26.その手を5
あの後思い切り抱きしめられたあかりは、崩れてしまった化粧を直すためにお手洗いへ向かった。
コース料理の途中で席を立つのはマナーに反する、ということくらいは調べていたので謝ると、メインは終わっているしデザートの前にプロポーズをするつもりだと伝えてあるから気にしなくて良いと返された。
(そういえば、全然お店の人来なかったな)
つまり店側も何が起こっていたか承知していたということだ。
静の計画は実に緻密で、一体いつから構想を練っていたのかと頬が熱くなる。
鏡に映ったあかりは思ったよりひどくない。すかさずハンカチで押さえてくれた静のおかげだろう。
整え終わって席に戻れば、すぐに最後の皿が運ばれてきた。
「わあ、かわいいケーキ。あ、『誕生日おめでとう、末永くお幸せに』って書いてある」
デザートプレートを彩るのは、桃がたっぷり盛られたショートケーキと、チョコレートで書かれた英語のメッセージだ。
照れくさいけれど、嬉しい。あかりは言葉でもお祝いしてくれたスタッフにお礼を言った。
「あの、一枚だけ写真を撮ってもいいですか?」
せっかくの記念だ。いつでも思い出せるように、今日という日を残しておきたい。
ありがたいことに承諾を得られたあかりは、ピコンと小さな音を立てて、華やかな皿を写真に収めた。
あかりはだいぶここの雰囲気にも慣れ、紅茶とともにゆっくりとケーキを食べ終えた。
静も最後の一口を終え、フォークを置く。コーヒーを飲みナプキンで口を拭くと、一息ついてから話し出した。
「おいしかったね」
「うん、とっても。連れてきてくれてありがとう、静くん」
「どういたしまして。……そういえばこのレストラン、雑賀に紹介してもらったんだ」
「え、そうなの?」
「あかりと再会して少し経った頃かな。連絡が来て、プロポーズにここはどうかってことで何度か食事をしたんだ。蒼真と綾人の四人でね。そうやって前から話をさせてもらってたからか、今回かなり便宜を図ってもらえたよ」
なるほど。あかりがデートをしようと提案してからたった一週間しか猶予がなかったというのに、これほど良い席で予約が取れた裏にはそういう事情があったのか。
どうりで静も余裕が見えるはずである。初めての来店ではなかったのだから。
「メニューとか飲み物とかいろいろとアドバイスをもらったんだけど……ただ三人に反対されたこともあって」
「反対?」
どういうことだろう。
首を傾げると、静はあかりに手を出してほしいとお願いされ、素直に両手を差し出した。
「まずは、これ」
ポケットから何かを取り出した静は、あかりの左手の指に何かを着けた。
「……!?」
そう、指輪である。
しかしあかりが硬直した原因は、指輪だから、ではなかった。
「こここ、これ……っ」
「婚約指輪だよ。あかりに色好い返事をもらえたから」
違う、そうではない。
――なんだ、このダイヤは。
「ほ、本物、ですか」
「? もちろん。あかりが好きそうなデザインを考えて、横にピンクのダイヤもつけてみた」
たしかに、メインの大きなダイヤに添えられた小さなピンクはかわいい。形状も何と言って良いのかわからない複雑なものだけれど、流れるような曲線がひたすら美しかった。細かいところも含めると、一体いくつの石が使われているのか数えられないほどだ。
確実に、高校生に渡すものではない。
あかりは内心で悲鳴を上げた。
「つけられないよ、こんな高そうなの……!」
「……やっぱりそうか。本当は学校にも、男除けにつけていってほしいんだけど」
「無理です!」
あかりは何度も頭を横に振る。
高校にこんな指輪を付けて登校したところを想像してみてほしい。ただでさえ静の噂はまだ消えていないのだ。一瞬で話が広がるに決まっている。
注目されても平然としていられるほどあかりの心臓は強くないし、何より万が一傷つけたり失くしてしまっては悲しすぎる。
と、そこであかりはぴたりと止まった。
「……あれ、待って。さっき『まずは』って言わなかった……?」
信じられない思いで静を見つめる。
嫌な予感しかしない。
「うん。次はこれもはめてみて」
動けないあかりの手を取り、今度は右手の薬指に別のものを入れる。婚約指輪が体温に馴染みかけていたからか、二つ目はひんやりしているように感じた。
「……な、んで、二つもあるの?」
こちらもかわいい。
真ん中に小さな花が咲き、波打ったデザインに沿って小さな石が並ぶピンクの指輪だ。これでも充分高価に見えるけれど、婚約指輪に比べれば普段使いしやすそうである。
「さっきのがつけていけないなら、つけていける指輪がいると思って」
「そんなことはないんじゃ……」
豪華さのあまり突っ込み損ねてしまったけれど、そもそももらうこと自体に気が引けてしまうあかりには頷けない理屈だ。
静はあかりがいまいち自分の心配を理解していないと気がつき、苦笑する。
「あかりのため、と言うよりは、僕のためだよ。深澄にすら妬くこと、もう知ってるでしょ?」
「う、うん」
「指輪をつければ、あかりには僕がいるって周知できる。僕がそこにいなくても」
そう言われると、クラスの女子も彼氏とのペアリングを着けている。指輪は小さくとも目立つから、やはり当初はみんなが話を聞きに行っていた。
静の懸念が必要かどうかは別として、静の存在のアピールはできる。
(そっか。私は目立ちたくないけど、静くんは目立ってほしいんだ)
あかりが、ではなく、あかりが指輪を嵌めている事実が。
「だから、これ」
考え込んでいると、静がまた一つ指輪を取り出した。
あかりは反射的に身構える。
「ま、また出てきたよ……?」
「うん。でもこれは僕のだよ」
「え?」
そう言って、静が自分の右手の薬指に通す。
よく見てみれば、今までの二つよりも少し大きかった。石がなく色も違うけれど、今あかりが右手に付けている指輪と形が同じだ。
これは、もしかして。
「ペアリング。今日はプレゼントは駄目だって言われたけど……お揃いなら、つけてくれる?」
あかりの頭に、ペンギンのキーホルダーが浮かぶ。数少ない、高校生の静との思い出の品だ。
新しいお揃いなんて、そんなの。
「……はい」
嬉しいに決まっている。
静とあかりは恋人同士で、さらには結婚すると約束までした。その証である婚約指輪を、受け取りたくない理由がない。
もう一つの指輪も、自分の存在を周知したいという静の思いを知った上で、単なるプレゼントだと一蹴して受け取らないなんてこともできない。
指輪は女の子の憧れだ。
当然あかりだって憧れていた。
それなのにためらってしまうのは、食事に続いて高価なものを一気に渡すからだ。
「うう、もう、嬉しいのに喜びにくいよ。なんでいっぺんにくれるの」
「ごめん。あの三人にも言われた。でも先に大人になった分、昔じゃできなかったことをしてあげたくて」
「……っやりすぎだよ。でも、ありがとう。すごくかわいい。静くんとお揃い、嬉しい」
「僕も嬉しい。それに、想像してた以上に似合ってる」
そうだろうか。
てのひらを下に向け、照明を受けて煌めくそれらをじっくり眺める。何度見てもかわいい。間違いなくあかりの好みである。
せっかくなので静の手も借りて対の指輪を見せてもらうと、静の言っていた意味が胸に落ちた気がした。
「静くんも似合うよ。……私の、って感じがする」
あかりよりも静の方がずっとモテる。
母にも伝えた通り静の今の気持ちは信じているし、行動からも疑う余地がないのは明白だ。それでも静はいつか誰かと、という考えがくすぶるように、完全に安心できる日はきっと来ない。
それが指輪を見ていると、うまく言い表せないけれど、心のどこかが満たされるのだ。
「……っ」
「うん?」
静の手が、急にあかりとてのひらを合わせて指を絡め、ぎゅうと力を入れる。
指輪をしていると、手を繋ぐ感覚が変わるのだと初めて知った。
「どうしたの?」
「いや、なんて言うか。感慨に浸ってる」
「……?」
どういう意味だろう。
とりあえずとても感動しているようなので、あかりも真似してきゅっと力を入れてみた。
すると静が繋いでいない方の手で、目元を隠してしまう。
「今すぐ入籍したい……」
「え、今なんて? もしかして痛かった?」
「全然。かわいい」
「!?」
小声で聞こえない部分があったせいか、会話が噛み合っていない。あかりは静の不意打ちに赤くなった。
「ええと、その、そういえばサイズよくわかったね。どっちもぴったりだよ」
「ああ、それは……実は再会した日に、寝てるあかりの指を借りたんだ。勝手に触ってごめん」
「そうだったんだ。怒ることじゃないから謝らないで。それよりそんなに前から準備してくれてたんだね」
あの土曜日から数えると、約三週間。指輪はジュエリーショップに行けばすぐ手に入るものなのだろうか。
「ギリギリだったけどね。デザインを決めて、サイズを伝えて、埋め込む欠片を用意して……今日渡すって決まらなければ、まだ完成してなかったかも」
「そうなの? あと、かけら?」
「うん。指輪の内側に好きな石を埋め込む裏石っていうのがあるらしくて、それを境界の欠片にしたんだ」
「……!?」
境界の欠片、を、指輪に。
あかりは静に外し方を教わり、片方の裏側を確認した。
そこにあったのは、くぼみだった。
「何も、ないね?」
「透明なだけだよ。触ってみて」
「わ、本当だ! 硬い」
爪の先でつんつんしてみると、何も無いように見えるのに感触がある。
あかりは実物を見るのは初めてだ。これがあの境界の欠片なのかとわくわくする。
「普通の店だと頼めないから、全部レストアラーでもあるジュエリー職人にお願いしたんだ」
「そういう人も所属してるんだね」
「いろんな人がいるよ。本部で働く以外の選択肢もたくさんあるから」
静も教師になる道を選んでいるし、レストアラーもなかなか自由なようだ。仲間のみんなの進路もいつか聞いてみたい。
「あかりが危ない目に遭わないように、って願いを込めてある。小さい石だからどの程度効果があるかわからないけど、無いよりマシだと思う」
「……!」
「僕のためにも無事でいて。御守り、だよ」
そう言って、静がもう一度指輪を嵌めてくれる。
静は、何度あかりの心を揺さぶれば気が済むのだろう。こんなに大切にされて、静をもっと好きにならずにはいられない。
五年前に返した御守りが、形を変えて帰ってきたようだった。
誕生日のお祝いだというのに、本当にあかりが受け取ってばかりだ。
(ん? 誕生日……?)
「あっ!」
そうだ。プロポーズやら指輪やらの衝撃があまりに大きくて、本来の目的をすっかり見失っていた。
あかりは自分のバッグを開けると、両手サイズほどの箱を取り出し、静に差し出した。
「誕生日のプレゼント、です。遅くなってごめんね」
「……ありがとう。開けてもいい?」
「うん」
静は包装紙を破らないよう、丁寧に開けていく。
もらったものに比べればだいぶ見劣りしてしまうけれど、今のあかりにできる精一杯である。喜んでくれたら嬉しい。
「ネクタイと、ピン。それとハンカチだ」
箱から顔を出した品々は、静をイメージして選んでいる。お店の人に相談して、アドバイスを受けて、それでも決まらなくて数日通った。
最終的にカウンターで包んでもらいながら、スタッフの女性に気合の入った応援をされたのも記憶に新しい。
「先生って、あんまりネクタイとか着けないかなって思ったんだけど……もし何かの機会にスーツを着ることがあれば、時々思い出した時にでも着けてくれたらうれし――」
「毎日スーツで行く」
「え」
「動きやすいの探さないと」
無防備に笑む静が、大事そうに蓋を閉める。あかりは笑顔にどぎまぎしながら、一応持ち運び用の紙袋も渡した。
「毎日着けるね」
「毎日は無理じゃないかな……」
手入れがしやすいように洗濯できるタイプのものを贈ったとはいえ、毎日使ってはさすがにすぐ痛むだろう。
しかし静のことだから、これもまた本気かもしれない。念のため、今後もあと何本か卒業祝いや就職祝いなどと銘打ってプレゼントしようと決めた。
これで、まだ手作りのクッキーがあると言ったらどんな反応をするだろう。
あかりは幸せそうな静を眺めながら、自分も同じように笑った。
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