27.特別と日常1
賑わう、駅の改札付近。
あかりは目立つその人を視界に捉え、人を避けつつ駆け寄った。
「静くん、お待たせ」
「おかえり、あかり」
「ただいま」
微笑むのは、授業が終わったあかりを学校の最寄り駅まで迎えに来てくれた静だ。
今日は眼鏡をかけている。それが相変わらず格好よくて、緊張で速くなっていたあかりの鼓動がさらにうるさくなった。
「息、弾んでる。もしかして急がせた?」
「ううん、そんなことないよ。大丈夫」
静が待っているからといって、無理に急ごうとはしていない。ただ、この後の予定を考えながら歩いていたら、自然と足が急いて早く着いてしまっただけだ。
「それよりごめんね、急に駅で待っててなんて言って」
「僕は別にいいんだけど。どうかしたの?」
「うーん、えっとね……」
そもそも今日の待ち合わせ場所はこの駅だ。だからわざわざそこで待っていてほしいなどとメッセージを送らなくても良かったのだけれど、あかりの知る静ならきっと、いや確実に学校まで来てしまう。それを避けたかった。
案の定学校の近くで待つ気だったらしい静に、あかりはどう説明すれば良いか迷って、開けた口を一旦閉じた。
思い出すのは数週間前、静と母が対面した日に起こった騒動だ。
あかりを待つために校門前に立っていた静は、女子生徒に囲まれて大変なことになっていた。その張本人が、まだみんなの記憶に残っている状態の中現れれば、再び騒ぎになるのは目に見えている。次の日からの周囲の反応も考慮すれば、あかりが阻止したいと思うのも当然の流れだった。
「あ、そっか。僕の噂がまだ残ってるとか?」
「まだというか、またと言うか……」
さすがにあの日から二週間も経てば、あかりに直接聞いてくる人や無茶な絡み方をする人は減った。本当に落ち着いたかはともかく、少なくともあかりの周りは落ち着きを取り戻していた。
そのすぐ後、このまま消えるかと思われた火に、別の方向から油が注がれるまでは。
深澄だ。
あかりは先日放課後に話をして以来、学校内でなにかと見かけることが増えた深澄と、会釈や手を振るなどの挨拶をするようになっていた。距離がそれほど無ければ雑談だってする。
そんなある日、深澄と一緒にいた彼の友人たちが、二人はどんな関係なのかと尋ねてきた。
いわく静のことでそれなりに名が知られているあかりと、学年一の有名人である深澄。ほとんど接点のなかった二人が突然親しげに話し出せば、不思議に思われるに決まっていた。
そこで説明に困ったあかりとは対照的に、深澄はすんなり「身内」と言い切ってしまったのだ。
加えて、沸く友人たちに深い説明もせず「この人に何かあったら教えて。守らないといけないから」なんて意味深なことを言うものだから、密かに聞き耳を立てていた女子たちの悲鳴が、そこかしこに上がる羽目になったのだった。
静の代わりに送ってくれるという件もあり、あながち間違っていないから否定もできない。兄が好きだと言えないのに、どうしてそこは照れないのか。静同様、恥ずかしがるポイントが人とズレていると言わざるを得なかった。
とにかく、こうしてあかりは静のものとは別に、またも噂されるようになってしまったのだ。
そしてそこにだめ押しをしたのが、今も薬指で光っている指輪である。
初めて着けて行った日は、それはもう大興奮だった。主に友達やクラスメイトが。
やはり恋愛系の話は女の子にとっては楽しいものらしく、無意識に触っているところをいじられたり、いいなぁと羨ましがられたり、もらった時のシチュエーションを聞かれたりした。大変こそばゆい。
こそばゆいながらも、あかりはそれらの質問に答える形で、控えめに惚気るよう心掛けていたりする。
本当は自分から目立つような真似はしたくなかったのだけれど、指輪が目立ってほしいという静の望みは叶えたい。だから恥ずかしさを我慢して頑張った――のに。
どうやら、それがまずかったらしい。
気がつけば、学校内で薄れかけていたはずの例のイケメンの噂が、ほんのりと再燃していた。
おかげであかりに向けられる好奇の視線は今も続いており、ますます静が学校に現れてはならない状況になってしまった。
ちなみに、プロポーズや婚約指輪についてはいつもの友達二人にだけこっそり伝えている。
怖くて持ち歩けない方の指輪の写真を見せた時は、静の本気を垣間見たとあかり同じく戦慄していた。理解してくれてとても嬉しい。
あかりは簡単に説明を終えると、一呼吸おいて眉を下げた。
「それに、ただでさえ今日はわざわざこっちまで来てもらってるし、せめて往復させる距離を短くしたかったの」
いつもの待ち合わせはあかりの家の最寄り駅だ。どちらの方が手間かは微妙なところだとしても、距離的に遠いのはこっちである。静にかける負担を少しでも減らせたら、と考えていたのも嘘ではない。
嘘ではないだけで、一番大きな理由は言っていないのだけれど。
「気にしなくていいのに。あかりに会えるなら、それくらい全然苦じゃないよ」
「う。あ、りがとう」
隠し事を自覚しているせいか、優しい言葉が少々刺さる。
それでもさらっと付け加えられた口説き文句に照れてしまうのだから、恋心とは本当にどうしようもない。
あかりはどんな顔をして良いのかわからなくなり、十二月に入って巻き始めたマフラーを引っ張って、むずつく口元を埋めた。
(……だって、見たくないんだもん)
噂が大きくなると困るのも、静に楽をさせたかったのも本当だ。
ただ、あかりの胸の中には、もっと黒い感情が存在していた。
あの日、たくさんの女の子が浮き立ち、静に話しかけようとそわそわしていた。
静は慣れているのかうまく躱していたようだけれど――恋人が異性に囲まれて良い気はしない。まして、その状況を進んで作り出したいとは思えなかった。
だから、駅で待っていてもらった。
好きな人が他の人の目に触れてしまわないように。
――最近のあかりは少しおかしい。
嫉妬自体は変ではない。
頑張って打ち消そうとしていただけで、高校生の静といた頃からもわりとしていた。
問題は、それが抑えきれなくなってきたことだ。
学校までの迎えを嫌がるのは、どちらかと言えば静のためを思ってではない。あかりのわがままである。
静が「相手のために動ける人」だと評してくれているのに、そう在れない自分を知られたら幻滅されるのではないか。そう思うと、良くないとわかってはいても、この感情を知られたくないと考えてしまうのだった。
「……そういえば、荷物はそれだけ?」
「あ、ううん。重たいからコインロッカーに預けてある、んだけど」
あかりは言葉尻を濁しながら駅構内のコインロッカーを開け、膨らんだ鞄を引っ張り出す。
中身を入れすぎてしまったと一目見てわかるそれは、あかりの手より先に静によって持ち上げられた。
「っありがとう、でも、私自分で持つよ」
最低限で良い、と事前に言われていたにも関わらずこの大荷物だ。静に持たれるのは気恥ずかしい。
しかし静は鞄をあかりから遠ざけると、背中を押して改札へと向かい始めた。
「何でこっちまで来たと思ってるの。道案内と荷物持ちのためだよ」
「道案内しか聞いてないよ!?」
「言うまでもないから。ほら、定期出して」
納得はしていないものの、改札前でもたもたするわけにはいかない。
あかりは交通系ICカードを取り出し、ピッとかざした。
「……僕にとっては重くないけど、朝のラッシュでこの荷物って、あかりは大変だったでしょ。ごめん、迎えに行くの一回家に帰ってからにすればよかった」
「ううん、大丈夫だよ。アドバイスしてくれたのに聞かなかったの、私だし」
慌てて首を振る。
もちろん大丈夫ではなかったし、昨日の夜母に「これはいらないんじゃない?」と除けられたものを戻さなければ良かったと何度も後悔したけれど、それを静に言う必要はない。
あかりは静が気に病まないよう、にこりと笑った。
「それに明るいうちの方が道を覚えやすいから。私の最寄り駅からだと遠回りになっちゃうんだもんね?」
「……電車だとそうだね。でもバスもあるから、今度はそれも使ってみようか」
今度。
あかりはこれからの予定が今日限りではないのだと改めて突きつけられて、顔を赤くした。
大きな荷物。
道案内。
――今日は、静の家に泊まりに行く日なのだ。
◇◇◇
ライトグレーの外壁が落ち着いた印象を与える、比較的綺麗なアパート。その二階にあるドアを鍵で開けた静は、あかりが通れるスペースを作って「どうぞ」と声をかけた。
鍵には見覚えのある青いペンギンが揺れている。それが緊張でガチガチになった心をわずかにほぐしてくれて、あかりはなんとか足を前に動かすことができた。
「お邪魔、します……」
ふわりと嗅いだことのない香りがする。まったく不快に感じないのは、静の匂いが混じっているからだろうか。
「いらっしゃい。スリッパ、よかったら使って」
「ありがとう」
すっきりした玄関を散らかしてしまわないようきちんと靴を揃え、お言葉に甘えて並んでいたスリッパのうちの一足を借りる。
静も同じようにスリッパを履くと、まずは廊下の突き当たりにある扉を抜けた。エアコンが稼働しているらしく、中は暖かい。
「ここがリビング。左がキッチンで、右は引き戸を開けると洗面所兼脱衣所、奥が浴室。とりあえず手洗いとうがいをしてから中を見て回ろうか」
「う、うん。……わあ、すごく綺麗だね」
鞄を端に置かせてもらい洗面所に入ると、やはり清潔に整えられた洗面台に出迎えられた。
あかりの目を引いたのは、細めの棚に置かれた蓋付きの透明な箱だ。中には重ねられるタイプの小さなコップがいくつも入っていて、その隣にはハンドタオルがしまわれたカゴもある。
まるで修学旅行の時に利用したホテルのように衛生的で、あかりは静の整頓能力に思わず感心してしまった。
「叔父さんのところではもっと適当だったけど、あかりが泊まるって考えたらいろいろ気になってきて。ネットで情報集めて工夫してみた」
「そうなんだ……」
いや、詠史の家だって充分綺麗だった記憶がある。
あかりは手を洗いながら、汚さないようにしなければ、と気を引き締めた。
そんなあかりの気持ちを察したのか、静は水で濡れた口をタオルで拭くと、使用済みの二人分のコップを持って言う。
「あかりが快適に過ごせれば、どんな使い方したっていいんだ。使いにくいところとか、あった方がいいものとか、思いついたら教えてほしい」
僕はあかりに来てほしくて引っ越したんだから。
そう続いて、胸がきゅうと苦しくなった。
(また、自分のためって言い方してる)
何度も聞くその言葉が、どこまで真実なのかはわからない。ただ少なくとも、あかりのためにたくさん考えてくれたであろうことは、ここに来るまでの間にもひしひしと伝わっていた。
高校から乗り換えなしで着く駅も、駅からの距離も、人通りの多さも、あかりの好みの色のスリッパも、自分以外も使うことを想定された洗面台も。それらすべてにこまやかな気遣いを感じる。
本当は、静の家なのだから、静が快適に過ごせるのが一番だと思う。
けれどそれをここで訴えても喜んでくれない気がして、あかりはこくりと頷くことにした。
あかりの反応に、静が微笑む。
「洗面台のコップは、使ったらシンクに置いておいて。食洗機で洗うから手間は気にしなくて大丈夫」
「食洗機……。うん、わかった」
歯磨き用のコップを昔から家族と兼用しているあかりには、なんだか新鮮なルールだ。
これならいつも綺麗に使えるし、来客時も特に何か用意しなくて良い。タオルも一度使ったらドラム式洗濯機で乾燥までしてしまうそうなので、むしろわかりやすくて便利なのかもしれなかった。
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