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28.特別と日常2

 静は洗面所から出ると、目の前のキッチンに寄って先ほどのコップをシンクに置いた。


「じゃあ、中を案内するね。玄関から順に見て行けば覚えやすいかな」

「お、お願いします。あ、それと、見られたくないところも一緒に教えてくれると助かります」


 泊まらせてもらうイコールどこにでも入って良いわけではない。

 そう思っての言葉だったのだけれど、静は玄関から見て廊下の右側手前にある二つの扉を開けて、どちらも中が収納であることをあかりに見せながら首を傾げた。


「? この家の中なら、あかりはどこを開けてもいいし、どこに入ってもいいよ」

「えっ。……いやいや、だめなところはあるよね? ほら、静くんの服がしまってあるところとか、どこかの棚の引き出しとか」

「特にないけど。ああ、でも」


 廊下の左側に一つだけあるドアに手をついて、静が振り返る。


「ここは開けないでもらえると嬉しい。……せめて明日までは」

「!?」


 意味がわからない。

 今は開けてはいけないのに、明日なら構わない部屋なんてあるだろうか。もちろん勝手に開けるつもりはないけれど、中がどうなっているのかとても気になる。


 あかりが謎の扉に意識を囚われているうちに、静によって廊下右奥の最後のドアがお手洗いであるという説明が済まされ、二人はリビングに戻って来た。


「あとは……こっちが寝室。ベランダに出られるのもここだよ」


 リビングを突っ切り、静が奥の引き戸を開ける。

 ちらりとベッドが目に入り、あかりはぱっと視線を逸らした。


「ええと、なんて言うか、その。広いね」


 またうるさくなり出した心臓を押さえて、新居の印象を口にする。

 あの謎のドアの奥が何であれ、ここまでで少なくとも1LDKはあることになる。降りた駅は詠史の家の最寄り駅より一つだけ都心に近かったし、一人暮らしとしてはかなり良い部類に属すはずだ。

 その分、家賃は跳ね上がるわけで。


(静くん、本当に何をして稼いでるんだろう……)


 聞きたいような、聞かずにいたいような。

 あかりは複雑な気持ちで静を見上げた。


「狭いよりは広い方が良かったから。物も結構多かったし」

「そう……なんだ」


 意外だ。どこを見てもシンプルで、物が溢れているようには見えないのに。

 ただ今の言葉が本当なら、もしかしたらあの扉は物置として使っている部屋なのかもしれない。ある程度中の予想がつくと、疼いていた好奇心も和らぐ。


「でも、この広さで他に誰もいないと、夜とか寂しくない?」


 住まいが何度か変わった静でも、一人暮らしは初めてになる。

 あかりも両親の離婚で二人しかいない家に移った時はやはり心細くなったし、静にも似たような感情は生まれているのではないだろうか。詠史や深澄との生活は、静にとって大切な時間だったのだから。


 とはいえ、そこは大人の男性だ。たとえそう感じていたとしても、なかなか寂しいとは言えな――


「うん、寂しい」

「えっ」


 いだろう、と思っていたのに、あっさり肯定されてしまった。


「だからたくさん来て。寂しがる暇もないくらい」


 そう言いながら、静がポケットから何かを取り出し、あかりのてのひらを上に向けてぽんと乗せた。

 固い感触。

 静の手が離れると、そこにあったのは鍵だった。


「これ……」

「この家の鍵。あかりの分だよ」

「っ!?」


 あかりは静の言葉に目を見張った。


「かっ、鍵なんて大事なもの、簡単に渡しちゃだめだよ!」

「簡単じゃないよ。あかりにしか渡してないし、渡さない」

「それでも……っ」


 赤の他人に、と言いそうになり、口をつぐむ。

 違う。あかりは静の恋人で、結婚の約束だってしているのだ。


(てことは、受け取るのが普通、なの?)


 参考にしたくても、これまでに自分が住んでいる家以外の鍵をもらったこともなければ、周りにそういった経験をした友達もいない。

 どうするのが普通なのか判断ができなくなったあかりは、静に言われるがままにキーホルダーを取り出し、受け取ったばかりの鍵を付け加えたのだった。






 それから、あかりはリビングのテーブルを借りて宿題と予習復習をさせてもらえることになった。

 もう始めてから一時間は経過しただろうか。すでに外は暗い。

 静は斜め向かいでパソコンを開いており、時々あかりのペンが止まると座る位置を変えて様子を見てくれる。今はちょうどわからない部分を教わっていたところだったのだけれど、説明の途中で自分の鞄からピロンと着信音がして、あかりは反射的に顔を上げた。


「どうぞ。見ていいよ」

「ありがとう。ちょっとごめんね」


 すぐさま確認したいというほどではなかったものの、あかりがスマホを確認しやすいよう、静は解説を中断し自分の作業に戻ってくれた。そのさり気ない心遣いを拒むのも気が引けて、あかりはさっさと見てしまおうと、しまっていた携帯を取り出した。


 届いていたのは、友達からのメッセージだった。


『例のプレゼント、昼にも言ったけど開けるのはあかりがお風呂に入る時だからね。忘れないでね!』


 それを見て頭に浮かぶのは、リボンで絞られた巾着型の包みだ。

 あかりは首を傾げながらも了承の返事を打つ。


(タイミングを念押しするようなプレゼントって、本当に何なんだろう……?)


 メッセージに書かれているように、あかりは今日の昼休みに、突然二人からプレゼントを渡された。

 あかりの誕生日はまだ先だ。では何の、と不思議がるあかりに対して、二人はあかりたちへの婚約祝いだと説明したのである。

 友達の気持ちが嬉しくて素直にお礼を言えば、ただし、と開ける際の注意点を挙げられた。


 ――あかりがお風呂に入る時に中を見ること。


 意味がわからない。

 わからないうえ、何度尋ねても「開ければわかる」としか返ってこなかった。

 そのため、あかりはきっとお風呂で使うものなのだろうと思い、その場では疑問を飲み込みとりあえず頷いておくことにしたのだった。


(まさか変なものが入ってるとかじゃないだろうし、今気にしても仕方ないよね)


 どうせその時が来たらわかるのだ。

 ならば今は、メッセージのせいで蘇った「静の家でお風呂に入らなければならない」という恥ずかしさを忘れる方に集中したかった。


「あかり、顔赤いけど大丈夫?」

「っ! う、うん。友達からだった」

「そっか。今日泊まることも話してるんだっけ」

「うん。なんだか私より楽しそうだったよ」


 静と付き合い始めてから、二人はにまにまとあかりを見ることが増えた。表立って冷かされる頻度が高くないのは、クラスでは二人にしか詳しく話していないと理解してくれているからだろう。

 その代わり、ワンピースを見に行った時のように三人だけになればすぐさま質問攻めに遭う。決して嫌ではないけれど、人様に話すのはどうにも落ち着かない気持ちになる。


「私より、ってことは……あかりは今日、楽しみにしてくれてなかったの?」

「え」


 頬杖をついて、静が目を細める。

 悲しんでいるというよりはむしろからかうような雰囲気に、あかりは頬の赤みを強めて視線をずらした。


「……楽しみでもあったけど、緊張しすぎてそれどころじゃないです」


 わかっているはずなのに、あえて聞くなんて意地悪だ。

 しかしそんな静も素敵である。こういう思考が深澄たちに静馬鹿と言われる所以なのだろうか。


 静はあかりの答えに微笑んで、自分よりひとまわり小さな手に――指輪を着けている薬指に、そっと触れた。


「僕も緊張はしてる。でもそれ以上に、あかりと長い時間一緒にいられるのが楽しみだった」

「……っ」


 指をさすられて、絡められて、軽く握られて。

 余裕すら感じられるスキンシップに、心臓がどくどくと騒ぎ出す。


「今日は帰さなくていい。それがどれだけ嬉しいのか、あかりにもっと伝わればいいのに」


 繋いだ手が引き寄せられて、ちゅ、と唇を落とされた。さらに愛おしそうに頬に擦り付けられれば、あかりは真っ赤になるしかない。


(静くんの息が、あたる)


 ――駄目だ。

 このままでは夏でもないのにのぼせてしまう。


 心なしかくらくらしてきた頭で、あかりは無理やり言葉を捻り出した。






「っお風呂に、入ってから……!」






(……えっ!?)


 自分で言っておきながら、自分で驚く。


 入ってから何をすると言うのか。

 明らかにおかしな発言をしてしまったあかりと、あかりほどではなくとも驚く静の間に、しばし沈黙が横たわる。


 原因はわかる。友達のメッセージで、お風呂を意識してしまったのが響いたに違いない。

 ただ言い方を間違えたのは他でもないあかりなので、言い訳しようにも思考が停止したかのように「どうしよう」しか浮かんでこなかった。


「…………ん、わかった。お湯張ってくるから、あかりは準備してて」


 先に動き出したのは静だ。

 いつもの無表情で席を立つ彼を見ながら、先ほどの失言をどう解釈されたのかと気になってしまう。それでいて確認する勇気などあるはずもなく、あかりは固まっていることしかできない。


 静の姿が洗面所へ消えて、引き戸が閉まった途端に脱力する。

 どっと疲れた。これが毎週訪れるイベントなのかと思うと、自分の心臓が保つのか心配になる。


(お風呂の準備、しなきゃ)


 のろのろとペンケースやノートをスクールバッグへしまう。説明が途中だった気もするけれど、今続きを聞かされても確実に頭に入らない。


 あかりは近くに置いていたお泊まり用の鞄からお風呂用品をまとめてあるスパバッグを取り出し、小さめのバスタオルも上に乗せた。

 ついでに明日の授業に合わせて教科書を入れ替え、例のプレゼントはテーブルに出しておく。


 静が戻ってきたらこれを口実に話しかけ、できるだけ普段と同じ態度を心がけよう。

 そう決めて、あかりは再び静がリビングへ戻ってくるのをじっと待った。




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