すごく似合ってたから、また着てくれると嬉しい」

「ええっ!? これ、誰かからの借りものじゃないの?」

「? 違うけど。あかりに似合うと思って買ったものだよ」


 さあっと顔が青褪める。

 食事に行く時に借り、帰りに回収されたコートと靴。これからお金を使うわけではないと言っていたのに、やはりあかりのために余計な買い物をさせていたのだ。

 静の誕生日を祝いたかったのに、これでは本当に逆ではないか。


「……そんな顔しないで。服を用意していいかって聞いた時、これから買うわけじゃないって言ったのは嘘じゃないよ」

「じゃあ、『これから』っていうのは……」


 あかりの想像していた、誰かに借りるという意味ではなくて。


「あの時点で、もう買ってあったって意味だよ。ここに置いてあるのは全部そう」

「……」


 靴はこっち、とわざわざ箱を見せてくれなくていい。


「……そっか。静くんて散財するタイプなんだ」


 静へ向ける視線に、多少の非難が混じるのは大目に見てほしい。いくら好きな人には貢ぎたくなってしまうのだとしても、これはやりすぎだ。


「そんなことは……」

「ないって思ってる時点で危険だよ! もう静くん私に何か買うの禁止!」

「えっ。いや、でもあかり前にそういう関係になったらいいって……」


 あかりは弁解しようとする静を見ないようにして、着替えるからと言って部屋から押し出す。そのすぐ後は部屋の前に声をかけられずにいる静の気配を感じていたけれど、しばらくすると名残惜しそうに離れていった。


(『そういう関係になったらいい』じゃなくて、『そういう関係になるまでは無闇に奢らない』だってば)


 あれはデートのお金をすべて出そうとする静を止めるために言ったのだ。その本質は『自分の分は自分で出したい』である。あの時はまさかプロポーズされるとは夢にも思わなかったため、こんなにすぐ余計な枕詞に変わるだなんて想定していなかった。

 たとえ結婚したとしても、貢いではならない。

 今からそう変更しても、静は聞き入れてくれるだろうか。


 あかりはふう、と息をついてかわいらしいドレッサーの椅子に座ると、鏡に映る自分を見て思わず両手で顔を覆った。


(ああもう、だめなのに……!)


 そこにいたのは――表情を緩ませる自分。


 もちろん散財されるのを喜んでいるわけではない。そうではなく、静の家に、当たり前のようにあかりの居場所があることが嬉しい。


 あかりは静の望んでいる日常がどんなものなのかを想像しながら、着替えのために昨日洗濯させてもらったキャミソールを取り出したのだった。



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